社会の窓

「大丈夫か?」


 俺はまるで路上に倒れた通行人を慮るように身体を屈ませてアイの具合を労る。


「えぇ、問題ないです」


 窮屈そうに言葉を吐くアイの姿から、堰を切ったように汗が流れ出す。女子生徒の顔にボールをぶつけてしまったかのような居た堪れなさに、動悸が徐に激しくなっていく。彼との腐れ縁に甘えて必要最低限の会話ばかりこなしてきたせいか、目の前の有事に手をこまねく。


「……」


 アイが一人で立ち上がるのを俺は只、黙って眺め、ベッドの上に腰掛ける一連の動作をまじまじと見届けた。我ながら、甲斐性がない。これほど気の回らない人間も珍しく、身から出た錆を煎じて飲むしかなかった。


「つ、続きはまた後にしようか」


 俺はアイの返事を待たずに部屋から逃げるように退出した。渡り鳥さながらに母体をいくつ飛び回ったとしても、この性分はついて回り、生憎な事態を前に絶えず尻込みする。そんな気がした。


「おぉっと!」


 押戸にまつわるトラブルは、扉を挟んで並び立つほんの一瞬の偶然が重なった結果である。原因は押戸を扱った側にあるものの、殊更に蔑視を向けられると癪に触った。俺一人では決して起こり得ず、扉の向かい側を歩く人間との息を合わせたようなタイミングこそ、憎んで然るべきなのだ。


「すみません」


 それでも、早々と俺は謝った。目の前の厄介事を火にくべるような悪態など、つくべきではない。形式的とはいえ頭を下げることに損はない。


「いやぁー、驚いたぁ」


 画一的なローブ姿の男は、アパートの隣人に挨拶をするような語気を操り、不測の事態と向き合う際のお手本を披露した。アイとの間に起きた衝突を見て見ぬふりをした俺にとって、それは感心すべき応対であった。ただその直後、俺は直ぐに好感を翻す。


「ここは無事かい?」


 嫌らしい笑みを浮かべて股間の辺りを弄る男の全くもって理解に苦しむ仕草から、「はぁ?」という疑問の声が思わず飛び出た。


「……そうか。君はそうなんだな」


 明言を避けた男の遠回しな弁舌に不満が眉間を隆起させ、すかさず刺々しさを身に纏う。


「そんな睨むなって。独占したい気持ちは分かるが、おれは別に馬鹿にしたい訳じゃないんだ」


 釈明に逃げる男の意図を正確に読み解くことが出来ず、おいそれと気を緩められない。


「物珍しさに目が惹かれただけさ」


 闘牛士の赤い布さながらにローブをひらめかせ、鼻息を荒くした俺の視界から消えようと勤しむ。俺はそれを大人しく見送って、男の奇怪な振る舞いに目を瞑った。


「はぁ」


 悩みの種は尽きることを知らず、異世界に降り立ったばかりの俺に対して、情け容赦なく本質を突いてくる。嘆息の一つや二つ、垂れて当たり前の心労が首や肩、腰に表れて、老齢な手つきを真似すれば青臭さが立ち込めた。俺はゆくりなく見せられた下品な仕草から、短パンの社会の窓が開けっ広げになっていたことを知る。


「助かるよ、全く」

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