私の懺悔録への応援コメント
こんばんは。
なかなかに衝撃な内容で感慨深い気持ちになりました。
人には絶対に話したことのない秘密ってあるような気がします。
わたしは十年以上前、介護の職についた頃、まだまだ未熟で利用者様に怪我をさせてしまったことがありました。恐ろしさに会社には打ち明けることはできず(麻痺している足を車いすのフットレストに乗せ忘れたミスです)、いつ怪我したんだろね、と不思議がられたことがありました。
それをこの間、今の会社で打ち明け話をした時に、会社の子も未熟だった頃に自分もやらかした、と話して、今でも心が痛いと言っていました。
人それぞれ秘密があるな、と思い、きっと忘れてしまった嫌な記憶も探れば出てくるような気がしました。
そういえば、俺たちひょうきん族で懺悔室のコーナーが最後にありましたね。内容はさっぱり思い出せませんが、あの頃小学生だった自分は辛いことが多くあったので、あの懺悔室を毎回楽しみに見ていました。〇なのか×なのかで運命が決まる。
わたしの告白は重すぎてバツかもしれませんが、大人になるにつれ、懺悔することは少なくなっている気がします。
長文失礼いたしました。ありがとうございました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
ある程度時間が経たないと話せない失敗は、色々ありますね。私もこういった形で昔の公開を告白でき、ほっとしました。
私の懺悔録への応援コメント
過ち、というと、わたしにもいくつか心に引っかかっていることがあります。
高校生ごろのことが多い気がするのです。
万引きやガラスを割る、などではありませんが、
自分がでしゃばって文化祭の劇の、結構大きな役に立候補したこととか💦💦💦
結局、本番でトイレに行きたくなって大変でした💦💦💦
ろくに声も出せないのに、よく劇など、周りもやらせてくれたものだなあ。と思います。
全く関係のないコメントで失礼いたしました。
いろいろ、昔のことを思い出しました。^_^
作者からの返信
コメントありがとうございます。
自分の限界にチャレンジしたいい想い出ですね。機会があればエッセイ等でご披露いただきたいです。
編集済
私の懺悔録への応援コメント
ぼくは逆に、何も知らなかったのに、悪い友達に無理やり10円ガムを握らされ、
「それ、ポケットに隠せっ!」
と言われて、訳が分からないままに、友達の言う事だからとそうしたら、
店の奥から怒声が響き、友達はみんなわーっと逃げ去ったけれど、ぼくだけは訳が分からないから、ぽけーっと突っ立って、
「なに? なんなの?」
と驚いてたら、店主のおっかない小父さんが
「こらっ、こっちへ来いっ!」
と怒って中へ連れられて入り、ひたすら正座して「? ?」状態で泣いてた。
「これが最初じゃないだろっ!」
と怒るけど、
「初めてです」
「嘘つけっ!」
「ほんとうです」
と延々問詰められて、それだけで解放された、それだけの事なんだけど、あの時は酷い目にあったと思った。
P.S. そうでした。ご指摘に感謝します。急ぎ当該箇所を削除しました。
作者からの返信
感想ありがとうございます。大変な思いをされたのですね。ご自分では本当のことが分かっていても伝わらないのはもどかしいことだったと思います。
修正もありがとうございました。
私の懺悔録への応援コメント
企画主です。
今って、インターネット正義マンが沢山いて、若い頃の悪さを SNS などで告白すると炎上ネタにされかねない時代ですよね。
そら、悪いことは悪いんですけど、潔白な人なんているのかな、とかなりアレな育ちの自分は思ってしまいます。正直、墓に持っていくしかないなというエピソードはいっぱいです。
そんな思いさえも表に出せば『常識人』や『正義マン』の手にかかるととことんボコボコにされます。やれ馬鹿の書いた文章だとか、これだからDQNの生まれはとか。
重ねて疑問に思いますが、本当に皆そんなに潔白なのだろうかと。都会人だから? 現代の子だから? これが生まれの違いか?
そんな経験があるから、こういう話を見るとどこか安心してしまいます。そしてこのような告白ができる、文芸という舞台の懐の広さを感じます。
ありがとうございました。
作者からの返信
感想ありがとうございます。
本作を発表するにあたってはかなり悩んだのですが、思ったよりも親近感を感じたという感想が多く、ほっとしました。
自分もこういう経験があるからこそ、他人の過ちには寛容にならないと、と思っています。
私の懺悔録への応援コメント
以前より、こちらの活動記録エッセイにお越しいただいていてありがとうございます。
私も昭和生まれの人間ですが、詳細は明かせないものの、類する記憶がひとつあります。
その建物も今は無くなっており、ただ私の内の苦い記憶だけが残っている状態ですが。
ただ、人生の初期に、大きな過ちにならないうちに「罪の意識」を持てたことは、その後の人生においてプラスに働いた部分もあるかもしれません……。
国語の教科書だったかで「ある北方の民族は、子供をわざと熱いものに触らせて火の危険を教える」というような話を読んだ記憶がありますが、それに近いような。
考えさせるお話をありがとうございました。
作者からの返信
感想ありがとうございます。今回このエッセイを発表したことで、私と同じような思い出を持っていらっしゃる方々と知り合えたのが何よりの収穫でした。苦い思い出を忘れずにこれからも生きていきたいと思います。
私の懺悔録への応援コメント
昭和の小学生ですか。テレビ報道とかもほとんどありませんでしたから、万引とか器物損壊とかが「悪いこと」とわからなかったのかもしれませんね。
ただ、やってみたらどうだった、という感じで。
でも小学生のうちにダメなことだった、と知ったのは人格形成のうえでは良かったのかもしれません。
もし中学・高校でも気づかず、大人になってからも行なっていたら前科持ちになってしまいますからね。
子どものうちはなんでも経験するべきですが、過ちも過去にするのではなく教訓にできれば、その後の人生は豊かになると思います。
過去は書き換えられませんが、未来はこれからどのようにでも書くことができる。
反省のあと、未来を潔白に生きるためにも、小学生で気づけたのは貴重だと思いますよ。
作者からの返信
感想ありがとうございます。さすがに小学校高学年ですから、自分が悪いことをしたというのは分かっていたと思います。そこで逃げられると思っていたことが子どもの浅はかさだったんでしょう。
これからの人生で二度とこのような後悔をしないよう、噛みしめて生きたいです。
私の懺悔録への応援コメント
小さな頃の過ちから罪悪感を持ち続けてしまうこと、よくわかります。
私も2〜3歳のころ、友達の家から憧れのおもちゃ付きのお菓子を持ってきてしまい、母には「もらった」と嘘をつきました。そのことがずっと忘れられず、暗い影を落としていましたね。逃げ切るより、その時に見つかるのが結局は一番いいのかもと思いました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
自分しか知らない「悪いこと」って、なかなか忘れることができませんね。