2話「女体化している幼馴染は何処か様子が可笑しい」
優司がジャージ姿に着替えるとシャワーを浴びた後だというのに、額には変な汗が大量に滲み出て止まらない。それは偏に幽香が同人誌を床に叩きつけて「優司とお話しないと」と言う意味深な事を呟いたからだ。
「くっ……どうする……。俺はてっきり幽香は二次元が大丈夫な人だと思っていたのに……!」
着替えを終えてあとはシャワー室から出るのみとなると優司の体は本能的に外に出ることを拒んでいるのか足が前に進まない。しかし扉の先は見えずとも幽香がじっとこちらを見て待っている事ぐらい優司とて雰囲気で察する事が出来た。
「はぁはぁ……。なんで俺がこんな所でこんな思いをせねばならんのだ……」
弱々しく呟く彼は最早完全に幽香に対して怯えていて扉に手を掛けることすら億劫になっていた。それは優司が幽香の様子を確認する為に覗き見していた時に意図的なのか偶然なのか彼女と目が合ってしまって恐怖心を覚えたのだ。
なんせその時の彼女の瞳は深淵のように真っ暗で、一種の狂気すら孕んでいそうだったのだ。
「ねぇ優司。もう着替えは終わったんでしょ? だったら早く出てきてくれると嬉しいなぁ。……じゃないと私が直接――」
余りにも優司が出てくるのが遅いと幽香は痺れを切らしたのか暗い声色でそう言ってくると、
「だぁぁっと! 待たせたなぁ幽香! ちょっとばかし立ちくらみで動けないでいたのだ! すまない!」
最後の言葉を言わせてはならないと優司は意を決してシャワー室から飛び出す。
すると彼の目の前には幽香が床に叩きつけた筈の同人誌を片手に持って、恐ろしい程に笑顔を維持したまま仁王立ちしていたのだ。
「そっかぁ、立ちくらみならしょうがないねぇ。ちゃんと鉄分多めの食事を取らないと駄目だよ?
……あとさ、話しは変わるんだけどこれは何かな?」
彼の苦し紛れの言い訳を信じたのか幽香は的確な助言を口にして労わる様子だったが、次の言葉を発した瞬間に周囲の空気が一瞬にして冷えたのかと錯覚するほどに優司は体の震えが止まらなかった。
「ねえってば答えてよ。この本は一体なんなのかな? もしかして優司が自分で購入したとかじゃぁないよね?」
彼女は右手に持っている同人誌の表紙を見せつけてくると依然として張り付いたような笑顔を維持していて、優司は何と言って返せばいいのか一層思考を放棄したくなったが必死に脳を動かして考える。
「答えないって事は本当にこれは優司が買ったのかな。だとしたら……この本に描かれている事が好きなのかなぁ? 例えば、このページの内容とか」
そう言って幽香は同人誌を徐に開いて数ページ捲ったあと、その内容とやらが描かれている部分を見せつけてきた。
「なあっ……!?」
刹那、優司がそれを目の当たりにした瞬間途轍もない絶望感を覚えた。
そしてこの本を渡してきた裕馬に些細な殺意も湧いた。
なんせ幽香が開いたページには修道服を着た女性が足を使って艶かしく動かしている場面であったからだ。
つまり……よりにもよってシスターであり、さらに足という一部では人気を博しているフェチの部分での攻めの構図だ。
「優司ってシスターの方が好きだったの? しかも足でされるのが……良いの?」
幽香は手に持っていた同人誌をベッドに置くと、そんな事を聞きながら徐々に距離を縮めに近寄ってきた。相変わらず瞳は真っ暗で光が宿っていないが、張り付いていた笑みのようなものは消えて少し恥じらいのようなものが伺える。
「ち、違がっ……お、俺は別にそういう事は……」
迫り来る幽香に対して優司は後退りしながら否定の言葉を捻り出す。
「違わないよ。これは優司が持ってきた袋に入ってた物だよ? しかもまだ一杯入ってるみたいだし。……それにさ、私はこういう絵で興奮するのは駄目だと思う。だから優司には現実の体で興奮出来るように私が――」
彼女は言い逃れ出来ないようにか優司が持ってきた紙袋から取り出した事や、更にはまだ袋の中に大量に残っている事を告げてきた。
そして外堀を埋めると幽香は自身の太ももを人差し指でなぞってから舌なめずりして、獲物を喰らうかのような視線を向けると勢い良く肩を押して優司を押し倒した。
「ちょっ!? ま、待てっ! 落ち着け幽香ぁ!」
彼は押し倒された際に声を荒らげると同時に両手を使って幽香の肩を押さえた。
現在彼の上には幽香が馬乗りとなっていて、彼女の表情からはとても正気を保っているように優司には思えなかった。
「ふふっ、たっぷりと現実の肉体を教え込んであ・げ・る」
まるで何か複雑な感情が混ざり合ったようなモノにすら感じられる声色で囁いてくると、彼女は優司が両手を使って押さえているにも関わらず物凄い力で身を傾けて顔を近づけてくる。
「お、落ち着いてくれ――ッ!」
優司は必死に手に力を込めて押さえようとするが、彼女の力は何処からか湧いて出てきているのか進行は止められない。そして彼の頭には一体なぜこうなってしまったのだろうかと言う、至極当然の疑問が浮かんできた。
本来ならば男の時に溜まったものを同人誌を使って女体化時に発散出来るように幼馴染として気遣いでやった事だったのだが、現実問題それは間違いであり事前に幽香が二次元に対して抱いている印象を探るべきだったと。
「あぁ、優司優司優司優司。ちゃんと現実の体で興奮するように治さないと……ねえ!」
幽香が急に病んだ彼女のような台詞を呟くと優司の両手を振り払うと同時に彼が着ているジャージのチャックを下ろして中に着ていたシャツを掴んで捲ろうとしたのだが――――
「こ”ら”ぁ”! 静かにせんか馬鹿共! これ以上騒いだら俺が特別に補習授業してやるからな、覚えておけ」
それはノックと呼ぶにはあまりにも大きな叩く音と共に男子寮の寮長、筋肉ゴリラの怒声が扉の方から突然聞こえてきたのだ。しかしこれは好機だと優司は捉えると幽香が寮長の怒声に反応して動きが止まった一瞬を狙い、彼女の体制を両手を使って崩すとそのまま立ち上がった。
「あ、あぶねぇ……。筋肉ゴリラが立ち寄ってくれなきゃ、俺はあのまま……」
息を荒げて優司はそう呟くと、たまたま寮の見回りで寄ってくれた事に感謝を捧げた。
けれど一方で幽香は床に座り込んだまま動かず、顔も彼から背けているのか壁の方を見ている。
「……優司はそんなに現実の女性が嫌なのかい。それとも、そんなに私が嫌なのかな」
暫しの沈黙が流れたあと幽香が口を開くとそれは泣きそうな声色であり、優司は拒絶し過ぎたと思い慌てて何て返せば最悪の事態を免れるのか思案した。
「あ、いや。そういう事ではないんだが……」
言い訳を考えながらも優司は会話を止めてはならないと必死に声を出す。
「じゃあ、なんだって言うんだよ」
幽香はゆっくりと顔を彼に向けて睨んできた。
心なしか彼女の瞳は濡れているように優司には見える。
「……はぁ。実はな、あの同人誌……本は裕馬から
幽香の瞳から流れ落ちる雫を見て優司は一つの決心をすると、それは裕馬から無理やり渡されたものだと言い切り同士を見捨てる事を選んだ。
彼は気づいていたのだ、この局面を穏便に済ますには何かを犠牲にしなければならないことを。
「……そっか、そうかそうか。やっぱりあの男が優司に変な性癖を植え付けさせようとしていたんだね……。よし、明日の朝にでも殺ろう。あのまま生かしてはおけない」
話を聞いて幽香は納得したかのように数回頷くと先程までずっと暗かった瞳に漸く光を灯していたが、最後の方で物騒な言葉が飛び出していたが優司は特に反応を見せる事はなかった。
「……すまない裕馬、どうか許してくれ」
優司は目の前の幽香に聞かれない声量で言葉を発すると……ただ骨は拾ってあげようと、そう思った。あとは同士を売った事に対しての罪悪感がじわじわと良心を蝕んでいくぐらいであり、仮に生き延びたとしたらその時はラーメンの一杯でも奢ろうと彼は密かに思うのだった。
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