第5話
フクが見つけたおじいちゃんの日記帳。
そこには喫茶店での日報を兼ねた日記が綴られていた。
藍沢さんがボロボロの状態で倒れていたのを、おじいちゃんが介抱したのがきっかけで出会った。
名前が記されているわけではないが、コーヒーが苦手なのに全部飲んだという記述を見るに、藍沢さんのことで間違いなさそうだ。
『少年』に関する記述は、5月12日を最後に途絶えていた。
『5月11日 本日曇り。アイスコーヒーの注文が増えてきた。初夏に飲むのもまた良いのだと常連さんが言っていた。
閉店間際、昨日の少年が現れた。介抱したお礼を言いにきたらしい。ナグモコーヒーを頼み、苦いといいつつも、また全部飲んでくれた。ジュースとかカフェオレも勧めたのに変わった子だなぁ。でも、フクも少年に撫でられて嬉しそうだったし、きっと良い子なのだろう』
『5月12日 本日晴天。孫の優紀が遊びに来た。いつか店を継ぎたいと今から意気込んでいる。こんな老ぼれの店をそう思ってくれるとは。ばぁさんもきっと喜ぶだろう。
優紀が帰ってすぐに、また少年が現れた。浮かない顔をしていて、頰がひどく腫れ上がっていたため手当てをした。口の中を切ってるみたいで、コーヒーは断念。誰がこんな酷いことを……彼に平穏がもたらされれば良いが。帰り際に、感謝の意ともうここには来ないことを告げられた。俺みたいなヤンキーが来ても困るだろうと言っていたが、そんなことはない。少年が来ることが密かな楽しみになっていたのに。
また、いつでもいいから来て欲しいものだ。』
翌日の日記からは、元通り喫茶の日常が綴られていた。
おじいちゃん、藍沢さんともう一度会いたかっただろうなぁ。日記に綴るくらいだから、楽しかったんだろうし。
──でも、『少年』は現れた。僕の目の前に。
もう来ないって言ってたけど……これって、おじいちゃんと同じ道を辿ってるのかな。
喫茶ナグモ日和なる日記帳を元のカラーボックスに戻し、キッチンに入る。
レジの上では、フクが胸を張るように座っていた。
「ん? フクなぁに」
にゃーん、と自慢げに鳴く。
──私、いい仕事したでしょう、と言わんばかりだ。
「うん、ありがとうフク。まさかおじいちゃんの日記帳が残ってるなんて……。藍沢さんのこと、少しでも知れて嬉しいな」
胸がじんわりと温かくなる。
……なぜ、嬉しいんだろう?
お客さんにはみんな来てほしいと思っているけど、『また会いたい』と心から思うのは、藍沢さんだけだ。
鋭い眼差しの奥に、寂しさを秘めた瞳。
笑うと、意外と怖くない顔。
「……って、また考え事しちゃってる! 仕込みしなきゃなのに……」
気を紛らわそうと作業を始めるが、どうしても頭から離れない。
こんな感情は初めてだ。
フクと目が合う。おじいちゃん猫はうんうんと頷いていた。
「僕……藍沢さんのことが…………いや、まさか。ねぇ、フク」
にゃん!
猫は元気に答えた。
それから数日、藍沢さんがお店に来ることはなかった。
「……はぁ」
「あれ。どうしたの優ちゃん」
思わず漏れたため息に、常連の宮田さんが反応した。
「いえ、すみません。なんでもないんです」
宮田さんはコーヒーのカップをソーサーに置き、にやりと意味ありげに笑う。
「まるで恋しているみたいだねぇ」
「こ、恋!? まさかそんな……」
「いやいや。顔にかいてあるよ。『あの人に会いたい』って」
すごい。何でもお見通しなのかこの人には。
でも藍沢さんのこと知らないはずだ。
「まぁ誰のことかまではわからないけど、若いんだから当たって砕けなよ」
「砕けたら悲しいですけどね」
「その時はその時!」
笑いながら宮田さんは帰っていく。
僕はレジの後ろからコーヒーチケットを一枚切り取った。
「へぇ。コーヒーチケットですか。便利ですね」
背後から声。いつの間に……?
宮田さん以外、誰もいなかったはずなのに。
「……いらっしゃいませ」
黒ずくめの男が一歩近づく。
高級時計をつけ、笑みを浮かべながらも目は冷たい。
「私の弟分が世話になったようで」
……弟分? 藍沢さんのこと?
「藍沢という男、来たでしょう」
「あ、はい。数日前に」
男の笑みが消える。氷のような視線が突き刺さる。
「返してもらいましょうか」
──返す?
僕が藍沢さんをどうこうしたと勘違いしてる?
この人、ヤクザ関係者……?
「藍沢さんなら、もうここには来ないと言っていましたけど……」
「おかしいですね。商店街の偵察に行って、帰ってきていないのですが」
その言葉が、頭の中で反響する。
ケガ? 襲われた? それとも──。
不安と心配で胸がうるさいくらいに鳴る。
「……え」
情けない声しか、でなかった。
【BL】喫茶・ナグモへようこそ フウト @Tohuwa
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