四節 data.2027.10.31
1-1
「なんだって?」
「玲仁って、宇宙人なんでしょ?」
おっと、聞き間違いではなかったか。玲仁は困惑した。
確かに湊は、闊歩する仮装集団を眺めながらどこか上の空だった。奮発して予約した席についてからも、何かが喉につかえている顔をしていた。彼女の前のチューハイは少しも減っていない。もう少し喜んでくれると思っていた玲仁は、拍子抜けしてしまった。が、しかし。ここでめげている場合ではないのだ。きっと何かあったに違いない。まずはと注文した一杯目の酒が届いた頃、玲仁は思い至った。普段の彼女は、全くこんな感じではない。深刻な悩みでもあるのだろうか、相談に乗るべきか、と心配していたら、これである。宇宙人。ちょっと高めの焼き肉屋でする質問が、宇宙人。
彼女は大人になっても、不可思議なところを残していた。まあそこが魅力のひとつでもあるのだ、と玲仁は思っている。告白してくれたのは彼女の方、と知られると、十中八九意外と評されてきた。確かにその通りだ。当時の玲仁も、すぐに彼女が飽きてしまって終わるだろうと予測していた。今思えば、それは失礼な考えだったと言える。彼女は玲仁を真摯に愛してくれ、玲仁もそれに応えたいために努力した。何度も喧嘩をしたが、別れる事態にはならなかった。高校生からの関係がこんなに長く続いているなど、未だに信じがたい。自分のそばに、常にいてくれる存在がある。夢ならば覚めないで欲しい。
「そんなに地球上知的生命感がないのか俺は」
表情筋が引き吊っていないのを祈りながら、冗談めかして玲仁は答えた。どちらかと言えば湊の方が宇宙人を名乗るに相応しいんじゃないか、とは言えない。事実、湊は宇宙人なんかではない。お洒落にハロウィン要素を取り入れるのみにとどめた、普通の地球人だ。彼女は頭髪にアレンジを加えるのを気に入っていて、それゆえ常に一定以上の長さを保っている。今日は自慢の栗毛に、大人っぽいお化けカボチャの髪留めがあしらわれていた。
「宇宙人なら外を探した方がいい。ガチめのハロウィンコスプレイヤーの中に混じってるかもしれないぞ」
「そういうんじゃなくて」
湊が身を乗り出した瞬間、はきはきとした声と共に店員が生肉の皿数枚を置いた。無駄のない動きで襖を閉めると、残りの料理を隣の部屋に置いて去って行く。飲食店店員は忙しいのだ。
「忘れちゃったの?」
「何を」
「わたしの世界を守ってね、ていう約束」
「俺はいつだって、湊を守ってあげたいと、思ってる」
湊は答えなかった。そして、釈然としない様子で座り直した。せっかく恥ずかしいのを我慢して言ったのだが。
「湊の好きな牛タン塩が来たぞ。とりあえず食べよう。すぐ焼けるからな」
玲仁はトングを手に取り、とりあえず二枚を網に乗せる。いい肉は少しずつ置くのが定石だ。一度に乗せすぎると、捌ききれずに焦げる。ここはさっさと、美味しい肉を食べさせてしまうに限るのだ。美味しい肉を食べれば、酒が欲しくなる。酒を飲むと気分がよくなる。気分がよくなれば、空想的な疑念などどうでもよくなる。これにて一件落着。
「玲仁君、口上手くなったわよね」
「人前で喋らなきゃならん仕事を始めたら、誰でもこうなるだろう」
笑いながら、一枚目のタン塩を引っくり返す。玲仁は高校教員免許を取り、高校教師をやっている。教科は社会。現在二年目の秋。自分でも不思議だが、後悔はしていない。何となく行った大学で、頑張れば免許が取れそうだった。このまま何となく卒業するよりはと、思い切って飛び込んでみた世界だった。始めてみなければ気づかなかった部分は、たくさんあった。もちろんこれからも、たくさん経験するだろう。
湊と恋人同士になって、始めて分かった物事もたくさんあった。彼女は、玲仁が自分だけでは得られなかったものを与えてくれる。それも、惜しみなく。知らなかった物事を二人で体験していく、とても素晴らしい日々があった。魂は変えられないが、環境が明るければ精神は引っ張られる。彼女が側にいてくれるだけで、玲仁の運命が変わった。心の奥にこびりついた疎外感と孤独感は、こんなにも薄らいでいる。通勤の関係で今は別々に住んでいるが、いずれまた一緒に住みたいと考えていた。
焼けた肉を取り皿に入れて、湊の前に置く。彼女は小さく礼を言って、素直に口へと入れた。直後、綻んだ表情筋。飲み込んだのは早めだった。焼き加減は上々だったようだ。彼女の浮かべた表情に、玲仁もつられてしまう。自分のやった事で、彼女に喜んで貰えると嬉しい。もっと食べてもらいたい。
「学生の時は、すごく可愛かったのに」
「かわいかった」
思わず復唱してしまった。網の上で、熱に震える肉を凝視しながら。
「うん」
初耳だ。二枚目のタン塩を引っくり返す。少しくっついてしまい、取りづらかった。少し破けたタン塩を、ほどよく冷ます目的で小皿に乗せる。これは自分の分だ。
「あ、待って。間違えた。今も可愛いと思ってるわ」
「いや、そういう事ではなく」
過去形の表現に引っかかった訳ではない。動揺してしまっただけだ。玲仁はタン塩を口に入れる。少し固い。焼きすぎてしまったか。
「ねえ、覚えてる? 高校の卒業式の時に」
「集合権?」
四人の仲間内だけに通用する、実に子どもらしい約束だ。自分だけではどうにもならない困った事態に陥った時に、集合号令をかけられる。いざという時に助け合おう、という類いの趣旨を持った、一人一回だけ使えると定められた権利だ。今のところ、誰も使っていない。翔利と穂乃火は、まだ覚えているだろうか。玲仁も卒業式の話をされるまで、すっかり忘れていた。
「あれって、いつまで有効なのかしら」
「さあ」
「そういうところ決めてないのよね」
「子どもだったなぁ」
こういった他愛もない話題から始まり。牛タン、ハラミ、カルビにロース。美味しいものを大切な人間と分け合いながら、互いの近況や趣味の話をする。何と幸せな時間だろうか。何杯分かのアルコールも染み入って、二人で気分よく笑う。これで終われれば、よかったのだが。
「こんな場所でこんな話したら、気分悪くさせちゃうかもしれないけど」
消え入りそうな、湊の声。ところどころ焦げついた網に残った、肉片の跳ねた音の方が大きいくらいだ。言葉の途中で、彼女は黙ってしまった。そろそろ網を変えて貰おうと思ったが、タイミングを失った。玲仁はトングを置いて、テーブルの木目を見つめる。恐らく、肉を置いている場合ではない話題が来る。数秒後、勇気をもって先を促す。
「言ったらいい」
「怒らないでね」
「百パーセントの保証はできない」
「馬鹿正直な人」
湊は少しだけ笑んだが、心は笑っていないらしかった。玲仁の目には、どちらかと言えば寂しそうに映った。
「私と寝てる時、違う事考えてるでしょ」
なるほど、この話をしたかったのか。宇宙人とは酷い言われようだが。玲仁は納得した。他の女性の存在を疑われているのではない。玲仁に悪い意味でもいい意味でも器用さがないのは、彼女もよく分かっている。玲仁には、心辺りがある。
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