いぬのきもち

 探り探りの自己紹介をこなすと、牽制するように口を閉じて出方を窺う沈黙へ辿り着く。目前に迫ったバツの悪さを悟ったアイは、水の中で窒息しかけたように早口で捲し立てる。


「わたしは魔術の基礎となる“体験”を重視していて、一回でも感覚を掴んでしまえば、字を見たり聞いたりするより遥かに早く、魔術を体得できます」


 それはベレトから充分に教わっており、実践をいくつか積んできて、この城へやってきた。


「あぁ、ごめん。それはもう段階として踏んできたんだ」


 俺はそう言って、吹き込むはずのない風を起こして見せ、肩まで伸びたアイの茶色い髪を翻す。


「……なるほど。でも、わたしの力に掛かれば、そのような軽微な現象が陳腐に思えますよ。貴方はもっと成長できるから」


 仔細顔をするアイの自信は、知恵熱を起こしかけた俺からすると、上手い話を持ち掛ける胡乱な手触りが先行する。それでも、バエルに指示されてここに居るのならば、確かな根拠があって俺の寝顔を盗み見るに至り、不躾ながらも教え導こうとしているのは間違いない。


「それは楽しみだな」


 半ば皮肉混じりに嬉々とした口吻を引っ張り出して、アイのお手並みを拝見する姑めいた嫌らしさを醸す。


「まぁ、だからといって勝手に部屋の中へ入られるのは、困りもんだがな」


「それはー……あのぉ」


 真正面から苦言を呈すと、俺の起床を想定していない疚しさに言葉を窮する。アイに分別があったことを安心した。


「すみません」


 小さい身体を更に畳み、白旗の代わりに脳天を晒す。「降伏」と呼んで差し支えない隙を前にして、俺はがなり立てるのも馬鹿らしく思い、なるべく声色を柔和に仕立てて言った。


「ここって、食堂ある?」


 甚だ強引な話題の移り変わりであったが、腹が鳴る気配を察した俺なりの気遣いである。


「いえ、ここはあくまでも都市部を繋ぐ要衝でしかなく、寝床を提供し、身を清める程度の機能しか有しておりません」


 ベレトが如何に城での生活を重んじ、隠居にも似た保守的な資質を持ち合わせていたかを城が備える機能から見て取れた。そして、自分の暮らしぶりを守るのを命題にし、齷齪と頭を働かせ結果、俺を呼び出す実に利己的な轍を足元に見た。バエルが異世界の秩序を守ろうと苦心する一方で、ベレトは保守的な姿勢を崩さない。だがしかし、家臣のトラビスを介してそれは瓦解した。予期せずこの城へ連れてこられた際の不機嫌さを鑑みるに、これは的外れな推測ではないだろう。


「城外での食事なら、いくらでもお付き合いしますよ」


 満面の笑みを浮かべるアイに甘えて、俺は先ず初めにしたいことがあった。皮脂でベタつく頭髪や膜が張ったような身体の汚れを落とす時間を設けることだ。


「身体を洗いたいから、案内してくれるかな? 地下まで」


「喜んで」


 客室に案内する中居と遜色ない雅致のある所作を見せ、俺に背中を預けるその姿勢は、稀に見る経験であり妙に浮ついた。俺はいそいそと部屋を出る準備にベッドから腰を上げる。


「それでは行きましょう!」


 右足から踏み出したつもりであった。しかし、左足が先に動き、右腕を振る違和感に俺は血の気が引いた。あたかも頭からアンテナが生えたかのように無線信号を受け取り、独りでに動作する奇妙な体験から、俺は直ぐに「魔術」の類いを想起した。そんな異変にアイは目もくれずに部屋の外へ出れば、俺はまるで首輪を繋がれた家畜のようにアイの後を追う。

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