久しぶり、それとおやすみ 04-3

「……」

「……」


 少女は、ただシンプルに、彼の行動に自分の行動を合わせる必要があるから、特に何もすることができなくて。

 彼は彼で、少し迷っていた。

 先ほど話題に出た、手紙というものの扱いについて。

 手紙を出すことが躊躇われるのは、手紙というものが、重たいからだ。口頭で話すのとは、質の違う言葉の重み。

 なぜなら、その言葉を綴っている間は、送る対象のことだけを考えて、言葉を選んでいる。

 口頭よりも、考えて言葉を選ぶということを、より高い次元で行っている。

 けれど。


「まぁ、いいか」

「……?」

「実は少し前に、ちょっと変なテンションになって、手紙書いてたんだよね」

「へぇ〜。いいですね。私、LINEとかばっかりなので、ちょっと憧れがあったりします」

「わかるよ。ぼくも昔、若干の憧れを込めてレターセットを買ったんだけど、使いどころがなくてさ。ずっと死蔵してて」

「わ、レターセット。見た目おしゃれなの多くて、いいですよね」

「そうそう。そうなんだよね」

「小池さんが買ったレターセット、どんなやつですか?」

「えーとね」


 彼は近くにある棚の上に置いてある、未使用のレターセットをパッと取って、少女のほうへと差し出す。

 深い海色のデザインで、便箋も海の生き物がたくさん描かれている。


「これ」

「うわきれ〜……。小池さん、こういうの好きそう……」

「まぁ……」

「わー……」


 彼の想像の十倍は、少女の食いつきがよかった。

 目はきらきらとしていて、今日見た中で、一番活力を感じた。

 彼は、おぉ……と少し目を瞬きつつ、これなら意外といけるのでは、と思い始めた。


「…………ところで、ちょっといい?」

「……? はい」

「はい、これ」

「……? なんですかこれ」

「桶内さんへの手紙」

「……?」


 彼は隠し持っていた一通の手紙を、少女のほうへ差し出す。

 いま少女が手にしているレターセットと同じデザイン。違う点は、封がされていること、中身が伴っていることだった。


「……え、と」

「いまこの場で開けられると、紙で文字にした意味がないので、まぁ明日とか、ぼくが仕事行った後とかにでも……──って、そうだ。ところで、明日学校とかはどうするの? 一日で腫れは引かないだろうし、休むのかな」

「えっえっ。明日はたぶん、休む、と思います、けど……」


 手紙のこと、明日のこと。

 二つのことを同時に言われて、少女はやや戸惑いの声をあげる。


「それこそ日中、家に帰るの憚られるなら、ずっとここにいてもいいし。……でも、そうだな、何にせよ、やっぱりどこに何があるかくらいは、軽く話とこうか」

「……」

「おいで」

「はい」


 彼はよいしょ、と立ち上がって、少女を手招きする。

 説明したのは、冷蔵庫の中身、洗面所に置いてあるもの。使ってはいけないものは基本的に存在しないことを、改めて伝える。

 それから、今日少女が寝る場所について。彼が起きる時間について。

 思いつく限り、必要な情報を、すべて伝えた。


「──……まぁ洗顔料とか化粧水とか、女の子からすると、男性用のはどうかなーって思うんだけど。……まぁシャンプーとかリンスもそうなんだけど。ないよりはマシだろうし、明日の……今日の朝になったらこのへん使ってくれていいから」

「はい」

「ぐらいかな。何か聞きたいことある?」

「えー、と」


 居間に戻りながら、少女に問いを投げかける。

 少女は、てとてとと後ろを着いてきていた足を、ピタ、と止め……目を泳がせる。


「…………ぁ、ぇ」


 言いたいことはあるような、けれど口にしづらいような。

 うめき声にも似た、口から漏れる、わずかな声。

 少女は、口をもにょもにょとさせながら、その場に立ち尽くす。


「……」


 とりあえず座ったら? とジェスチャーで示すと、少女はすとん、とソファへと膝をそろえて座る。


「全然、関係ない話なんですけど……」

「うん」

「嘘、吐く人のこと、どう思いますか?」

「……?」

「今日お父さんと喧嘩して……。今日お母さんいなくて。明日帰ってくるので、私が家にいないのとか、お母さん知らなくて……」

「あぁ……」

「お父さんと揉めた理由とか、そういうの、お母さんには知られたくなくて」


 記憶の想起。

 声が震え、嗚咽じみたものが言葉にまじり、瞳は潤んでいる。

 泣きそうで、けれど泣くまいと。


「お母さんには、何も知られたくない?」

「……うん」

「……そっか」

「全部話したら、お母さんとお父さん、喧嘩しちゃうと思うから……」


 父親と揉めて、母親は揉めたことを知らなくて。

 事実として、殴られていて。

 それを含めた一連のことを、知られずに終わらせたい、と。


「……そうだな。君は嘘とか苦手そうだから、ありのままのぼくの本音で話すけど。そのあたりは、正直、ほんとのことを話してもいいんじゃないのかなって思う」

「……」

「だって、泣くまで悩んでて。そこまでの話なら、じゃあ周りに甘えるなり任せるなりしてもいいんじゃないのかなって思う。……ただ」

「……?」

「両親に喧嘩してほしくない──って、理由は、とても尊い。最初の質問、『嘘を吐く人のことをどう思うか』、だけど……素直に尊敬する。嘘を吐いてても吐かなくても、君は立派だよ。頑張ってるね」


 彼がそう言うと、少女は、大きく息を吸って、吐いて。

 また息をして、吐いて。

 震えるような吐息を、こぼして。

 だけれど、潤んだ瞳から、涙はこぼれない。


「……ふぅ」

「……」

「すいません。落ち着きました」

「それはよかった」


 やはり、心というものは繊細で。

 少しふれるだけで、感情がこぼれてきそうになる。


「…………お母さんには、何も言わないことにします」

「うん」

「……明日は、学校休みます」

「うん」

「……明日、少しの間、この家にいてもいいですか?」

「いいよ」

「あとそれから……」


 少しの、沈黙。


「……ココアが飲みたい、です……」

「いいよ。あったかいのでいいかな」

「……」


 彼はよいしょと立ち上がって、キッチンへ。

 少女はその背中を見つめ、ハッ、と止めるように手を伸ばす。


「ごめんなさいやっぱりいいです変なこと言ってすいません」

「えー」

「もう夜も遅いですし……」

「まぁそれはそう」

「ですよね」

「甘いのと甘くないのどっちがいい?」

「……」


 事もなげに、淡々と、彼は作業をはじめていた。

 ココアの缶を取り出して、蓋を開け、軽く香りを嗅いで。冷蔵庫からミルクを取り出して。片手鍋を引っ張り出して。

 それを眺めて、少女は、ただ不安で。

 つらいことがあって、ただそれだけでもしんどくて。他人の家というのは、落ち着かなくて。夜は孤独で、寂しくて。

 だからぬくもりが、ほしくて。

 誰でもいいから抱きしめてほしい──、なんて。

 でもそんなこと言えるわけがないから。


「……甘くないほうがいいです」

「よろしい」


 ふらふらと引き寄せられるように、手を動かす彼のもとへ。

 狭いキッチンに、体一つぶんほどの距離を空けて、のぞき込むようにして入り込む。

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