天気雨
校舎玄関。靴箱の前で私は佇んでいた。
スマートフォンを見る。
夕方から小降りの雨が降るでしょう。
顔を上げる。しとしとと雨が降り、外は灰色に染まっている。さっきまで聞こえていた吹奏楽の音や、雨にはしゃぐ運動部の声が嘘みたいに静か。雨のじめっとした匂いと玄関の砂っぽい匂いが漂う。
ため息をつく。
はあ、最悪だ。
朝、急いで出てきたから、折り畳み傘もレインコートも持ってきてない。強い雨ではないが、このまま帰ろうとすればずぶ濡れになってしまう。
靴箱に背を預けて、滑るようにしゃがみ込む。
なにやってんだろ、私。
高良を落とさないといけないのに、昼は七海から逃げ、放課後は先輩から逃げた。で、現在は立ち往生、と何一つとして上手くいかない。
ほんと、なにやってんだろ。
何回も同じことを思う。それもまた、なにやってるんだろう、だ。
ぼーっと、外を眺める。ただただぼーっと。特に何を考えるでもなく、ぼーっと。
「あれ? 美鶴?」
声が聞こえて、顔だけ向ける。そこには、不思議そうな顔をした高良がいた。
何となく、居心地が悪い、と感じる。だけど表には出さないように笑顔を向けた。
「あはは。天気予報見忘れて、雨具持ってきてなくて」
そう言うと、高良は優しい笑みを浮かべる。そして鞄から折り畳み傘を取り出し、私に差し出してきた。
「じゃあ、使う?」
「いいの? 高良は?」
「いいのいいの。俺は男子高校生だからさ、濡れるのが仕事みたいなとこあんから」
私に気遣わせまいと、冗談口調で言っていた。本当にいいと思っているのも伝わっている。だけど。
「いや、流石にそれは悪いよ。雨止むまで待ってるから大丈夫」
「そっか。じゃあ俺の話し相手になってくれない? 家帰っても暇だからさ〜」
また私に気遣わせまいとそう言ってくれたのだろう。それに、私を一人置いて帰れない、そう思ってくれていることがわかる。
何でこんなに優しいかなあ。
今日はたまたま高良が気遣ってくれていることに気づいたけど、これまでも気づいていないだけで色々優しくしてくれていたんだろうな。
胸がとくんと鳴り、全身にふわっと甘い痺れが走ったような気がする。そのせいか、甘ったれた私が顔を出す。
「相合い傘で帰らない?」
高良は顔を赤くして目を泳がせたけど、いいよ、と頷いてくれた。
お互いに靴を履き替え、玄関を出る。高良が傘を開いたので、肩を寄せて入る。
小さな傘だから、肩と肩が触れ合う。男の子らしくちょっと硬くて、でもそれが安心できて、伝わってくる温もりは心地が良くて、ずっとこのまま触れていたいと思ってしまう。
「でさ……」
「あはは!」
歩きながら、何でもない話をする。楽しくて笑うけど、内心のちょっぴりした緊張は抜けなくて。高良もそうだといいな、なんて思いながらまた別の話をする。
校門を抜け、いつのまにか、河川敷。川はいつもより少しだけ荒い。青い芝生は水滴が滑り落ちたり、雨が弾かれたりして輝いている。
雨もおさまってきたかな、と思って見上げると、私の方に傘が傾いて、私が濡れないようになっていた。気遣ってくれている、と思えば、何の気なしに歩いていたけれど、それは歩幅を合わせてくれていたのだと気づく。
あぁもう、本当に。
くっとこみ上げてきた瞬間、急に世界が明るく開けた。
「あっ、晴れた」
空を見上げると、灰色の雲はどこへやら。薄い青の空に茜色の夕日が照っていた。
「でも、雨はまだやんでない。天気雨、狐の嫁入りって言うんだっけ?」
晴れているのに、雨が降っている。
私は足を止めた。
「? どうした、美鶴?」
大きく息を吸い込んで、口を開く。
「あのさ、高良」
「うん?」
「好きです、付き合ってください」
心臓の鼓動が速い。時が止まったような感覚を覚える。
1分、2分……1時間。
体感それくらいの長い時が流れて、高良は口を開いた。
「ごめん」
唇を噛む。
「俺も美鶴のことが女の子として好きだと思う。この前、美鶴に好きって言われた時に、好きって返せた。それはやっぱり、美鶴のことが好きだからだと思う」
だけど、と高良は続ける。
「俺の美鶴への想いはここ数週間のもので、子供の頃からの美鶴の好きとは重さが違うって感じた。情けない話だけど、まだ美鶴の好きと同じ好きを返せる自信がない」
そして高良は頭を下げた。
「美鶴と同じ好きを返す自信がないまま付き合うのは、これまた勝手で独善的だけど、自分で自分を許せない。だから付き合えない、ごめん」
別に返さなくてもいい。そう言えば付き合えた。でも私は。
「あはは。そっか。じゃあ、仕方ないね!」
笑って、傘の下から出て。
「ここまででいいよ! じゃあまた明日!」
走り出した。
こみ上げてくるものが溢れないように空を見上げる。
空は晴れているのに、雨は止まなかった。
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