四章 ラハタとセティヌ 第十話
セティヌの屋敷を出て、ケヤクは自宅へと戻る道を歩いていた。まだ日は高いが、今日は夜までする事がない。ジナンは畑に出ているし、シャミルも家の仕事を手伝うと聞いている。
まだ成人していないケヤクと違い、ジナンは既に十八。セティヌから畑を貸し与えられている。セティヌからは耕しても耕さなくてもどちらでもいいと言われてはいるが、ジナンは亡くなった彼の父同様、畑仕事を楽しそうにやっている。
――いや、実際、楽しいのだろう
誰かが死んだり、誰かを殺す必要がない。そういった仕事の方が楽しいのが普通なのだ。今、この国は竜がいなくて苦しいが、そのうち竜も生まれるだろう。そうすれば、畑の実りも格段に良くなる。土と水を相手に働き、働いた分、生活が楽になる。何かを壊すのではなく、何かを作る仕事の方が尊いのは当たり前の事だ。
自分も十八になれば、畑を借り受ける事が出来る。しかし、ケヤクには自分が楽しそうに畑を耕す姿を想像できなかった。自分が耕すであろう畑は、結局は貴族の持ち物で、自分は家畜と変わらないのではないか――ついそう考えてしまうのだ。
それに――まだ誰にも話したことはないが――襲撃に高揚する自分がいる事にケヤクは気づいていた。普段、決して出てくる事はないのに、襲撃の度に自分ではない誰かが顔を出す。これが自分の元々、持っていた性なのか、それともセティヌの教育によるものなのか、ケヤクには分からなかった。
「ケヤク!」
どん――と腰の辺りに何かがぶつかる感触がした。我に返って自分の腰を見てみると、子供が巻き付いていた。
「ティタか」
えへへ、と笑って見上げる顔。隣村に住むイリエンの弟であった。
「よう、ケヤク」
後ろから彼の兄が歩いてきた。
「野菜をもらいに来て、もう帰るとこだったんだが、そいつがお前を見つけてな」
「なあ、ケヤク、俺も兄弟団に入れてくれよ!」
「駄目だって前に言っただろう」
「いいだろー!? 俺だってちょっとは働けるぜ!」
「お前は父さんたちの仕事を手伝わなきゃダメだろ」
イリエンが呆れたように言って、ティタを引き剥がした。
「今日は一人か?」
「ああ、ジナン達は畑に出てるよ」
「収穫期だからな。俺たちの本来の仕事だ」
「なあ! 剣教えてくれよ!」
と、なおも食い下がるようにティタが言った。ケヤクは問うた。
「お前、いくつになった?」
「十!」
イリエンは確か八人兄弟だった。長男のイリエンが二十二、末弟のティタとは十二も離れている。間にいた兄妹たちは皆、病で亡くなった。
ケヤクは小さく溜息をついた。
「イリエン、ちょっと寄っていかないか」
ケヤクは自宅にある木剣をティタに渡し、外で遊んでいるように言って、イリエンを中に入れた。
「次はメイルローブだ」
「ほう」
「驚かないのか?」
「でかいなとは思うが、勝算があるんだろ? どっちの案だ?」
言いながら、イリエンは遠慮なしに部屋の椅子に腰かけた。
「じじいだ。鷲獅子を十頭調達して、空から盗みに入る」
「鷲か! そりゃ楽しみだ」
「乗りたいか?」
「まあな」
イリエンは腕が立つ。馬術も上手く、勇敢で、皆に信頼されている。
「だが、今回も二班に分かれる。片方は地上で陽動をしなくちゃならない」
「なんだ、俺は地上で留守番か」
イリエンは不満げに言った。
「今回の目的は殺しじゃない。鷲獅子部隊は突入したら、盗れるものを盗ってすぐに逃げる。下でひと暴れする方に腕がいい連中を集めたい」
ふーむ、とイリエンは腕を組んだ。
「一番、腕がいいのはお前だが……、さすがにお前は上の指揮をしなくちゃならんだろう。仕方ない、汚れ仕事は引き受けてやる」
その言い草にケヤクは思わず笑った。
「恩に着る。お前の班で馬が上手い奴は誰だ?」
「コハ、トルト、カシユ……あとはシラズだな。シラズは剣も弓も全然だが、馬だけは上手い。多分、鷲も乗れるだろう。持ってけ」
「シラズは怪我をしたって聞いたぞ。大丈夫か?」
「あいつ剣を抜いた時に慌てて自分の足かすめちまったんだ。全然、大した事ないから問題ない。あいつの腕じゃ陽動部隊に入れても邪魔になるだけだ。上で使ってやれ」
イリエンは笑いながら言い、続けた。
「陽動するなら、シャミルが欲しいところだが……、魔法は上でも必要だろ?」
「そうだな。シャミルは上で使うつもりだ」
「ま、どうせあいつはお前の言う事しか聞かないしな。それでいい」
「明日にでも人選を固めて連絡する。選ばれた奴はしばらく訓練することになるから、お前の村の連中にはそう言っておいてくれ」
「分かった」
「それとティタの件だが、当然入れる気はない」
イリエンは、なんだ、そんな事か、と気が抜けたような顔をした。
「当たり前だろう? あいつはまだガキだ」
「何であんなガキが入りたがるんだか……。俺たちの仕事なんかつまらんだろう」
「ほう? つまらんか?」
イリエンの意外そうな声にケヤクは首をかしげた。
「お前は楽しいのか?」
「いや。ただ、お前は時々、楽しんでいるように見える事があるなと思っただけさ」
ケヤクはどきりとした。
「最初はあれほど見事に斬り倒していくもんだから、楽しんでいるのかと思ったが、襲撃が終わるといつもげんなりとした顔をしている。それはちょっと不思議だな。それに、怖いというならまだわかるが、つまらんというのもぴんと来ない」
「おかしいか?」
「おかしいというより、俺たちにはそんな余裕はないのさ。兵士がわんさかいるところに斬り込んでいくんだ。普通はとにかく怖いだろう。楽しいだのつまらんだの考えている余裕はない。俺たちはお前の熱に浮かされて突っ込んでいくだけさ」
ケヤクは腕を組んだ。
「ま、お前は十歳でラハタを討ったやつだからな。俺たちとは神経が違うのかもしれん」
そう言ってイリエンはまた笑う。
十一だ――と、ケヤクは言いかけてやめた。イリエンは軽口を叩いては自分で笑う。その笑いは朗らかで、ケヤクが一番好きなところだった。
「つまるつまらんはともかく、伯爵のおかげで俺たちの暮らしは助かってる。悪徳領主を討てば、その村や町も助かる。俺たちがやった事でちったあ何かが良くなるなら、意味があるってもんだろ」
「別に俺は世直しのために始めたわけじゃないぜ?」
イリエンはにっと笑ってケヤクを見た。
「知ってるさ。お前も俺も自分のためにやってる。でも、それで助かる人間もいるんだ。正義だなんだってのは所詮、後付けの屁理屈さ」
よし、と言って、イリエンは立ち上がった。
「じゃあ、俺はそろそろ帰るぞ。遅くなって獣に食われたらかなわん」
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