地下毒ガス室
乱暴な足音が部屋の前を通り過ぎていく。やがて聞こえなくなり、火鳥と水瀬はホッと息をついた。しかし、奴はこちらを探している。すぐに戻ってくるだろう。
再び懐中電灯を点けて部屋の中を照らす。黒ずんだコンクリートの塀が四方を囲む広い部屋だ。明かり取りの窓もなく、小さな穴が等間隔で開いているのみ。部屋の端には溝があり、ドス黒く汚れていた。
「ここで一体何をしていたんだ」
水瀬が怪訝な顔で尋ねる。
「ここはガス室だな」
火鳥は壁に穿たれたを調べる。穴は塞がれているが、おそらく隣の部屋に繋がっているのだろう。そして、入り口から向かって左手に巨大な鉄の扉が据え付けられていた。
「この部屋に囚人を入れ、この穴からガスを充満させた。そして、死体をそこの扉から運び出す」
水瀬は壁にいくつもの筋が走っていることに気が付いた。ポケットに手をつっこんだまま顔を近づける。
「こいつは一体」
「それは囚人の爪の跡だろう。毒ガスを吸って瞬間に死ねるわけではない。きっと数分間は苦しんだのだろう」
火鳥は淡々と語っているが、その口調にはやるせなさが含まれていた。コンクリートの壁を削るほどの力で爪が剥がれんばかりに掻きむしる。想像を絶する苦しみだったに違いない。
「これは刑罰ではない、大量殺人だ。通常の刑務所でこんな広いガス室など必要無い」
第二次大戦中のナチス・ドイツの蛮行を思い出す。ユダヤ人を強制収容所に連行し、ガス室に押し込めて殺害した。ただ、ユダヤ人という理由だけで。
神島刑務所の真相が明らかになるにつれ、悪魔の所業に対する恐怖と怒りがこみ上げてくる。火鳥は奥歯をギリと噛みしめた。
地下通路を火炎放射器を持った巨漢がうろついている。今はこの状況を乗り切らねば、火鳥は周囲を見回した。懐中電灯に照らされ、何かが光った。水瀬は口を押さえて飛びのく。叫び声を上げるな、と火鳥は目線で合図する。
「ガスマスクだ」
部屋の隅にガスマスクが積まれていた。男がつけていたものだ。囚人用ではなく、看守用だろう。そういえば、男のあの青い制服は刑務所史で見た看守服だ。もしかすると、看守記録にあった本郷の息のかかった看守主任かもしれない。
二つの丸いレンズが懐中電灯の光を反射して不気味に光っている。ガスマスクなど普段目にする機会はないが、戦争や死を思い起こさせる不吉なものだと実感する。
火鳥はガスマスクを拾い上げ、それをじっと見つめている。
「そんなもん被っても炎は防げないぜ」
水瀬は肩を竦める。
「俺に考えがある。かなり危険だが、協力してくれ」
火鳥はニヤリと口角を上げる。
***
再び足音が近付いてきた。火鳥と水瀬は入り口扉側の壁に貼り付き、息を潜めている。足音がガス室前に差し掛かったのを見計らって、火鳥が鉄の扉を拳でガンと叩いた。
扉が乱暴に開き、看守服のガスマスク男が大股開きで突入してくる。火鳥は部屋の奥を懐中電灯で照らした。目線の先に光るものを認識したガスマスク男が躊躇いもせず火炎放射器を放つ。
ガス室は目映いばかりのオレンジ色の光と灼熱に包まれる。壁が一瞬で焼け焦げ、黒ずんでいく。今度は左側が光った。男は火炎放射器を目標物に向ける。壁にかかったガスマスクのレンズが火鳥の懐中電灯の光に反射していたのだ。
ガスマスク男の背後を取った水瀬は背中のタンクと火炎放射器を繋ぐパイプをドスで切断した。ガスマスクのため、視野が極端に狭い男はそれに気付かない。
火鳥と水瀬は隙を突いてガス室を出る。切断されたパイプからは液体燃料がポタポタと漏れ、床に染みを作っている。
「よし、いいぞ」
火鳥の合図で思い切り扉を閉めた。ガスマスク男が扉側に振り向き、火炎放射器を向けたのが見えた。
ドン、と派手な爆発音が聞こえ、地下室に衝撃が走った。扉の中から苦悶の雄叫びが響く。火鳥と水瀬は扉が開かないように抑えこむ。ドンドンと扉を叩く音がしていたが、やがて静かになった。
鉄の扉はだんだん熱を帯び、触れないほどの熱さだ。隙間から煙りがもうもうと立ちこめてきた。
「中は焦炎地獄だろうな」
火鳥は冷や汗を拭う。
「ここが奴の墓場だ、自業自得だぜ」
水瀬は吐き捨てるように呟いた。
肉が焼ける匂いが漂ってきた。いくら化け物とはいえ、生きてはいまい。真っ暗な通路を懐中電灯の明かりを頼りに進む。
「この先に何があるんだ」
水瀬は火鳥の背中にぴったりついて歩く。天井から滴る水滴の音にも怯えている。湿った空気は黴臭く、時折鼠が通路を横切った。
「ここだ」
開けた場所に出た。懐中電灯の光が照らしたのは、煉瓦作りの壁に黒い鉄の扉がついた設備だ。それが十ほど並んでいる。扉は高さも幅も一メートルほどで、腰の高さの位置に設置されていた。
「ここは火葬場だ」
火鳥に言われて見れば、鉄の扉は火葬場の釜だ。水瀬は身震いする。
火鳥は扉を開け、取っ手を引いた。足もとにはレールが敷かれており、遺体を乗せる台がスライドして出てきた。
「ガス室で大量殺人をして、ここに直送して遺体を焼いていた」
刑死や病死した囚人もここで火葬していたのだろう。火鳥は釜の中を覗き込む。中には灰が積もっているだけだ。
「何でこんなおっかねえところに用があるんだよ」
水瀬は危険を冒してまで火鳥がここへ来た意図が理解できない。火鳥は水瀬の文句を無視して、次々に釜を開けて中を調べている。
一番最後の釜にやってきた。懐中電灯を照らすと、ここだけ釜の周辺が綺麗なことに気がついた。他の釜は高温の炎に晒され、外壁の煉瓦も焼け焦げている。薪をくべる穴にも灰が少ない。ここだ、火鳥は確信する。
「開けるぞ、重いから手伝え」
「一体何が出てくるんだよ」
水瀬は怯えながらも火鳥とともに取っ手を引く。台がギシリと軋んでレールの上を滑る。これまでの台には灰しか残っていなかったが、ここには何かある。
台を引き出し、懐中電灯で照らした。そこには貴金属が山のように積まれていた。
「な、何だこれは」
水瀬は目を見開く。大きな宝石のついた指輪や、杖の柄、時計にネックレスなど、煤で汚れてはいるが、磨けば金になるものばかりだ。
「こいつも金か」
水瀬が金色に光る小さなかけらを摘まみ上げた。
「そいつは金歯だ」
「マジか、ひえっ」
水瀬は慌てて金歯を放り投げ、ズボンで指を拭った。
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