第16話 恋の火種



 毒見役の選定の日が決まった。

 ジェイコブ王太子とコーデリア・ブラウンの婚約発表という一大イベントの、四日後。

 すでにニコラス・スミス宰相が、残りの六名の候補者選びを終えていた。いずれも容姿は整っているが、どことなく輝きのない娘ばかりであった。


「絶妙な人選だな。これでランの髪型を父好みにし、父好みの服を着せたら選ばれること間違いなしだ」


 首尾よくランが毒見役になったら、食事の毒見をするときに、目にも止まらぬ早業で料理に【睡眠薬】を入れる。ランのすばやさは常人の二百倍あるので、その手の動きが人間に見えるはずはなかった。


 レオ第二王子は自信を深めていた。

 が、ただ一点、心の隅に晴れないものがあった。

 兄の婚約者ーーコーデリアの存在である。


(婚約発表が済めば、彼女も王宮に住み、父や兄と同じ食事をすることになる。父と母と兄には眠ってもらうが、彼女はどうしよう。国民に何も悪いことをしていない彼女まで、百年の眠りに就かせてしまっていいものか……)


 心優しい第二王子は、そのことを気に病んだ。


「大事の前の小事。王太子の婚約者など気にして計画を鈍らせてはなりません。一緒に眠らせてしまいなさい」


 ニコラス宰相は強硬に主張した。レオ第二王子も、結局はそれに同意した。

 ところが、婚約発表のために催された舞踏会で、図らずもコーデリアに農民の悲惨な現実を伝えることになったとき、


『……それは、知りませんでした』


 兄の婚約者は目を真っ赤にした。初めて知った農民の窮状に、心を痛めたのである。

 この瞬間、第二王子は胸を打たれた。


 この人は、ほかの貴族令嬢とは違う。

 奴隷である農民に同情する心を持っている。

 あまりにも美貌を鼻にかけるから、高慢な女性だとばかり思っていた。

 本当はーー心の美しい女性だったのだ。


(もし自分が新しい王となったら、彼女のような、奴隷の気持ちを思える女性をパートナーにしたい。この国を変えるのにもっとも大事なのは、我々トップがそういう心を持つことなのだ)


 第二王子の胸に、温かい火が灯った。

 それは恋の火種であった。

 しかも、彼は極めて純情であったので、ひとたび好意を持つと、まるで世界中に女性はコーデリア一人しかいないかのようになり、その恋に火傷するほど胸を焦がされた。


(彼女は決して眠らせまい。ニコラスが何と言おうと)


 兄の婚約者の処遇が、第二王子にとって小事ではなくなった。むしろ、日に日に大事になっていった。


 やがて、毒見役の選定の日になった。異例なことに、その場にジェイコブ王太子とレオ第二王子も呼ばれた。


「どうだ、レオ。お前ならどの女を選ぶ?」

「誰でも」


 王太子の問いに第二王子はムスッと答えた。こんなことには関心がないし、女の顔など見たくもないという態度で。

 しかし、心臓は早鐘のように打っていた。間違いなく選ばれる、と信じてはいても、そう決まるまで緊張に喉はカラカラだった。


 グレイス二世がランを指名した瞬間、第二王子の口からフーッと息が洩れたのは、そういう事情があったからだ。が、それを知らないジェイコブ王太子は、「何だ、弟もやっぱりランに注目していたのだな」と思っただけだった。


(ランはこのあと後宮に入る。今夜遅く打ち合わせをしよう。父と母と兄の料理には薬を入れ、コーデリアさんのには入れない。この程度のことをランが間違えるとも思えないが、いちおう念を押しておかないと)


 ジェイコブ王太子がランに一目惚れして、頭の中が菜の花畑になっていたとき、レオ第二王子の脳裏には、農民に同情して涙したコーデリア・ブラウンの顔がちらついていた。


(父と母と兄が【睡眠薬】に倒れたあと、コーデリアさんには何と言おう。婚約者は今後百年間は目覚めません。ですから、どうぞ実家にお帰り下さい……)


 第二王子は首を振った。


(それは男らしくない。ただのやせ我慢だ。フラれてもいいから、どうぞ新しい国づくりを手伝って下さい、僕のパートナーになって、と言ったらどうだ?)


 第二王子は首を捻った。


(いや、いきなりパートナーなんて言っても、とまどわせるだけだ。なんせ僕は、彼女にずっと冷たくしてきたのだ。それなのに、兄が寝た瞬間に「結婚して下さい」じゃあ、人格破綻者かと疑われてしまう。ああ、恋とは何と難しいのか。クーデターの百倍難しい……)


 ランの王宮入りを果たし、作戦の成功を確信したとたん、第二王子の心の比重は、目覚めたばかりの恋にすっかり傾いてしまった。


 第二王子が自室にこもって、コーデリアさんにどう言おう、こう言ったらどうだろう、などとシミュレーションしているあいだに、兄の王太子は矢も盾もたまらずに後宮を訪れ、


「新しい毒見役と話がしたい」


 と言って、女官のエリナを驚かせていた。


 その数時間後、晩餐のあとに、第二王子は人目を避けて後宮に行った。


 後宮では、王と王太子は蛇のように嫌われており、純情で奥手な第二王子は「かわいい」と大人気だった。

 なので、密かに後宮を訪ねても、それを王や王太子に告げ口する者はなく、また彼を「女に興味のない弱々しいやつ」と決めつけている父と兄は、第二王子が後宮にいるなどとは想像もしなかった。


 彼はランの牢獄のような殺風景な部屋に入った。

 そして、意外すぎる話を聞き、頭が真っ白になった。


「何ということ……」


 ここまできて、クーデター作戦の変更を余儀なくされたのだ。

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