第23話 二人の誓い
次の日もルアンは部屋から出てこなかった。昼食の時間になってもルアンは顔を見せない。一人にしてほしいと言われた以上、ノエルも無理に部屋に立ち入ることはできなかった。
気晴らしに城内を散歩してみても、クリスの言葉がよぎって仕方ない。それでも、ノエルは旧王城の使用人たちを疑うことはしたくなかった。
―私が初めて殿下とご飯を食べた時、皆あんなに嬉しそうにしていたんだもの
ノエルよりもずっと前からルアンのことを見てきた使用人たちである。彼の優しさはきっと彼らの心にも届いているのだとノエルは思う。
だからこそ、このやるせない思いをどこにぶつければいいのか分からなかった。
そんな時、料理長であるアダムがこちらに走ってきた。大柄だが、優しげな目をした男は、息を切らしながら言った。
「ノエル様!」
「どうしたの、アダム。そんな急いで」
「……ルアン様が昨晩から誰も部屋に入れて下さらないのはご存じですよね。もしかして、ノエル様もなのですか?」
「ええ。一人にしてほしいと頼まれたから、それ以来お部屋には行っていないけれど……」
ノエルがそう言うと、アダムは顔を真っ青にした。どうかしたのかと尋ねると、アダムは震える声で言った。
「昨晩から運んだ食事を全て口にしてくださらないのです。理由を尋ねても、体調が優れないからとおっしゃるだけで。……それも、今朝は私共の声にも反応して下さらなくなったのです」
使用人である自分たちには主からの命令を破るわけにはいかない。だからこそ、ノエルに様子を見てきてほしいとアダムは言う。
そんな彼の説明が終わらないうちに、ノエルはルアンの自室に向かって走り出していた。
*
「ルアン様!」
鍵のかかった扉の前で大きく名前を呼ぶ。しかし、返事はない。ただ眠りこけているだけかもしれないと言い聞かせながらも、返事の聞こえない扉の向こうのことが心配でたまらなかった。
―もしも、すでに『暗殺者』の手が下っていたらどうしよう……
悪い想像が心をかき乱す。ノエルがここに来る前から、レイはずっとルアンの名を呼んでいたらしく、彼女はノエルの横で祈るように座り込んでいた。
「……もう、こうなったら、無理やりにでも入るしかない」
力のある使用人に、扉を留めている金具を外すよう頼み、扉を取っ払ってもらう。主人の気持ちを慮り、部屋にはノエルだけが入ることとなった。
しかし、部屋を見渡してもルアンの姿はない。一瞬は戸惑ったノエルだったが、深呼吸をして冷静さを取り戻すと、奥の部屋に続く扉に目を向けた。
「……もしかしたら」
重い鉄の扉を力いっぱいにこじ開け、中に入る。地下に続く階段を降りていくと、初めてここに来た日を思い出した。紅月の夜、悪魔が暴れ出すのを必死に抑え込んで震えていたルアン。彼の瞳が赤く飲み込まれそうになっている光景が脳裏をよぎった時、そこに現実の光景が重なった。
「殿下!」
「……ノエル」
あの時と同じように、ルアンは自分自身を抱きしめながら痛みをこらえるように震えていた。しかし、あの時と違うのは、汗だくのルアンが、駆けつけたノエルを見てほっとしたように微笑んだことだった。
そこでようやく、ノエルはこの状況を把握した。
「申し訳ありません。明日が紅月の日であると分かっていながら、殿下を独りにするなんて。私、私……」
負の感情は悪魔にとって格好の餌となる。それが高まれば、たとえ紅月の夜でなくとも、悪魔は宿主を乗っ取り、暴走する。そんな分かりきっていることが頭から抜け落ちていた。
暗殺者の存在が知らされ、気が動転していたのかもしれない。ルアンの気持ちを尊重しようと思うあまり、自分の役目を忘れていたと、ノエルは猛省した。
―殿下はいつから悪魔と戦っていたんだろう。それも一人で
ノエルや使用人たちを心配させまいとこらえていたのかもしれない。そう思うと、勝手に涙が溢れてくる。
しかし、ぽろぽろと涙をこぼし、ごめんなさいと謝り続けるノエルをルアンはぎゅっと抱きよせた。
「泣かなくていい。ただ、今、私の側にいてくれるなら、それだけで十分だ」
ノエルに流れる月花の天使の血を悪魔は嫌う。だからこそ、ルアンの身体の中で暴れんとしていた悪魔はノエルが近くにいることでおとなしくなったのだろう。ルアンは体の痛みが安らいでいくのを感じ、ふぅと小さく息を吐いた。
「……私こそ、すまなかった」
ノエルを抱きしめたまま、ルアンが言う。耳元で聞こえた小さな声にノエルは戸惑ってしまった。
「どうして殿下が謝るのですか」
ノエルが問うと、ルアンは抱きしめていた腕を少し緩めて言った。
「昨晩、お前に冷たく当たっただろう」
「それは、仕方ないことですよ。自分を狙う刺客がいると知らされたんですから、誰も信じられなくなって当然です」
自分の身を守るためには、妥当な手段だとノエルは言う。しかし、ルアンはそういうわけではないのだと言って、首を横に振った。
「私は、決してお前を疑ったわけじゃない。私の混沌に巻き込みたくなかっただけなんだ」
そう言って、ルアンは静かに胸の内を明かしてくれた。
「私のことをよく思わない者がいることくらい分かっていた。いつかはその身を狙われるのだろうということも。……それなのに、ついに暗殺者が送られたと分かった時、私はとても怖くなったんだ」
ルアンの弱々しい声が、ノエルの心に痛々しく響く。
「……だが、それは、贈り主が父上であると分かったせいでも、自分の身が害されることへの恐怖感でもない。私と一緒にいるノエルにも危険が及ぶ可能性があると思ったからだったんだ」
暗殺者はもうすでに旧王城に送られている。ならば、その対象であるルアンと常に共にいるノエルにも危険が及ぶことになる。それをルアンは恐れたのだという。
「私が一人でいれば、暗殺者も私のことを狙いやすくなる。こうしていれば、隠れている裏切り者をあぶり出せると思ったんだ」
「だから、私に実家に帰ればいい、と言ったのですね。ですが、自分の身を囮にしようとしたのですか? そんな危険なこと……」
「護身のための訓練はしてきたつもりだ。だから、自分一人の身くらいは自分で守れる」
それでも、ルアンがわざわざ危険にさらされるなど看過できることではない。ノエルが反論しようとすると、ルアンは分かっているというように苦笑いを浮かべた。
「だが、暗殺者と一人で対峙する可能性よりも、己の中の魔物と一人で向き合う方が、よっぽど怖かった。ノエルが来るまでは、当たり前にしていたことだったのにな」
「……殿下」
「発作が起きて、身体の内側が熱く痛みだした時、最初に思い浮かんだのはノエルだった。……滑稽だろう? 傷つけたくなくて一人でいることを選んだというのに、結局私はお前を求めていたんだ」
実際、ノエルが駆けつけてくれたのを見て、ルアンはひどく安堵してしまった。その時彼は気付いたのだという。
「私はきっとお前を守る自信がなかっただけなんだろうな。一緒にいたいのなら、自分だけでなくノエルも共に守ると決心すればよかったものを。傷つけたくないという想いでごまかして、お前を遠ざけた。そして、心配までかけてしまった。母上の墓前で、お前を守ると誓ったのに、本当に情けない」
すまなかった、とルアンは改めて自分の弱さを謝罪した。
ノエルを抱きしめていた腕が緩み、ルアンはノエルに向き直る。こちらを見つめる碧い瞳は、不安げに揺れていた。彼の悪魔が再び悪さをしないよう、ノエルはぎゅっとルアンの手を握る。
「殿下、私を見くびってもらっては困ります」
「?」
「私は、代々悪魔を相手してきた家系の人間です。幼い頃から、悪魔に対峙するための身のこなしを学んできました。自分を守る術くらい、私にだってありますよ」
そう言って、ノエルはにっこりと微笑んだ。
「それに、私の役目は、殿下が悪魔に打ち勝てるよう支えることなのです。遠ざけられて、守られているだけでは困ります」
「それもそうだな」
随分一人で気負っていたようだ、とルアンが笑う。緊張がほどけたように柔らかい笑み。それでも、彼が背負っている痛みや恐怖は決して消えないのだろうとノエルは思う。
「では、改めてアンナ様の墓前での誓いをやり直しましょう」
そう言って、ノエルはしっかりとルアンの瞳を見つめた。
「私はこれから、悪魔だけでなく殿下の身を脅かすもの全てと共に戦う覚悟です」
ルアンから目を逸らさずに、強い覚悟を持って訴えるノエル。ルアンは彼女の想いを受け取ると、そっと微笑んで言った。
「ああ。私もこの先、何があっても、この身を尽くしてお前を守ると誓おう」
見つめ合う二人。改めて交わした誓いに気を引きしめるも、だんだんと気恥ずかしさがやってくる。しかし、ノエルが目を逸らしてしまいそうになった時、ルアンの様子がおかしいことに気づいた。
ふっと気が抜けたように、後ろに倒れてしまいそうになるルアン。頭を打たないように、ノエルが咄嗟に抱きとめると、彼は苦しそうに肩で息をし始めた。
―体温が高い。きっと一晩中、一人で戦っていた疲れが出たんだわ……
ノエルは意識が朦朧としているルアンに少しだけ頑張ってもらい、肩をかしながら彼の自室に向かって歩いて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます