第19話 毒殺準備



 ジェイコブ王太子は、毒物の研究をした。

 コーデリア・ブラウンを毒殺するためである。

 それはあの日ーー私をお妃に選んでほしいという、虫唾の走る図々しい手紙を受け取った日に、決定したことだった。


(どうせなら、いちばん苦しむと言われている毒にしよう。フグの毒だ)


 さまざまな本を調べた結果、王太子はそう決めた。本にはこう書いてあったのである。


・フグ中毒に特効薬はない

・致死率が極めて高い。

・フグ毒は無味、無色、無臭。しかしその強さは青酸カリの一千倍以上。

・煮ても焼いても冷凍しても毒性は失われない。

・食後二十分から三時間で身体がしびれはじめ、手足が動かなくなり、頭痛、腹痛、嘔吐、言語障害が起こり、やがて運動麻痺から倒れて呼吸困難となり、四時間から六時間で死亡する。


「いいぞ、いいぞ」


 ジェイコブ王太子はゾクゾクした。

 あのよくしゃべるコーデリアが言語障害になり、頭痛や腹痛に喘ぎ、ぶっ倒れて呼吸困難になり、苦しみ抜いて死んでいくさまを思う存分眺めることができるのだ!


(最高だ。これは絶対に成功させたい。父と母の堪能する様子が、今から目に浮かぶようだ)


 王太子は自ら厨房に足を運んだ。料理人たちはぎょっとした。王家の者が厨房に顔を出すなど、かつてなかったことだからだ。


 慌てて料理長が飛んできた。


「殿下、何か粗相がありましたでしょうか?」


 今年で五十歳になる料理長は蒼褪めていた。

 彼は勤続三十年のベテランで、料理の腕もさることながら、王室を心から崇敬する点で、常に料理人たちの模範でありつづけてきた人物だった。


「そうではない。ちょっと相談がある」


 料理長は蒼褪めたまま、厨房の扉をぴたりと閉め、王太子と二人きりで廊下に立った。


「料理長」


 王太子の目は、真っ暗な二つの穴のようだった。


「お前、フグ料理はできるか?」


 返事をためらう料理長。なぜ王太子殿下は、そのような質問をなさるのか?

 暗い瞳に魂が吸い込まれそうな怖れを感じながら、料理長は答えた。


「……はい。できます」

「そうか。フグの毒がある部位をよく知っているのだな?」

「それは、はい、知っています」

「どのくらいの量で人が死ぬかも知っているか?」


 料理長は、言葉に詰まった。


「えー、それは、ごく少量で死ぬこともありますし、そうでないこともありますが、私どもとしたら、ほんのわずかな量でも死ぬと考えてーー」

「では大量に食べたら必ず死ぬな?」


 料理長の額に嫌な汗が浮いてきた。いったい殿下は、何をおっしゃりたいのだろう……


「はっきり言おう」


 王太子は、極めて無表情に、淡々と言った。


「食べたら必ず死ぬとお前が思う量の、その十倍以上のフグ毒を、俺が頼んだときに、料理に入れてもらいたいのだ」


 料理長は後ろに倒れそうになった。もう少しで、気を失いかけたのである。


「返事はすぐしろ。やるのかやらないのか?」

「いたし……ます」


 何も考えずに出た言葉だった。貧血状態で、頭が正常に働いてくれない。


(フグ毒を料理に入れる……必ず死ぬ量……その十倍……つまりこれは……殺人指令なのか?)


「安心しろ。これは謀反ではない。それとも俺が父の殺害を依頼したとでも思ったか? え?」


 ジェイコブ王太子は、まるで上手いジョークでも言ったかのように笑った。料理長を悪寒が襲う。


「できると言ったんだから、やるしかないぞ。お前の王家に対する忠誠はよく知っている。だから頼むのだ。わかったな?」


 料理長は震えながら頷いた。

 これがほかのことであれば、王太子殿下直々の頼み事を躊躇する理由はない。むしろ両手を挙げて、ぜひ私めにさせて下さいと、涙を流してありがたく承ったはずだ。


(でもさすがに殺人は……軍人でもない私に、人が殺せるか? 無理だ。できない。やりたくない。もし断わったら、私は死刑だろう。それだけならいいが、家にいる妻も、二人の娘も、きっと反逆罪で処刑されるに違いない。嗚呼……私はどうしたらよいのだ?)


「どうした。さっきから蒼い顔をして。人を殺すのが怖いか?」


 怖い、などと言うものではない。人が痛がったり、血を流したりするのをチラッと見るだけでも嫌なのだ。

 自分は料理人だーーと料理長は思う。

 人が美味しい料理を食べ、嬉しそうな顔をするのを見るのが生きがいだ。その自分が、料理で人を殺す? 冗談じゃない。三十年間も料理人として御奉公してきて、そのようなことのできる人間に見られていたとは、何と情けないことか……


 料理長は泣いた。情けなかった。自分が心から崇敬していた王太子殿下は、こんなお方だったのか? 料理長に毒入り料理を作れと命令なさるとは。そんなことは、軍人か暗殺者に頼んでくれ!


「おいおい、泣くなよ。男だろ? なに、殺すのはたった一人だ。しかも王家の者ではない。俺の婚約者さ。どうだ、これで気が楽になったか?」


 料理長の背中を電流が走る。

 まさかーーコーデリア様!?


 正式な発表はまだだったが、ほぼ婚約者に内定している彼女は、何度も王宮に招かれて食事をした。その都度配膳をしたのが料理長であり、近くでコーデリアの美貌を一目見たときから、すっかり彼女のファンになっていたのだ。


(美しい王太子妃の誕生に、きっとコーデリア妃フィーバーが起こるぞと、妻や娘にも話したあの名門ブラウン家のお嬢様をーー私が毒殺する?)


 気がつくと、厨房の扉に寄りかかっていた。一瞬気絶したのだ。が、ジェイコブ王太子は、料理長の激しい葛藤など意に介したふうもなく、


「婚約発表したら、数日以内にやる予定だ。しっかり準備しておいてくれ。もしあいつが死ななかったら、お前が命令に背いたものとみなす。いいな、反逆罪は重罪中の重罪だぞ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る