第46話 多美の実家へ3

 列車は彦根駅のホームへ滑り込んだ。みぎわにしてみれば二度目の多美の実家へ来たが、相変わらず彦根は井伊家が治めていた領地だった。みぎわにはそう謂うイメージしか湧かない土地だ。駅からまたバスに乗った。多美の家がお寺と言うからにはここの郷土にも詳しいだろうと突っ込んでみればアッサリと知らないと躱されてしまった。何でと不思議がるみぎわに、だって雇われ住職だから井伊家がどうのこうのと言われても解るわけないじゃんと。郷土に付いてはご近所や檀家の方が詳しいそうだ。だから本堂も庭も解放して託児所をやっている、と言われればなるほどと納得した。本来お寺はそう在るべきだというのが父の基本方針らしい。

「それってこの前は云ってたっけ」

「いや、今みたいに訊かれない限り話さない」

「それでご近所からお布施が集まるの」

「うん、だってご近所の子供達の面倒を見ているもん」

 早い話がそう謂う信頼関係で成り立っていたのか、療治から聞いた牧野のお寺とは全く違う。向こうが苔むす庭に包まれた静なら、こっちの寺はガキどもがはしゃぎ廻る動だろう。

「牧野さんの実家がどんなお寺かは聞いてるでしょう」

「ああ、知ってるけど行った事はまだないのよ」

「それはどっちが遠慮しているの」

「それは向こうだろうね今までのお寺のイメージとは違うから中々行く踏ん切りが付かないみたい」

「多美もそうなの」

「あたしはどっちでも構わないけれどでもそんなお寺は仏心のない人は入りにくいでしょう」

 特に禅宗のお寺はそうだと云わんばかりに多美は食って掛かってきた。牧野が一人の女に三年近くも拘り続けたのはそんなお寺の風習に在ると云うのだ。だから彼奴あいつには早く内のお寺を見せたいらしい。

「それって腰抜かしてひっくり返るよう」

「だろうなあ、全く仏教系の大学に行きながら何の勉強もしてないんだからしたのは卒業の半年ほど前じゃん」

「まあねそれで大学を出れば今度はその幻の女が見つかったって云うからどんな人なのか仕事もほっぽり出して行ってみたけれど所詮は解けかかった氷の残像だったわね」

「そう、それだけ気になる女には見えなかったじゃん」

 オッもう着くからバスから降りなくっちゃ、と二人は慌ててベルを押して降りた。二人を路上に残してバスは軽快に走り去っていく。二人は湖岸に向かって歩き出した。

「琵琶湖も此の辺りまで来ると雄大で波もないしのんびりと構えられて多美はいいなあ」

「今日は休みだけど兼業農家の子供を預かってるからお寺は暇じゃないッ、だからお手伝いに来たんでしょう」

 室屋の剣幕に負けまいとそのまま「そうだなあ」と返したが風景に気が取られてちょっと動転した。

 どうやらここへ来ると、皆がみぎわのように大らかになるらしい。だからこれから気を引き締めないと、とてもあのガキどもの相手はしてられないからだ。要するに気分転換をしてガキども相手の闘争モードに切り替えさせられたのだ。

 程なくお寺が見えてくると、子供達の凄まじい歓声が聞こえてくる。なるほどとみぎわは気を引き締めて山門を潜った。入ると小学生の低学年ぐらいの子が、多美の足元に遅いじゃないかとまとい付いてきた。ごめんねと云う多美の声を聞かないうちから、隣のお姉ちゃんは誰と訊かれてしまった。

「あの休んでいた代わりの人? 」

 と立て続けに云われて多美は否定するのに苦労しているようだ。そんな問答の合間に二歳ぐらいの子がじっとこっちを見ているのに気付いた。

「ねえあの子誰、前は見なかったわね」

「まあ、一時預かりだから急に用事が出来て預けに来た子かも知れないわね」

「取り敢えず家に入ってお茶でも飲んでから頑張るか」

 と多美は纏い付く子を「ちょっと今着いたばかりで休憩したらまた遊んで上げるから」と引き離した。

 家に入ると母が迎えてくれた。

「向こうの保育園を休んでまで来てくれるのはいいけれど向こうにすれば災難だろうなあ」 

 と会ってから直ぐに愚痴を溢された。とにかく茶の間に落ち着くとお茶を出してくれた。

「ねえお母さんあの樫の木のそばに居る子見かけない子ねえ」

「あの子は近江八幡から連れられて来た子なのよ」

「随分遠いわね」

「近江八幡って何処どこなの」

「さっき通った安土城の近く。車なら三十分ぐらいかなあ。しょっちゅうなら大変だけれどいっときなら連れらてくる子がいるのよ」

 へ〜エ、とどう言う事情があるのか知らないが今更ながら、あの樫の木に佇む女の子を眺めた。

「どう謂う子なの」

「年配の人が預けに来るんよだからきっとお孫さんでしょう」

 そこまで訊くと多美が茶碗を片付けだして、さあ、お仕事と急き立てられてしまった。

 二人は手荷物を置いて庭に出た。するとさっき纏い付いてた子が寄ってきた。多美がこの子ばかり関わってられないのよね、と他に二十人ばかりの子供達を相手にするのは大変だった。だが遠慮無く寄って来るのは五歳から十歳ぐらいばかりだから、そんな子達は多美に任した。

 みぎわは二、三歳の子のそばに行っては屈み込んではお喋りしている。日が西に傾く頃には次々と親が引き取りに来て、五人ぐらいになってしまった。その中にあの小さい二歳の子もまだ居たが、山門から顔を出した母親らしき人が、手招きするとその子は駆け出して行った。その母親らしき人にみぎわも多美も見覚えがあった。牧野が云う氷の微笑の人だった。

 駆け出す女の子の後ろ姿を見て二人は「あれ誰の子」と言い合わせた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る