#25 船は飛ぶ、見えてきた街と真相
「白滝さん!」
猪熊が声を掛けると、奴は目を見開いてこちらを見た。
「間に合ったのか……」
「みんなで、連絡待ってたんですが。なんで一人で先に乗ってるんです?」
不穏な笑みを浮かべ、猪熊が訊ねる。
「いや、その……電話がつながらなかったんだ……。電波が悪いんじゃないかな、離島だしね。でも、みんなが間に合って本当によかったよ」
早口で言って、はははと白滝は笑った。顔色が悪い。
「おい、白滝よ」
奴をにらみつけながら、僕は口を開いた。
「俺らを置き去りにするつもりだったな?」
「いえいえ、そんなことは決して……」
「そうやわ。白滝君が自分から、港の様子を見に行くとか言い出したのが、そもそもおかしいわ。人の役に立つようなこと、するはずあらへんのやから」
「ひどいじゃないですか、白滝さん。なんで俺らをそんな目に。乗船券の金、返してくださいよ」
「ああ、もう、ぎゃあぎゃあうるさいんだよ、お前らは」
白滝の目つきが変わった。
「そうだよ。お前らを置き去りにして、困らせてやるつもりだったのさ。これは復讐だ、僕にとってのね!」
なんだか聞いたことのあるセリフだった。よくよくしょぼい復讐が好きなやつだ。
「復讐って……何を言ってるんです?」
猪熊が、困惑したように白滝の顔を見る。
「あと一歩で、かわいいダイビング女子が彼女になってくれるところだったのに……。お前ら、思い切り邪魔しやがって。仲間なら、話を合わせて後押ししてくれるのが当然だろうが!」
ダークサイドに墜ちた白滝が、暗い目をして身勝手なセリフを叫んだ。
「そんなの、全く関係ない」
僕は冷徹に断言した。
「俺らが邪魔しようがしまいが、あんなかわいい子はお前の彼女になどならん。いい加減、身の程を知れ。でなきゃ一生、振られ続けろ」
「な……」
白滝は、何か言いたげに口をパクパクさせた。しかし、声にならない。
「僕らが止めへんかったら、今頃君は警察署の中やわ。変質者や、ってあの子に通報されてたで、絶対」
阿倍野が追い打ちをかけた。
「何でもいいから、乗船券の金を返してくださいよ」
あくまで猪熊は、金にこだわる。
「あの金は、僕が払わされたカップラーメン代の分だ。誰が返すもんか」
顔を赤くして、白滝は言い返す。
「俺、カップラーメンなんか食ってないですよ。メロンパンです、俺が食ったのは」
猪熊が、悲痛な声を上げた。
「そんなこと言うんなら、悪いですが実力行使させてもらいます。金は命より重い」
シャツの袖をまくった猪熊が、握りこぶしを白滝に向けた。盛り上がった筋肉が、怒りに震えている。
「そうだ、やっちまえ」
「天誅や!」
僕と猪熊が声を上げたその瞬間、船が激しく揺れた。思わず通路にひっくり返りそうになる。床下でエンジンが、かん高い音を上げた。
「本船はただ今、外海へと出ました。ここからは、大きな揺れが予想されます。乗客の皆様は、どうかご着席ください」
船内に、アナウンスが流れる。途端に船体がぐっと上昇し、再び急降下した。まるでジェットコースターだ。
こうなっては、白滝に制裁を加えるどころではない。僕らは慌てて、空いている三つの席に並んで座った。しかし、船が大波を乗り越える度に体は浮き上がり、前席の背もたれをつかんでいないと、じっと座ってることすら難しいというありさまだ。
低気圧は遠ざかり、波は昨日に比べてずいぶんおさまったはずである。しかしそれでも、これほどの揺れを食らうらしい。まともに嵐の直撃を受けた大型フェリーが、持ちこたえられなかったのも分かる。
「大丈夫なんでしょうか、これは」
先ほどまでのふてぶてしい態度とは打って変わって、隣の白滝が不安げに僕の顔を見る。
「船って、こんなに揺れても何ともあらへんのですねえ」
海と空が目まぐるしく入れ替わる窓の外を見ながら、阿倍野は冷静に感心している。
エンジンの音が、急に低くなった。波の谷間にぐっと沈み込んだ船体が、そこから天を目指すような急角度で次の大波を昇り切り、そしてふわりと宙に浮く。雲の切れ目からのぞいた太陽の光が、窓から射しこんだ。
「飛んだ」
思わずつぶやいた次の瞬間、船は落下した。足元から、ドーンという音が響く。まあ、実際に空を飛んだはずはないが、それくらいの衝撃だったのだ。
「うわあ、助けて」
白滝が泣き声を出した。船室内のあちこちで、悲鳴が上がる。
「少々揺れが大きくなっておりますが、船の航行には何ら支障はありません。全然大丈夫ですが、船長の指示によって救命胴衣の着用をお願いすることもあります」
再び、アナウンスが流れた。
「全然大丈夫なんやね、これでも」
阿倍野が呑気に言った。
「うげえ」
突然、猪熊が不気味な声を出し始めた。
「おい、ちょっとやめてくれよ」
僕は慌てた。こんなところで
「腹が、腹が減りすぎて気持ち悪いです。おげえ」
「メロンパンがあっただろうが、まだ一個」
「おお、そうでした」
青い顔をした猪熊は、ぐええとか言いながら、足元のリュックからメロンパンを取り出し、袋を破り捨ててかぶりついた。
船は波と闘いながら、なおも前進を続けた。しかし、久々に姿を現した太陽がその前触れであったかのように、本土が近付くにつれて天候は急回復し始めた。賞味期限切れのメロンパンを食べた猪熊も、次第に元気を取り戻して行った。
波丘の街が海の向こうに見え始めた頃、船の揺れはすでにほとんどおさまっていた。頭上には、青空が広がっている。湾岸の埋め立て地に建つ高層ビルに陽の光が降り注ぎ、ガラスの塔のようなその姿を神々しく輝かせていた。
「ああ、ついに帰って来た」
僕は、安堵のため息をついた。
「そやけど、猪熊君のおかげやねえ。島に知り合いの人がいなかったら、帰って来れへんかったもんね」
阿倍野が、猪熊の顔を見る。
「全くそうだ。うまいこと、知り合いがいたもんだ」
「それなんですがね」
猪熊がポケットに手を突っ込んで、何かを取り出し、僕らに見せた。「シャンゼリゼエ」と書かれた、ブック型マッチ。その余白には青いボールペンで、メールアドレスが書かれていた。
「こ、これは」
白滝が目をむいた。
「ええ、江田さん、『えっちゃん』が教えてくれました。色々助けてくれたのも、実は彼女と、役場に勤めるお兄さんでして。今度こちらに遊びに来るらしいんで、お礼にデートをします」
「そんな、馬鹿な! 何で僕じゃなく、お前みたいな髭面が!」
猪熊の顔に指を突き付けて、白滝が叫んだ。
「髭は関係ないと思いますが。まあ、俺にとっては、意味がありましたよ。わざわざ、あの島まで行った意味がね」
あご髭を撫でながら、猪熊はそう言って、満足げな笑みを浮かべるのだった。
(エピソード4「彼女と彼らのクリスマス」へ続く)
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