第3章(1)
奥野はプラスチックの防護楯を通して目の前の病院を眺めた。
まばらに電灯が点いているが、人の動きはなさそうだ。
県内有数の大規模な小児病院で、入院患者のほとんどが小学生以下の子どもたちだという。
奥野たち機動隊にも詳しい状況は伝えられていなかった。ただ、立てこもり事件が起きており、犯人は一人とも、組織的なテロの可能性があるとも聞いた。
多くの患者やスタッフたちは避難できたが、数名の子どもが取り残された――人質に取られた状態であるらしい。
「どうやら警視監がこちらに向かっているらしい」
隣の森上が小声で話しかけてくる。
「マジかよ。そんな大きな事件なのか、これ?」
「分からん。でも何となく、普通じゃないよな」
立てこもりと言う割に、奥野たちは病院を囲んで一般市民を立ち入らせないよう指示を受けただけで、犯人への説得や交渉が始まる気配もない。
「お、来た」
高級そうなコートに身を包んだ男が病院の前に現れた。それまで指示役を担っていた警部たちと何やら話している。
「やっぱり貫禄あるよな」
森上がため息交じりに言う。
「俺らからしたら、雲の上の人だよ」
奥野も同調する。
そのとき、奥野の左手から、焦った隊員の声が聞こえた。
「あ、ちょっと、だめですって」
見ると、背の高い紺の帽子を被った女が、機動隊の隙間を縫ってずかずかと病院の前へ歩み出ようとしている。
「立ち入り禁止です」
女は隊員の声を意に介す様子もない。
「マジか。たまにいるんだよな、ああいうの」
森上が呆れた声を出す。女の周りにいる隊員たちが、彼女の歩みを止めようとざわざわ動いている。
「いい。通せ」
警視監が手を上げて隊員たちを制した。その手をそのまま敬礼の形に構える。
「本樫様。お待ちしておりました」
隊員たちがざわつく。
「奥野、あれ誰よ?」
「知らん」
「お偉いさんか?」
「それならさすがに顔くらい知っているはずだ」
本樫と呼ばれた女は、そのまま警視監の横まで進む。
「状況を説明して」
「いえ、皆さまがお揃いになってから――」
そのとき、今度は後方から「すみません」と声がした。
遠慮がちな、おどおどとした様子で、「は、萩野ですぅ」と声を上げる青年がいる。
頼りない声だったが、警視監たちには届いたらしい。トップの頷きにより、青年もまた病院前へと招かれた。
森上の呟きがうめき声に近くなる。
「いよいよ分からん。せいぜい大学生だろう? しかも何だか暗そうなやつだ」
警視監と本樫という女に合流した青年は、何やらぼそぼそと会話をしている。断片的に「お姉さん」「残念」という言葉だけが聞き取れた。慰めるように、警視監が彼の肩を叩く。
奇妙な帽子を被った女に、内向的に見える青年。彼らと対等に接する「雲の上の人」。機動隊員たちの混乱は少なくなかった。さざ波のようにざわめきが広がる。
「はい、失礼」
奥野たちの横を、着物姿の男がするするとすり抜けていった。器用な身のこなしであっという間に行ってしまったので、「立入禁止」を伝えることも、手を伸ばして捕まえることもできなかった。
コートの女が男に向かって挨拶するように手を上げる。これで謎が本格的に深まった。おそらく着物男も彼らの「一員」なのだろうが、統一性がなさすぎる。
女が声を掛ける。
「あなたが出張って来るなんてね。どんな手を使われたのかしら」
着物男はからからと笑う。
「こっちの台詞。本樫さんがいるなら安心だ」
「ちょっと。どこでそんなまともな口の利き方覚えたの?」
あからさまに女が顔を歪めてみせる。
警視監が「あと一人ですな」と言うのが聞こえた。
森上が奥野を肘でつつき、「なあ、俺たちは映画の撮影か何かに駆り出されたのか?」と囁く。奥野も同じ気持ちだった。
「もう何が来ても驚かん」
奥野がそう言うのと、遠くから「待ちなさぁーいっ」という叫び声が聞こえたのが同時だった。
森上が呆れた声を出す。
「おっしゃるとおり、何かが来たみたいだぞ」
声のした方を見ると、ワンピース姿の美女が、機動隊に向かって全力疾走をかましていた。目を疑う光景だ。
女はそのまま正面の隊員に突進する。慌てた様子の隊員が防護楯でブロックすると、そのまま女は楯を殴りつけた。
「はは。ははははは」
笑っている。がつん、がつんと音が鳴った。
「堅いぞ。堅い。ははは。人の力では無理か? 鈍器なら? 車なら防げるのか?」
そこへ後から息を切らせて追い付いてきたスーツ姿の女が止めに入る。
「やめなさい!」
「なぜだ? 誰にも怪我をさせていない」
「そういう問題じゃないの!」
森上が「さすがにアレは、ただのぶっ飛んだヤツだろう?」と言うも、警視監がかぶせるように「香月様。お待ちしておりました」と呼びかけた。
奥野と森上は最早言葉にできず、口をぱくぱくとさせるだけだ。
アンバランスな三人に、どこまでのクレイジーな美女と、スーツの女を加え、どうやらチームが揃ったらしい。
「相変わらず無茶苦茶だねえ」
そう着物姿の男が言う。
「これと一日一緒に過ごすって、どんな経験だった?」
とコートの女が問えば、
「見てのとおりよ」
とスーツの女が答える。
ワンピースの女は意に介する様子もなく、
「お前からも、お前からも悲しみの匂いがする」
と二人の男に興味津々だ。
おどおどした青年は、「は、初めまして……」と、どこか場違いな挨拶をかましている。
「それでは、中へ」
警視監の促しで、彼らは病院の玄関扉をくぐっていく。
残された機動隊員たちの中で、ざわめきが一層大きくなったことは言うまでもない。
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