あこがれ ~ホワイトクリスマスの約束~
向かいの席に座っている
ファーストフード店のコーヒーだからではない。
小夜はコーヒーが苦手なのだ。
「小夜、まだコーヒーに慣れないの?」
清美が言った。
小夜は一年近く前からコーヒーを飲めるようになろうと悪戦苦闘している。
コーヒーを飲めるようになりたいのは恋人の
人の言ったことを一々真に受けるからからかっているだけだ。
とはいえ、それは性格だから仕方ない。
真面目だから冗談だろうと思っても「でも万が一本当だったら?」と考えてしまうから聞き流すことが出来ないのだ。
正直、コーヒーのような
コーヒーは豆の種類や入れ方などで味が大分変わるので好みに合う豆と入れ方を見付けられれば話は違うだろうが何の知識もない素人が探すのは時間と労力が掛かるだろう。
「紅茶にすれば?」
清美がそう提案すると、
「え?」
小夜は
「紅茶派の大人って結構いるよ。無理にコーヒー飲もうとするより紅茶飲んだら?」
清美の言葉に小夜が考え込む。
その時、小夜の彼氏の
柊矢は清美の彼氏である
彼氏持ちにあこがれていた清美は去年ようやく彼氏が出来たのだ。
柊矢は過保護だから――というよりは単に小夜と少しでも長く一緒にいたいからだろう、帰宅時間になると迎えに来るのだ。
「それじゃ、また明日ね」
小夜はトレーを片付けると柊矢の元に向かった。
清美も店を出ると近くの雑貨屋に向かった。
来月はクリスマスだから楸矢と小夜へのプレゼントを考えなければならない。
楸矢は手作りでも喜んでくれる――むしろ手作りの方がいいまであるが、清美は一応受験生だし手作りのものを作る習慣もないから作るとなると調べるのにも作るのにも時間が掛かる。
だが清美は受験生だ。
指定校推薦が取れたので受験勉強に死に物狂いになる必要はないのだが一応合格通知を受け取るまでは油断するわけにはいかない。
万が一不合格になったら一般入試を受けることになるから念のため勉強はしていなければならないのだ。
去年、清美は楸矢と小夜にオーナメント型のアドベントカレンダーをプレゼントした。
中に入っていたお菓子は去年食べてしまったから今は空だ。
楸矢は毎年飾ると言ってくれたから今年も飾ってくれるだろう。
せっかく飾ってくれるなら、やはり何か入っている方が開ける楽しみがある。
食べ物を二十四個も作るとなると清美では時間が掛かってしまうから今年は厳しい。
「別に食べ物じゃなくてもいいでしょ」
心乃美が清美の悩みを聞いて言った。
「例えば?」
「詩とか」
心乃美の言葉に、
「痛すぎ。大体お菓子作れないのは時間がないからなのに詩とかお菓子より時間掛かるじゃん」
清美は冷たい視線を向けながら答えた。
詩才などないし、既存の詩にしても探すのに時間が掛かるだろう。
無事大学生になれれば来年は詩を探す時間も作れるだろうが――。
「ならお店で売ってるクッキーかキャンディにしとけば?」
隣で聞いていた香奈が言った。
「それが無難かなぁ」
というわけで清美は個包装でアドベントカレンダーに入れられるお菓子を捜しに来たのだ。
小さいお菓子なら入れられるよね……。
そう思ってお菓子の棚の前に行くと個包装のお菓子が色々売っていた。
『カウントダウンカレンダーリフィル』と書いてあるものもある。
アドベントカレンダーの入れ替え用だ。
去年買っ人が中身を新しく入れるだけで今年も使えるように、である。
これでいいかな……。
清美はリフィルの袋を手に取ってカゴに入れた。
不意に紅茶のいい香りがしてきてそちらを見るとクリスマスパッケージの商品があった。
その中にティーバッグの袋に日にちが書いてあってアドベントカレンダーになっているものもあった。
アドベントカレンダーで一ヶ月近く毎日紅茶を飲んでいればそれが習慣になるかもしれない。
紅茶が好きになれば無理にコーヒーを飲む必要はなくなる。
清美は小夜へのクリスマスプレゼントはその紅茶にした。
それから食料品売り場に向かう。
霧生家でのクリスマスパーティに招待されているから何か手料理を作っていいところを見せたい。
しかし清美はあまり料理が得意ではないから手軽に作れる物がないかとネットで検索したところ、簡単にパエリアを作れる『パエリアの素』というものがあると分かったのだ。
お米と調味用ソースがセットになっていて、それを一緒に炊飯器に入れるだけでパエリアが出来るらしい。
一緒にパーティの料理を用意する小夜は料理が得意だから教えてもらいながらなら失敗することもないだろう。
でも、ぶっつけ本番で作るより一度作っておいた方がいいかな?
清美はパエリアの素もカゴに入れた。
十一月下旬 日曜日
「でかっ」
清美は霧生家のリビングにあるクリスマスツリーを見て目を丸くした。
柊矢が天井まで届くような大きなツリーを用意していたのだ。
「清美ちゃん……」
楸矢が呆れ顔で清美を横目で見る。
「あ、あははは……」
清美は笑って
柊矢が巨大なツリーを買ったのは清美が『小夜が喜びますよ』と
それを間に受けた柊矢がホントに購入してしまったのである。
自分で
今日、
「よく家に入りましたね」
清美は霧生家の間取りを思い浮かべながら言った。
玄関からは入らないはずだ。
一戸建てとは言え新宿なのだ。
玄関からリビングまでは一度廊下を曲がる必要があるからツリーを倒したところで途中でつっかえてしまう。
となると庭に面しているサッシからだと思うが――。
「庭にはどうやって運び込んだんですか?」
清美が訊ねた。
門から庭までも大きなツリーを通せるだけの広さはない。
「車をどけて車庫の屋根を外した」
柊矢が答えた。
車庫といっても家の脇の、小型車を一台置くのがやっとの駐車スペースである。
そこに簡単な屋根を取り付けただけで壁などはない。
だから屋根は取り外しが可能らしい。
しかし工具店に依頼して屋根を外すだけでも結構な金額が掛かったと思うのだが――。
普通に考えると恋人の段階でそれをやられるのは結構重いと思うのだが小夜は平然としているからお似合いといえるのかもしれないが。
「ま、まぁ、これだけ大きければ飾りごたえありそうですよね」
清美が話を
「そうだね。結構時間が掛かるだろうし、清美がパエリアの素持ってきてくれて助かったよ」
小夜の言葉に、
「パエリアってそんなに簡単に出来るものなの?」
清美が訊ねた。
「あれはソースの素に水を混ぜるだけで
小夜が答える。
「ただ柊矢さんと楸矢さんは結構食べるからお米は追加で
小夜の言葉に清美は頷いた。
「すっげぇ」
飾り付けが終わると楸矢が嬉しそうに言った。
「迫力ありますね」
清美も同意した。
天井に届くほどのツリーにたくさんのオーナメントが飾られている。
ツリーが大きい分、電飾も多いから点灯したらかなり明るい。
「
柊矢が言った。
確かにこれだけ明るいと深夜は近所迷惑になりかねない。
多少庭があるとは言っても猫の額のような狭くて隣の家までの距離が近いのだ。
こういう良識はあるのにデカいツリーはポンと買っちゃうんだ……。
清美は柊矢を横目で見ながら思った。
夕食後、楸矢は清美と一緒に歩いていた。
清美を家まで送っていく途中なのだ。
「パエリア、美味しかったよ。ありがとう、清美ちゃん」
楸矢が礼を言った。
清美のあこがれが彼氏なら、楸矢のあこがれは特別な人(彼女)に作ってもらう手料理である。
縁遠すぎてあこがれることすらなかったようだがクリスマスツリーを飾ったりパーティをしたりという事にもあこがれていたらしい。
「でも思ったより具が少なかったですね。味付きのご飯っていうか……」
清美が言った。
小夜は予想していたのだろう。
事前に何品かおかずを用意していてくれたので味付きご飯だけという
「でも、その味が美味しかったよ」
楸矢が重ねて言った。
「ありがとうございます」
清美はそう答えながらもクリスマスパーティの時は中に入れる具を別に用意して持っていくか、味付きご飯と割り切って他のご馳走を用意するか小夜と相談するのを忘れないようにしようと心に
十一月三十日
放課後、清美は小夜とともに霧生家に向かった。
アドベントカレンダーにお菓子を入れさせてもらうためである。
楸矢を驚かせるために日曜に飾る時は空のままにしておいたのだ。
楸矢はレポートを書くために出掛けている。
親戚の
小夜と一緒に霧生家のリビングに入るとツリーの下にいくつものラッピングされた箱が置いてあった。
「もしかして全部、柊矢さんから小夜へのプレゼント?」
清美が訊ねると、
「まさか」
小夜は笑って手を振ると箱の上を指した。
「木の葉が落ちてきちゃってるでしょ」
根が付いていない生木なので枯れ葉が落ちるのだ。
「ブルーシートを敷いたんだけど、それだとムード台無しだから空箱で目隠しするって柊矢さんが置いたの」
小夜の言葉に清美は納得した。
確かにツリーの下にラッピングした箱がいくつも置いてあるとクリスマスという感じがする。
どんどん日本離れしている気もしなくもないけど……。
十二月一日の朝
楸矢が朝起きると清美からメッセージが届いていた。
〝アドベントカレンダーの中を見てください〟
メッセージを見た楸矢が『一日』と書かれているオーナメントを開けると中からキャンディが出てきた。
「清美ちゃん、入れておいてくれたんだ」
そう言った楸矢の横で柊矢も自分のオーナメントを開けていた。
「あ、小夜ちゃんも柊兄の分入れて置いてくれたんだ」
まぁ小夜ちゃんが忘れるわけないか……。
まさかこの年になってクリスマスシーズンが楽しくなるとは思わなかった。
楸矢と柊矢の両親は楸矢が生まれてすぐに事故で亡くなって祖父に育てられたから二人はクリスマスには縁がないまま育ってきたのだ。
楸矢はクリスマスの楽しさを教えてくれた清美に改めて感謝した。
十二月上旬
「やったー!」
清美は合格通知を見て飛び上がった。
両親に報告した後、楸矢に電話を掛けた。
「おめでとう、清美ちゃん」
楸矢が言った。
「ありがとうございます!」
「小夜ちゃんも受かったし、これで来年から大学生だね」
楸矢が嬉しそうに言った。
「はい!」
これで明日からは受験勉強の心配をすることなく楸矢さんとデート出来る……!
受験からの開放感よりリア充に専念出来ることが嬉しかった。
十二月二十五日
清美は霧生家に来ていた。
小夜と一緒にクリスマスパーティのご馳走を作るのだ。
「パエリアはパーティの直前に作るんだよね?」
清美が訊ねた。
「うん」
小夜が頷く。
「もうちょっとシーフード入れたかったんだけどなぁ」
清美がパエリアのソースをかき混ぜながら残念そうに言った。
一応多少はエビやイカなどを用意して持ってきたのだが今イチぱっとしない感じがする。
その時、チャイムが鳴った。
「あ、
料理の手伝いをしていた楸矢がそう言って玄関に向かった。
「早かったね」
「うん、料理する前にこれ渡そうと思って」
椿矢はそう言って袋を楸矢に手渡した。
「なにこれ」
「カニ貰ったからお裾分け」
「いいの!?」
「一人じゃ食べきれないから」
「ありがと!」
楸矢は礼を言うと、
「清美ちゃん! 椿さんがシーフードくれたよ!」
と台所に声をかけた。
台所で包みを開けると大きなカニが出てきた。
「すごい! 丸ごとのカニ!」
「カニって脚しか見たことなかった」
小夜と清美が声を上げた。
「ホントにいいの? カニって高いんでしょ」
楸矢が椿矢に訊ねた。
「貰い物だし、僕一人じゃ食べられないから」
「じゃ、遠慮なく。座って待っててよ」
楸矢はそう言うと台所に戻った。
「カニはどうする? パエリアに入れる?」
清美が小夜に訊ねた。
「うん、お腹の身は取りだしてパエリアに混ぜて脚はお皿に添えるのはどうかな」
「いいね。じゃ、そうしよう」
清美は頷くと準備に取りかかった。
ご馳走が出来ると五人は食卓に着いた。
「いただきます!」
「清美ちゃん、小夜ちゃん、大学合格おめでとう!」
楸矢が清美と小夜にお祝いを言うと柊矢と椿矢もお祝いを言った。
「ありがとうございます」
清美と小夜が礼を言う。
やりとりがすむと五人は食事を始めた。
受験の話などをしていると、オーブンが鳴った。
小夜と柊矢が立ち上がって台所に向かう。
台所でオーブンを空けたらしい、一気にいい匂いが漂ってきた。
やがて柊矢がさらをテーブルの真ん中に置いた。
トリの降臨!
去年同様、小夜は鶏の丸焼きを作っていたのだ。
「でか!」
清美が引き気味に言う。
「美味しそうだね!」
椿矢が言った。
パエリアの皿に添えてあるカニの脚から実を取り出しながら、
「そういえば、柊兄や
楸矢が訊ねた。
「まぁな」
「一応はね」
柊矢が素っ気なく、楸矢が苦笑しながら答えた。
「やっぱ大学で習うから?」
楸矢の問いに、
「いや、それはただの豆知識。少なくともただヤドカリだって言うのだけで終わるんじゃクイズの答えでしかないから」
「大学で勉強するのは雑学じゃないからな」
椿矢と柊矢が答えた。
「でも、なんでカニみたいな形してるんだろ」
楸矢がそう言うと、
「進化の過程で別々の種が似たような形質を持つことがあるんだよ。
椿矢が答えた。
「へ~」
楸矢、清美、小夜が感心した表情を浮かべた。
「ヤドカリだけじゃただの雑学、収斂進化まで言えて初めて知識と言えるな。生物学部でもない限りそんなことは教わらないと思うが」
柊矢が言った。
「仮に知ってたとしてもカニ食べる時に『これはヤドカリだ』なんて言われたくないですよ」
清美が言った。
「そっか、じゃあ、これを『カニだ』って言っても清美ちゃんには教養ないってがっかりされずにすむね」
楸矢の言葉に、
「これはズワイガニだからカニだけどな」
柊矢が素っ気なく言った。
食事が済むと五人はリビングに移動した。
「さっきもびっくりしたけど、このツリーすごいね」
椿矢がツリーを見上げながら言った。
やっぱ普通は驚くよね……。
清美も改めてツリーに目を向けた。
「小夜、清美ちゃん」
柊矢がツリーの下にあるラッピングした箱を指した。
「え!? カモフラージュじゃなかったんですか!?」
清美が驚いて言った。
「カモフラージュという事にしておけば驚かせられるかと思ってな」
柊矢の言葉に清美と小夜は顔を見合わせてからツリーの下に向かった。
それぞれの名前が書いたカードが付いているプレゼントの箱が置いてある。
「ありがとうございます!」
清美と小夜が礼を言うと、
「俺からのもあるから」
楸矢が言葉を添えた。
「スノードーム! 綺麗……」
清美がプレゼントを開けて嬉しそうな声を上げた。
「このトナカイ、去年のクリスマスに見に行ったイルミネーションのトナカイに似てますね」
「俺もそう思ったからこれ選んだんだ」
「ありがとうございます! 大切にします!」
「どういたしまして」
パーティからの帰り道、清美は楸矢と夜道を歩いていた。
家に送ってもらう途中なのだ。
「やっぱり東京ではホワイトクリスマスにはならないですね」
清美が空を見上げながら言った。
「清美ちゃん、ホワイトクリスマス好きだね」
「そりゃ、あこがれですから」
「なら、いつか一緒に雪が降るところでクリスマスを過ごさない?」
「え……泊まり……ってことですよね?」
「あ、だからいつかだよ」
楸矢の方が慌てたように赤くなる。
「多分、就職してから……」
楸矢が
清美は楸矢のそんな様子を見て
「楽しみにしてますね!」
と言った。
完
本編
「歌のふる里」
歌のふる里 ~短編集~ 月夜野すみれ @tsukiyonosumire
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