第36話 希望の青写真



 レオ第二王子の部屋がノックされる。

 三回、一回、三回……ニコラス・スミス宰相の合図だ。

 扉を開けると、体裁の悪そうな顔をした宰相が入ってきた。


「どうしても眠れなくて」


 第二王子の部屋に戻ってきた理由を、そう告げた。


「悪いほうにばかり想像が膨らんで、この無血クーデターの成功を危ぶんでしまいーー」

「ニコラス」


 第二王子は柔和に微笑んだ。


「僕もそうだ。もし失敗したら、という不安はある。しかし、僕もこうして眠れずにいたのは、それよりも先のことを考えていたからだ」


 そう語る第二王子の目は、輝いていた。


「もし成功したら、僕は改革をやる。農民の税は十分の一にしよう。働いたら働いただけ、彼らが豊かになるようにする。そうすれば、労働意欲が湧いて、生きることに喜びを感じるようになるだろう」


 第二王子は興奮していた。失敗への不安は、未来への希望によって厚く覆われていたのだ。


「外国から、新しい農具や技術を輸入しよう。それでかなり生産性は上がるから、税率を下げても心配ない。また教育改革もやる。たとえば女官のエリナだが、あれは優秀だ。貴族でなくても、ああいう子が学校に行けるようにする。そして女性でも、優秀ならば大臣になれるようにするのだ」


 第二王子の熱気が伝染して、ニコラス宰相も身を乗り出した。


「転生者のランのチートアイテムを使えば、医療改革もできますよ。あのポーチからどんどん薬を出してもらうのです。そうすれば、治療費や入院費は大幅に減り、病気による死亡率も格段に下がります!」


 素晴らしい、と膝を打つ第二王子。


「ではランには、厚生大臣をやってもらおう。いや、それだけじゃない。彼女は常人の百倍の力があって二百倍のスピードで動けるから、労働大臣も兼ねてもらう。さらに働く女性の象徴として、初代の女性活躍大臣にも就任してもらおう」


 と、美食を食べてゴロゴロする予定でいたランにとって、むごすぎる青写真が次々と描かれていった。


「いやあ殿下、楽しみですなあ」


 いつの間にか不安を忘れていた宰相が、レオ第二王子の手を握り締めて言った。


「どうせ今夜は眠れません。殿下もそうでしょう? こうなったら朝まで、未来について語ろうではありませんか!」



 ◆◆◆◆◆



 衛兵隊長コールマンは、天使によって、王の寝室の前に瞬間移動させられた。

 天使は煙のように消えた。暗い廊下に、銃剣とランタンを提げ、一人佇む衛兵隊長。

 迷いはまだ、続いている。


(今から俺は、陛下に嘘をつく。陛下に嘘を! まさか自分がそんなことをするとは……できるだろうか? その瞬間になったとたん、俺の唇はひん曲がり、陛下に対して真実の報告をしてしまうのではないだろうか?)


 自分で自分がわからなかった。

 嘘をつけるかどうかーー

 それはきっと、陛下の目を見た瞬間に決まる。


(チクショウ! なるようになれだ!)


 震える手で、ノックをした。

 永遠にも思える時間。

 やがて、扉が開いた。


「ああ、お前か」


 グレイス二世ーー国王陛下は、額に汗を浮かべ、コールマンを探るようにじろじろと見た。


「何の用だ?」


 コールマンは、雷に打たれたようになった。


(何の用だ、だって!?)


 忘れていたのだ、陛下は。衛兵隊長の自分に、王宮の巡回をして、異常がないかどうか報告せよとお命じになられたことを。


「あ、あの……」


 あまりのことに言葉が出ない。すると陛下の後ろから、鼻の頭に汗を浮かべたポーラ王妃殿下が顔を覗かせ、


「まあ、コールマン。ごめんなさいね。私の悲鳴が聞こえたんでしょう?」


 と、意味のわからぬことを言った。

 王妃殿下は妖艶に笑う。


「ねえ、あなた。彼は聞き耳を立てていたのよ。だからさっきの私の声を、悲鳴と勘違いしたのだわ」

「ほう、聞き耳を」


 陛下の目が、いやらしく細められた。


「国王と王妃の秘め事を盗み聞きするとは、お前も隅に置けないな。だが特別に許す。なんたって、余はお前が頼りだからな」


 陛下と王妃殿下からは、獣(けもの)のような匂いが漂った。

 このとき、コールマンの眼前に、不意に少年の顔が浮かんだ。

 一家心中を思いとどまった農家の、あどけない十二歳の長男の笑顔が。

 そして、その顔には愛を感じたのに対し、陛下と王妃殿下の汗ばんだ顔には、何も感じなかった。


「謹んでご報告申し上げます」


 衛兵隊長コールマンは、捧げ銃(つつ)の敬礼をして言った。


「王宮内を隅々まで巡回いたしましたが、異常はありませんでした」


 ここでようやくグレイス二世は思い出し、あ、そうかと言った。


「ご苦労。ではいつものように、朝まで余の寝室の警護をせよ。盗み聞きはほどほどに、な?」


 まるで気心を許した仲間に対するように、下卑た笑い顔をコールマンに向ける国王と王妃。

 しかし、衛兵隊長の心は、まるで天使の住む天と虫の這う地上くらいに、彼らから遠く離れていた。

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