3、突然の訪問と贈り物 8

「お嬢様。ハロルド様がおみえになりましたよ」

「え、もう時間になるの!?」


 身支度は出来ているのに、何かが足りないような気がして、等身大の鏡から離れられないでいた。

 ハロルドからもらった青い宝石のネックレスに合わせたディドレスは仕上がったばかりの新品。

 どれも素敵で、ティアンには勿体ない。

 数あるドレスのデザイン画からティアンが選んだものだけれど、どうしてか、しっくりきていないような……。


「ねえ、サリマ。おかしいとこない?」


 ティアンはもう一度身なりを見回して、侍女に泣きついた。


「お可愛らしいです。ハロルド様が目を奪われてしまうのではないですか?」


 サリマは宝飾入れにに鍵をかけて、ティアンを絶賛した。


「そっ、……そんなこと、ないわよ」


 動揺して、声がうわずってしまった。ハロルドがそうなる姿が想像できない。


「シックなデザインのドレス、お嬢様がお選びになるのは珍しいですが、とてもおとなびてみえて、素晴らしく……素敵です」


 その褒め言葉、ハロルドに言って欲しかった。ハロルドが同じように褒めてくれても、嬉しさが半減してしまいそうだ。

 頬を一気に赤く染め上げ恨めしく侍女を睨む。

 わずかな沈黙は気になるところだが、あえて聞き流した。



 ドレスはハロルドの隣に立つために、真剣に悩んで決めたもの。仕立て屋の仕事を疑うわけではないのだけれど、はじめてのデザインはティアンを不安にさせていた。

 着慣れたドレスに替えるにはもう時間がない。

 懸命に縫ったハンカチの包みを忘れてないか、もう一度確認して、部屋を出た。


 階段を降りていくと、エントランスでハロルドが待っていた。階段をゆっくりと降りてくるティアンに気がつくと、柔和に微笑んで片手を上げる。


「やあ、ティアン」


 階段を登ってきてティアンの前に立つと、レースが施された水色の手袋をした手をとり、口付けた。下から見上げてくる目が無邪気な子供のようで、目が晒せない。


「ティアン、とても綺麗だね。――あまり見ないデザインだけど、新しいドレスかな?」

「ええ、ネックレスにあわせて」


 ハロルドはもう一度ティアンをみつめる。


「とてもよく似合ってる。ティアンのためだけのドレスのようで、一瞬見惚みとれてしまったよ」


 上目遣いに片目を瞑って微笑んだ。

 さっきまでの不安を一気に吹き飛ばしてくれる賛辞を受け、ティアンはそっぽを向いた。


 オリジナルを頼むような散財はしたくなくて、既成のデザイン画から選んだ。違いを出そうと、レースや刺繍を増やしてみたりして。他の令嬢と同じものにならないにしても、元のデザインは既成のもの。追加した刺繍とレースも既成のデザイン。それでもハロルドの世辞はやまない。


 想いが通じ合ってから、ハロルドは遠慮がなくなった。

 通じ合う前からも遠慮はなかったが、言い方悪く言えば図々しくなった。

 世辞が続く彼の口を両手で塞ぐ。


「お願い。もうこれくらいにして下さいませ」


 弱々しく訴えると、まだ言い足りないと目で訴えられてしまった。


(まだ足りないっていうの……)


 褒められすぎて、頬が真っ赤に染まった。

 侍女に褒められた後の賛辞は、嬉しさが半減するどころか、ハロルドはその上をはるかにいっていた。

 エントランスには、従僕がいる。過剰すぎる讃辞はティアンが恥ずかしい。

 こんな人だっただろうか。


「恥ずかしすぎるの……もうやめて」


 これ以上はティアンがもたない。


「ハロルド様。娘のためにも、そのくらいにしてやって下さい」


 みかねた父が助けてくれた。

 振り向くと、微笑ましい恋人たちのじゃれあいを、エントランスに出てきていた両親が、生暖かい目で見守っていた。

穴があったら今すぐに入ってしまいたくなる。


「仕方ありませんね」


 両手をゆっくりはなすと、言い足りないとハロルドは不服そうだった。


 手が取られて彼の腕に誘導された。細く見える腕は意外にもがっしりとしていた。

 兄と違う筋肉のつき方。思わず、手を伸ばして……。


「気になるなら、あとで存分に触るかい? ティアンになら、僕……」


 ハロルドがかがみ込んで。目と目が、一瞬合う。

 今度はハロルドが頬を薄く桃色にして、恥ずかしがっているけれど、その訊ねる声は幾分か弾んでいるのに、ティアンは気づかない。


「なにをおっしゃってるの、こんなところで……」


 先に逸らしたのはティアンだった。

 廊下で気配を殺して立つ屋敷の人たちに生暖かい目を向けられていた。

 ここはまだ、屋敷のエントランス。

 馬車に乗ってもいないのだ。

 両親や屋敷の者たちがいることを、すっかり忘れていた。小さい頃からどんなことも知っている人たちに見られている。これほどに恥ずかしいことがあるはずがない。


「遠慮はいらないよ? 僕、ティアンだったら……」


 笑うのを必死にこらえている顔を見て、ようやく悟った。揶揄われている、と。

 相手の家でも余裕のある人はこうも違うのかと思うと悔しい。

 ティアンに余裕なんてとっくにない。


「いい加減になさいませ! 結構ですわ!」


 頬を膨らませる婚約者の姿を、ハロルドはお腹を押さえてとうとう笑いだした。

 どこから揶揄われていたのか分からない。


「笑わないでくださいません!?」


 ぺちりと手近な腕を軽くはたいたあと、扇を広げて、赤い顔を隠した。


(一日もつかしら、私……)

 とても自信なんてない。



 タイタリア家の馬車に乗り、向かった先はハロルドと以前訪れた宝石店。

 内密にハロルドのカフスを頼んでいた。

 頼んであるというより、取置きをしてもらったと言った方が正しい。

 とても良いデザインのものを見つけたまでは良いが、お金を持っていなかった。


 本当はもう少し早く来店できる予定だった。

 フレデリー家屋敷へレオンが手順を踏まずにやってきたことで、やはり社交界に新たな話題を提供してしまい、屋敷から出られなくなってしまった。


 誰が情報を流したのか、貴族のゴシップを好む新聞記者が屋敷の外に現れ、馬車が屋敷へ入っていくたびに影から逐一紋章を確認していく。

 いち早く気がついた従僕のおかげで、ハロルドへ内密に知らせた。ハロルドの馬車をみただけで、面白く可笑しく書かれてしまう。


 コーヒーという嘘の中に角砂糖くらいのちいさな真実が隠されているゴシップ紙に、何を書かれるかわからない。不愉快な内容を書かれてしまうのだけは避けたかった。


 抗議しようにも、貴族の色恋沙汰を新聞の肴にして何が悪いと言わんばかりに嘲笑われる。こちらにも、餌を与えてはならない。

 ようやく解放されたのがつい数日前。新聞記者はどこに潜んでいるかもわからない。油断はまだできない。


 ハロルドにしてみれば、あまりに不愉快だったのだろう。馬車の中ではティアンに寄り添っていた。


「腕、触ってもいいよ? 誰もみていないから」


 屋敷のエントランスでの恥ずかしさは、いまだに残っていて。


「いっ、いりませんわ!」


 咄嗟に断ってしまった。


「遠慮は良くない。ティアン、さあ、いいよ」


 腕を差し出されても、そんなの嬉しくない。

 堂々と触るのじゃなく、時折、腕に添えた手から、筋肉を感じるのがいいなんて、こんな独特な好みを知られたくない。

 けれど、ハロルドは両腕を広げてなお、そっぽをむき続けるティアンに痺れを切らして腕を回してくる。


「ティアン?」


 気持ちを確かめ合ってから、ハロルドはよくティアンに触れてくるようになった。

 気のせいなんかじゃない。

 その度に、わずかな緊張と、嬉しさと心地よさを感じてしまい拒むどころか受け入れてしまう。


「遠慮はしておりません。ただ、添えた手で触りたいだけですの!」


 腰に腕がまわっていて、逃げ出せない。観念して、捲し立てた。

 こんなこと知られないようにしていたのに、見つかってしまって、恥ずかしさが最高潮に達している。


 せめて頬が染まった顔を見られたくなくて、頭を胸に押しつけて隠しながらも、離してほしくなくて、回された腕に手を添えた。

 いま離されたら、顔を見られてしまう。


「僕はそんなティアンを隠れて堪能するとしよう」


 腕の逞しさにひそかにときめく姿を見られるなんて、見られたくない!

 止めなければきっと毎回、ティアンを盗み見て、揶揄われてしまう。


 学生だった頃のハロルドがティアンを揶揄いながらみせる不敵に笑う笑みを思い出して、知られたくなかった悔しさに襲われる。


「やめてくださる!?」


 ばしんと軽く腕を叩くと、ぎゅうっと、さらに抱き寄せられた。


「やめないよ。恥ずかしがるかわいい姿も、少し怒るかわいい姿も、全部俺のなんだ。他の人が楽しむのは許せない」

「なにをいっているの!? やめてくれる!?」


 恥ずかしくて、言葉だけ必死に取り繕っても。


「そうやって気丈に振る舞うところも、僕に対してだけと思うと……かわいい」


 ティアンのことはお見通しだとばかりに、全く効いてもいないどころか、機嫌のいい声で何度もかわいいと囁かれて、そんな言葉にも、恋しく胸が締め付けられてしまい、どうしようもない。


「ちなみに聞くけれど。僕だけなんだよね?」

「あなた以外、誰の腕に身を委ねることがありますの!?」

「ライアン」


 不服そうに、少し、いじけながら、でもはっきりとその人以外にいないと、兄の名前を出してくる。


「兄さまでしょう。何か問題ありますの」


 ティアンにとって、兄はどんな窮地も幾度も救ってくれた大切な身内だ。


「キミ……自覚、ないの?」

「なんのですか?」


 首を傾げる。


「異常に兄にべったりすぎるの、ちょっと自覚もってくれる?」

「普通ですけれど?」

「普通じゃないから言ってるんだけど? どうしてわからないのかな?」


 がっくりと項垂れたハロルドから、いままでの不服を散々に聞かされた。

 兄という絶対的で強敵すぎる相手に打ち勝てる自信を無くすほどに、ティアンはライアンを頼っていて、ライアンもまた、ティアンを第一として拒絶しなかった。

 思い返せば、ティアンの甘えを兄は、笑って許してくれていたように思う。


「兄妹揃って、どっちも溺愛しすぎていて、困るよ、本当に」


 ハロルドがティアンに一歩を踏み出す勇気をださせなくさせていたほどに、ティアンのライアンへの兄愛が強いかを教えられた。弟コンラッドに対するものよりも。


 ティアンの中で、兄はどんな時にでも頼れ、弟は可愛い子としか認識していない。


 兄の婚約者で、友人でもあるアメリアにも、たまに言われてはいた。「ハロルド様も大変ね」と呆れられて、忠告されていたのだ。

 どれがアメリアに嫉妬を感じさせるものなのかわかっていなかった。ハロルドに言われてようやく気がつかされて、心の寛大な友人に感謝と、申し訳なさに気落ちする。


 結婚も間近の友人――近く義姉となるアメリアに次会った時には精一杯の謝罪をしようと心に誓った。

 当然ながら、ハロルドにも。

 こんなにも、友人に嫉妬をさせていたなんて気づかなかった。



「ごめんなさい。気をつけるわ」


 どう気をつければいいか、まだわからないけれど、まずはライアンよりも先に、ハロルドを頼ることにしようと決める。


「俺のためにも是非そうしてくれる?」


 愁傷に謝ると、少し安堵の笑顔を向けられた。

 その笑顔に胸が恋しくしめつけられたなんて、教えてあげないけれど。

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