――氷竜候がいれば、懲罰ものだろうな

ターバリスは捕虜を野営地に拵えられた牢に入れ、うなだれる捕虜たちを一瞥した後、自らの天幕に足を向けた。ドアン卿は実に勇敢であり、かつ非常に愚かだった。もし、敵方の指揮官があの氷竜候だったならば、独断での出撃には厳罰が下っただろう。

――もっとも、敵に氷竜がいたならば、とっくに我が方の負けか

　ターバリスは心の内で自嘲した。現在、灼竜国には竜がいない。大抵は前竜の死後、数年で次竜が孵るものらしいが、既に十七年も不在の状況が続いている。敵方に竜がいるなら、こちらも竜を使わなくては勝つことは到底かなわないだろう。氷竜国は北方での忌人族との戦に精兵を集中させているらしく、その指揮を執っているであろう氷竜候もここにはいない。もし、いれば、とっくにこちらが壊滅しているはずだ。

　彼は立ち止まって振り返り、今一度、捕虜たちを見た。牢の中のドアンはあちこち骨折しているはずだが、それでも異様に胸を張っている。彼の部下たちが傍らで背中を丸めているのとは対照的だった。ドアン卿は愚かだったが、少なくとも王への忠義だけは持っていた。

ふと食事の匂いが鼻をくすぐった。もう日は沈み、野営地のあちこちで飯炊きの煙が上がっている。余計な出撃のせいで遅くなったが、自分も腹が減っていたのを思い出した。天幕に戻る前に食事を持ってこさせよう――

「おや、シュロー卿」

背後から掛けられた声に、ターバリスは足を止めた。

「食事をお探しか？」

振り返ると、笑みを浮かべた男と、それとは対照的に無機質な瞳を持つ少年がいた。

サシアン・ホスロ――この軍の指揮官にして、灼竜国チハヌ州の現辺境伯を務める男とその従者である。相手を見てとり、ターバリスはゆっくりと片膝をついた。

「貴公がドアン卿を落としてくれたと聞いた。ご苦労であった」

「いえ――貴台は“狩り”に出られていると聞いたため、勝手に出撃いたしました」

ふふ――と、男は綺麗に刈り揃えられた髭を歪めた。

「貴公は分家とはいえ、シュローの騎士。その武は信用している。どうだね？　これから一緒に酒でも」

「結構。それよりもこの戦をどうなさるおつもりなのです？」

「どう、とは？」

「もう何年も膠着した状態が続いております。なのに貴台は戦場をほったらかしにしたまま、“狩り”と称してこのあたりの村民を殺して遊んでおられる。それがどういうおつもりなのかと訊いております」

ターバリスは跪礼したまま顔を上げて問うた。意図した挑発的な物言いに少年従者は目に怒りを浮かべたが、ホスロは逆に笑みを浮かべた。

「おやおや、これは手厳しい。確かに私は趣味に興じすぎやもしれぬ」

「……趣味？」

「人にはやめたくてもやめられぬものがあるだろう？　酒や女、芸術や音楽――そのようなものだ」

「殺しがしたいのなら戦場でなさればよい。貴台の腕ならば、氷竜国の雑兵など相手にもならぬはず。武器を持たぬ者どもを狩って何が楽しいか」

ホスロはそれを聞いて一層愉しげに笑った。

「それは感性の違いだな、若きシュロー卿。芸術や音楽に好みがあるように、人の感性はそれぞれに違う。私はただ殺しがしたいのではない。それでは趣に欠けるというもの」

そう言って、ホスロはターバリスの腕を取って立たせた。ターバリスも背の高い方ではあるが、並ぶとこの男の方が自分よりも僅かに高い。

「人間はその目の前に死が迫った時に、ようやく動物らしさを取り戻すのだよ」

男はターバリスの耳元でささやくように言って、その背中を軽く叩いた。

「しかし、貴公は戦場の方が好みと見える。私も若い頃は戦場で剣を振るいたくてうずうずとしていたものだ。気持ちは分からんではないが、好奇心も大切にするべきだ。ん？　違うかね？」

男はターバリスの顔を覗き込むようにして言った。

「閣下」

少年が何かを促すような目で男を呼んだ。

「ああ、そうそう。サバスト殿が貴公を領地に返すように手紙をよこしてきていたな」

「当主が？」

「ああ、どうも例の野狐が騒いでいるらしい。なに、小物を狩っているだけのようだが……。しかし、万が一、貴公の城を荒らされるわけにもいくまい。美しい鳥を狐に食われてはつまらぬ」

その言葉にターバリスはかっとなった。

「不敬な……！」

「どうせ既に秋でもあるし、貴公は一足先に領地に戻られよ」

「戦はどうするのだ！」

「はは、どうせ今年も終わるまい。貴公が活躍する機会もそのうち来よう。その時が来たら、存分に剣を振るうが良い」