第29話 二人の反応

「俺の実家が室屋と同じお寺だってことは知ってるだろう」

「まああの大学はそう謂う関係者が割と多いのは知ってるしそう珍しくもなかったよ。それでも俺やみぎわのように無関係の者も結構いたのは確かだけど、四年も居ると慣れてしまったなあ。だから忘れていたわけじゃあないよ」

「何か取って付けたような言い方だが、要は入学時に比べてそれほど気にしていなかったちゅうことか」

 と云われて波多野は申し訳なそそうな顔をしたが、それだけ俺の内面ばかり見ていてくれていたと感謝された。

「それで実家でも寺をどうするか勿論俺は次男坊だから関係ないと思っていたがどうも兄貴の体の調子が一時いっとき悪くなってなあそれが丁度四回生の頃で就職も二の次になってまあ波多野も知っての通り大学内でも色々あっただろうそれで卒業間際になって兄貴も危ない状態から快復して室屋さんとも知り合えてまあそう謂う事情で欠員の出ている募集会社に飛び込んだのだ」

「それは室屋さんは知ってるのか」

「ああ同じ実家がお寺と謂う身の上だから就職については良く話していたよそれで良くそこそこの会社に決まって良かったと大学新卒でバイトじゃあカッコつかないって言われたよ」

 二人は四条から西洞院にしのとういんを北へ上がった。牧野が言っていた喫茶店は、錦通りと蛸薬師通りの中間にあった。此の先蛸薬師通りから北は道が急に半分になり一方通行になっている。牧野に依れば戦中の道路拡張工事が終戦になり此処でピタリと止まったそうだ。

「古い町だから細い道が多くてなんせ応仁の乱以来余り大きな戦災が無くて戦中に急遽道路の拡張工事が各地で始まったがみんな途中までなんだ地元の人に言わすとそこで戦争が終わって中断したままの手付かずの道路が昔のまま今も残っているらしい」

 丁度目的の喫茶店を前にして一通りこの町の道路事情を講釈して店に入った。数年にわたって失恋の可怪おかしなトラウマに囚われながら、この町の特異な道路事情を説明できる神経が波多野には、何かを超越した理解しがたい存在に見えてくる。

 入った喫茶店は間口は狭いが奥行きがある所謂いわゆるウナギの寝床だ。だが中々凝った落ち着いた京風の造りなっていて客もこの時間では疎らだった。おしぼりを貰い注文する最中に丁度二人ともやって来た。どうやらこの近くに丁度待ち合わせして向かっていた処で、メールを受けて、直ぐに行き先を此処に変更したようだ。四人は珈琲を注文したが、女性二人は食後にと、先ずは別に食べる物を注文した。

「何だ仕事が終わって真っ直ぐここに来てくれたのか」

 と直ぐに出来上がるパスタのような物を頼む二人に、牧野は申し訳なさそうに言った。

「そうよみぎわちゃんと夕食の予定をしていた処にメールが来たんですものね」

 と今日は予定がなさそうだから、二人で食べに行こうと相談がまとまった。そこへ何か男同士の厄介な相談らしいメールが来たから飛んで来た。

 それで何なのと珈琲を飲み出した二人に切り出すと、二人が食べ終わってからと勿体ぶって言われた。深刻そうだから入社早々五月病、まだ桜が咲いたばかりだと嗤われてしまった。そこへまだ湯気の立ち上る二種類のバスタ料理がテーブルに並んだ。こうなると花より団子で何を言っても始まらない。

「そう謂うこと。だから直接予定変更して来たからまだなん〜にも食べてないのよねだからごめんあそばせ」

 と室屋は来たばかりのパスタを先に食べ出した。みぎわも先ずは腹に詰めるものを詰めなければ良い考えも浮かばないと室屋に追従した。これにはマクドで腹ごしらえを先に済ませてしまった牧野と波多野には何も言えずに黙って咀嚼そしゃくの終わるのを待たされた。その間にも二人がマクドナルドでハンバーガーとポテトで腹を膨らませたと聞いて、まるでこれから難関に挑む兵士の戦闘食かと揶揄やゆされてしまった。なんなと云えとばかりに食べ終わるのをただひたすら待った。

 お待たせ、と室屋は口元を拭き取りながら「それで何なの」と急に呼び出した要件を問いただされた。

 室屋の歯に衣着きぬきせぬ物言いに、ホオーこれはまだ対等な付き合いらしい。でもこれからが真実の愛に到達する試練の第一歩なんだと波多野は思った。どうも牧野もそれに近い考えらしく表情がけわしい。

「何よ、そんな難しい顔をされて、まさか一週間で会社を辞めるって云うんじゃないでしょうね」

 学生時代のあの牧野ならあり得るが、今の彼奴あいつはアンドレ・ジッドじゃあ無いけれど『汝狭き門より入れ』か。まあ最近は仏典より聖書にかぶれているからなあ。

「いや、仕事は面白いよ、学生時代には及びもつかなかった連中に刺激されて飛躍出来そうだが……」

「だが何なの」

「多美ちゃんはせっかちね大の大人を相手に」

 と隣で聞いているみぎわにすれば、子供相手に道理を説く、あのお寺で見た彼女そのままだと言いたげだ。

「先ずは仕事の話からを聞いてあげる、で、いいんじゃないの」

 彼に代わって俺が説明しょうと、波多野が牧野の顔色を窺って沈黙の同意を得た。

「此の一週間は先輩の受け持ち区域の一部を廻らされてそこで初めてバイトと違って正社員として会社の名刺を背負って色々な人と出会って社会人の仲間入りの洗礼を受けたんだよ」

 何事も始めの一歩は大変だけど皆がやってることでしょう、と軽く聞き流された。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る