第40話 逆転劇



「前菜は、季節野菜をふんだんに使ったオードブルでございます。今が旬の夏野菜を召し上がりますと、病気にならないと昔から言われております」


 料理長が極力いつもの調子で料理の紹介をしたが、今回ばかりは「病気にならない」の決まり文句も、あながち誇張ではない。

 なぜなら【睡眠薬】入りのトマトを食せば、百年間は病気どころか老化もせずに眠りこけるからだ。


「スープは、カプチーノ風に泡を立てたタマネギとニンジンのポタージュです。クリーミーで大変飲みやすくなっております」


 料理長が説明するあいだに、料理人が王、王妃、王太子の順番に配膳する。

 そして、彼らの目が光ったのは、肉料理の紹介のときだ。


「ミディアムレアの最高級フィレステーキでございます。レバーペーストを載せて、その上から赤ワインのソースをたっぷりかけてお召し上がり下さい」


 この瞬間、ジェイコブ王太子の鼻の穴がわかりやすく膨らんだのを、コーデリアは見逃さなかった。


(テメー、人が死ぬのを想像して興奮してんじゃねーよ、このサディストの変態野郎が!)


 テーブルの向かい側から、胸の内で絶叫した。


(それにしても)


 とコーデリアは思う。


(朝っぱらから、なんて贅沢な食事だろう。このフルコースが朝食だという点で、飢餓に喘いでいる国民が何万人もいる以上、この王に為政者たる資格はい)


 すべての料理が並ぶと、コーデリアは席を立ち、王たちのほうへ近づいた。

 三人の皿から、前菜、スープ、魚料理、肉料理、デザートを毒見用に取り分ける。カフェだけは、全員分の入ったポットからカップに注いだ。


(大丈夫、手は震えなかった。さすがにサラダから取り分けるときは緊張したけど、いくら死ぬほど不器用な私でも、間違ってトマトを取っちゃうほどドジではない)


 コーデリアがトマトを選ばなかったことを、気にした者はいなかった。それよりも、肉を切って皿に移すときに、ちゃんとレバーペースもどっさり載せたのを見て、三人の鼻の穴はますます大きく膨らんだ。


 コーデリアの前に、豪華絢爛な美食が並んだ。


(もし、レオ殿下やランやエリナがいなかったら)


 コーデリアはしみじみ思う。


(私の命もこれまでだった。あの日、あなたに一目惚れしましたという王太子の嘘の返信に騙され、有頂天になった私は、罠にかかったキツネのように殺されるところだったのだ)


 ジェイコブ王太子が、まさに獲物を一心不乱に見つめる肉食獣のような目を、元婚約者に向けて言った。


「いよいよコーデリアが毒見をします。陛下よ、目前に迫った王太子妃の座を捨てて、王家に真の献身を捧げるために毒見役になる決意をした彼女の志を、どうか諒とされますように」


 芝居がかった、ヘドの出るような台詞。

 志を諒とだと? ふざけんじゃねえ。

 全部テメーが書いた筋書きだろうが!

 するとグレイス二世も、息子に調子を合わせて言った。


「むろん、彼女の美しい献身は、人の住むあらゆる土地で評判となり、シェナ王国で未来永劫語り継がれるであろう。余もそれが嬉しい」


 語り継がれるのは、テメーら三人の情けない百年の眠りだーーという台詞を、コーデリアは吐き気をこらえながら呑み下した。


(フン。まんまと騙したつもりだろうが、見事に騙されたのはそっちだからな。さてと、念のために【胃薬】も服んだし、天使が無毒化してくれたことだから、とことん味わって食ってやる!)


 コーデリアはフォークを取り上げると、フルコースの順番どおりに、もぐもぐむしゃむしゃと食べ始めた。

 前菜、スープ、魚料理が、きれいにコーデリアの胃袋に消える。

 いよいよ肉料理の番ーー


(来たっ!)


 王太子と王妃の視線が交錯する。


(ついに来ました、母よ。フグ毒の素晴らしい威力をご照覧下さい)


(ああ、ジェイコブ。あなたは言いました。食後二十分から三時間で身体がしびれはじめ、手足が動かなくなり、頭痛、腹痛、嘔吐、言語障害が起こり、やがて運動麻痺から倒れて呼吸困難となり、四時間から六時間で死亡すると。そのフグ毒ちゃんの素敵なショーが、いよいよ開幕するのね!)


 目は口ほどに物を言う。その点では、この母子の目は実におしゃべりだった。


 コーデリアは、そんなサディストの注視のもと、料理長のお薦めどおりにフィレステーキに山盛りにレバーペーストを載せ、その上からたっぷり赤ワインソースをかけて、生まれてからいちばんと言っていいほど大きく口を開けて、パクリとそれを食った。


 次の瞬間だった。

 

「う!」


 コーデリアが顔面を紅潮させ、手で口を押さえた。


(む? フグ毒は無味無臭なはずだが、何かに気づいたか?)


 王太子の眉間にしわが寄る。

 料理長が身体を強張らせる。

 するとーー


「う……旨っ!」


 料理長自慢の最高級フィレステーキの味に、思わず感動して声を洩らすコーデリアであった。

 王太子と料理長は緊張をゆるめた。


(驚かせやがって。しかしこれで、毒が確実に胃に入った。あとはその作用を待つばかり。早ければ、あと二十分で効果が現れる)


 王太子が、こぼれる笑みを抑えきれずにニヤニヤすると、つられて王妃がクスッとし、それにつられた王がプッと笑った。

 その「プッ」が、王太子のツボに入り、「アハッ」と笑うと、王妃がテーブルに顔を伏せた。

 笑いをこらえる王妃のひくつきで、テーブルの上の皿がカタカタ鳴った。


(こいつらマジか? 人に毒を呑ませるのがそんなに面白いか?)


 笑ってはいけないと思えば思うほど、涙が出るほど笑ってしまう三人を尻目に、コーデリアはデザートのゼリーとソルベに舌鼓を打ち、カフェのアロマを心ゆくまで堪能した。


「ごちそうさまでした。陛下、食事に問題はございません」


「毒見」を終えたコーデリアがそう告げると、ようやく笑いの収まったグレイス二世が、うむと鷹揚に頷いた。


(息子よ。コーデリアが毒を呑んでから、十五分ほど経ったが、もう少しで効き始めるか?)


(まあ、慌てず、じっくり待ちましょう)


 おしゃべりな目を持つ父子が、目でそんな会話をする。


「おい、料理長」


 ジェイコブ王太子が、おもむろに命じた。


「この肉は赤みが強すぎるぞ。火が通ってなかろう。交換せよ」


 それは、事前に料理長に伝えてあった予定どおりの台詞だったが、


(あの野郎。肉料理に毒を盛ったのを白状したも同然だな)


 と、コーデリアをさらにムカつかせた。


「コーデリアよ」


 王はことさらゆっくりと、いかにも時間を引き延ばすように言った。


「美しい毒見役は、食卓の華だ。余らが食べ終わるまで、そこに座っているように」


 どうせテメーも、毒が効いてきてのたうち回るのを見たいんだろ。という言葉は胸にしまったまま、コーデリアは黙って頷いた。


「スープと魚料理とカフェは、温め直して順番に持ってくるように。肉料理は作り直せ」


 王が料理長に命じたあと、三人は、やけにのんびりと前菜をつつき出した。

 早く食べ終わってしまうと、せっかくのショーが始まる前に朝食が済んでしまうからである。


(まだかな……)


 王太子は壁の時計を何度も見た。が、見るたびに、時計の針は五分も進んでいなかった。


(そろそろ手がしびれてこないか、まだか、まだか)

 

 無意識に首を捻るジェイコブ王太子。それを見てコーデリアは思う。


 残念でした。

 死なないよーだ!


 王も、王妃も、王太子も、ついにトマトを食べた。

 コーデリアの背中を電流が駆け上がる。

 が、表情は変えない。


(【睡眠薬】はいつ効き始めるのかしら。五分後? 十分後?)


 いちばん最初に、王妃が前菜を食べ終わった。

 その前に、スープの皿が置かれる。

 右手でスプーンを持ったとき、王妃の上体が前に倒れた。


「どうした?」


 また笑いの発作か? と思いながら、王が隣の王妃を覗き込む。

 しかし、今度はひくついていない。

 代わりに深い呼吸が聞こえた。


(……イビキ?)


 と不審に感じたとき、自らも猛烈な眠気に襲われた。

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