第6-31話 蒼穹の魔女①

 歓楽街を少女が1人歩いていく。

 この場所は、いつも夜だ。“魔”の生活しやすい時間に合わせて世界が設定されているから、ずっと夜なのだという。そんな話を聞いたことがあった。


「…………」


 向かう先は、昨夜も訪れたばかりの賭博場カジノ


 等間隔で並ぶガス灯がぼんやりと石畳の道を照らす。いつもだったらギャンブルを行うために異界にやってきた人たちで溢れているというのに、今日に限っては誰もいない。はたから見れば死地に向かう兵士のようにも見える。

 

 その足取りは、重たい。

 向かう先に何がいるのかを知っているからだ。


 そうして、ついに巨大なホテルを思わせる建物の前にたどり着いた瞬間、ようやく人の姿が見えた。けれど、尋常の姿ではない。


 このカジノを取り仕切っている黒服。

 そうと分かる山羊の頭をした化け物が少女を出迎えた。


『リン様ですね。お待ちしておりました』

「……待ってた?」

『どうぞ、こちらに』


 少女の疑問には答えることなく、山羊頭はそういうと彼女を案内するように歩き出した。彼女は少し迷うような表情を見せたあと、黒服の後に続いた。


 いつもだったら人の多いエントランスホールも、今日ばかりは誰もいない。

 しんと静まり返ったホールを抜けて、黒服がたどり着いたのはエレベーター前だった。


「………………」


 黒服が上りのボタンを押す。

 

 随分と古いエレベーターだった。扉は金の格子で作られていて、中には赤い絨毯が敷かれている。

 どれくらい古いものなんだろう、と彼女が考えている間に黒服は最上階のボタンを押した。


 ガシャ、という騒がしい音を立てて格子の扉が閉まる。

 それから重たい音を立てると、ゆっくりとエレベーターが上昇し始めた。


「どこに行くんですか?」

『行けば分かりますよ』


 少女の問いかけに黒服は行き先を伝えることなく、それだけ返す。

 そうして無言が降り立った。しかし、それも長くは続かない。


 エレベーターが最上階に到着すると、ちん、という鈴の音を立てて扉が開いたからだ。

 それを合図にするように黒服が扉の先を手で指し示す。


『私はここまでのご案内となります。申し訳ありませんが、最上階に足を踏み入れる権利を有しておりませんので』


 ずっと『Open』の文字を押し続ける山羊頭がそういうものだから、少女はエレベーターから降りた。

 

 降りた先にあったのは一直線に伸びる廊下だった。

 絨毯が丁寧に敷かれて、両脇には見たことない金縁の絵画が飾ってある。


 そうして、その廊下の最奥には真っ白い扉が1つあった。


 そこに向かえということだろう。

 覚悟を決めるようにゆっくりと息を吐いて、ぎゅっと拳を握りしめると少女は足を進めた。


 そうやって歩きだしたら、がちゃり、と視線の先にあった扉が勝手に開いた。


『お入り』


 スピーカーを通したようなざらついた声が耳に届く。

 それを聞くよりも先に彼女は部屋に入っていた。


 待っていたのは、真っ白い部屋だった。

 タイルも、壁も、カーテンも、ライトも、家具も、あらゆるものが真っ白い部屋。


 その部屋の中心に置いてあるテーブルに、1人の少女がついている。

 テーブルには1つの花瓶と、ティーセットが2つ置かれている。


 そう。そこにいたのは、だった。

 大きな真っ黒い帽子を被り、黒いローブを羽織った少女が真っ白い椅子に腰掛けている。


 歳のほどは、互いにそこまで離れていない気がした。

 むしろ、それが違和感を抱かせた。


 だって、こんな最上階にいるのは――。

 

『そこにかけて、リン』

「……あなたは」


 思わず、尋ねる。

 けれど視線の先にいる少女はゆっくりと首を振って、答えた。


『おしゃべりは、お茶を飲みながらにしましょう』


 そう言って少女が視線を空いている椅子に向ける。


『だって今日は素敵な夜になるもの』


 そこに座れということだろう。彼女はそう理解して、腰をかけた。

 あらかじめ来るタイミングが分かっていたのか、腰をかけた椅子の前には淹れたばかりの紅茶が用意してあって、湯気を立ち上らせていた。


『昨日は、少し焦ったわ。まさか、あんな途方のない魔力の持ち主を連れてくるなんてね。どうやって取り入ったのかは分からないけど、を連れてくるのが、あなたの作戦だったのかしら』

「あなたが、シエルさん……ですか?」


 眼の前にいる黒いローブの持ち主からの質問を全て無視して、少女は短く尋ねる。

 果たしてローブの主は、無視にも気を悪くした様子を見せず返した。


『えぇ、そうよ。昨日会ってるんだから、分かるでしょ?』


 ――やっぱり、と少女は考えた。


「……お父さんから奪ったものを返してください」

『えぇ、良いわよ。そのために、あなたを呼んだのだから』

「…………?」


 少女が首を傾げるのに合わせて、魔女は紅茶を一口運んだ。

 そうして、ゆっくりとそれを味わってから微笑んだ。


『その代わり、私と《ゲーム》をしましょう?』


 びくり、と少女の身体が震えた。


 それはある程度予想できていたことで。

 けれど、いざそれを突きつけられると――『リンを誘っている』という言葉を思い出してしまう。


「何を、賭けるんですか」

『お父さんの魔力を返す代わりに、もしあなたが負けたら――あなたの身体を私にちょうだい』

「……わたしの、身体?」

『そう。だって、あなたの身体が一番、向いてるもの』


 かちゃり、という音を立ててティーカップがソーサーに置かれる。

 魔女の黒い瞳が、少女の瞳を覗き込む。


『第七階位ほど魔力にあふれていない生き物が永くを生きたらね、肉体からだが保たないの。ぼろぼろと崩れて、動けなくなるの。だから、そうなる前に適合体に交換しているの』


 獲物を前にして機嫌が良いのだろう。

 魔女はそういって両肘をテーブルについてから手を組み合わせると、微笑んだ。


『ルネを始めとする端子アクセサリたちは、そのために現世むこうに放っているんだけど――そこで見つけた中で、リン。あなたが一番適合率が高いのよ』


 そう考えたらルネも良い仕事をしてくれたわね、と言って魔女は息を吐いた。 

 そこに感情が乗っていないものだから、どうにも相手が化物モンスターなのだと思い知らされた。


「……だから」


 そんなモンスターを前にして、少女は短く尋ねた。


「だから、私を狙ったんですか……?」

『そういうこと』


 魔女がそういうと、ぱきり、という音が化物の身体から鳴った。

 視線を持ち上げれば魔女の顔に亀裂が走り、それからこぼれるように赤黒い光が漏れた。


『本当はね、もっとゆっくり奪っていくつもりだったの。左腕、左目の次は足、あなたの内臓。骨格、魔力、脳。ゆっくり、ゆっくりと私の身体に合わせつつ、あなたの身体を私のものにしようと思ったの』


 でもね、と魔女は言ってから、どこかから取り出した角砂糖をカップに入れてからティースプーンでかき混ぜた。


『昨日来たが全部、取り返しちゃったじゃない? だからね、逆に取り戻そうと思ったの。あなた、お父さんが好きだから――ちょっと命をイジってやれば、すぐにここに来るだろうって思ってたから』

「…………」

『その読み通り、あなたはここに来た。警戒心を取り戻したというのに、ここにね』


 そうして角砂糖を4つも入れた紅茶にシエルが口を付ける。

 それを黙ってみていた少女は、ゆっくりと尋ねた。


「……………もし」

『うん?』

「もし、私が勝てば――お父さんから奪ったものを全部、返してくれますか」

『ええ。だってリン、あなたはそういうつもりで異界ここに来たんでしょう?』

 

 かちん、と音を立てて空のカップが陶器の触れ合う音を立てて置かれた。


「だったら、私が《ゲーム》に勝ったらあなたの魔力を全部ください。それと、あなたの魔力の器も」

『それ、の入れ知恵?』


 シエルの問いかけに、少女は何も返さない。

 無言で魔女を見つめるだけだ。


 そうして少しだけ思案する様子を見せてから、シエルは微笑んだ。


『別に良いわよ。別に私の魔力だろうと、この世界の所有権だろうと――あなたに上げるわ』

「……なら、やります。《ゲーム》を」


 少女はそう言った後、魔女が口を挟むよりも先に――続けた。


「でも、《ゲーム》の内容は私に決めさせてください」

『ふうん? 何がしたいの?』

「決闘を」


 少女がそう言うと、微笑んでいたシエルの口角がぎゅっと持ち上がった。


『へぇ。それも彼の入れ知恵かしら。随分とまぁ舐められたものね。戦えないとでも思われていたのかしら。カジノの支配人は、戦闘魔法アクティブが使えないとでも』

「…………」

『それとも彼から魔法を教えられて自分も戦えると思い上がったのかしらね? リン』

「………………」

『別になんでも良いわよ。勝った方が互いの全てを手に入れる。まどろっこしい頭の戦いを抜きにして、あなたが殺し合いを求めるのであれば、それで。――あなたを殺して、その身体をもらうわ』


 魔女はそう言うと、かつん、と立ち上がった。

 それに合わせるように少女が立ち上がる。


 しゅるしゅるという音を立てて家具がほどけていく。


『リタイアなんて無しにしましょう。互いが死ぬまで終わらないのが、いちばん楽しいもの』


 真っ白い風景を彩っていた家具たちが姿を消して、殺風景な部屋になっていく。

 そうして全てがほどかれていく中で、その反対と言わんばかりに彼女たちの右腕にヘビのような刻印が絡みついた。


「……?」

『それは刻印シンボル。今回は支配人ゲームマスターがいないから印術シンボリックを互いに刻まないと、死んだ後に譲渡できないでしょう?』


 永くを生きた魔女はそう言って、笑った。


『では、《ゲーム》をはじめましょう』

「うん。


 少女がそううそぶいた瞬間、天井を突き破って出現したのは巨大な隕石。

 轟音。衝撃。瞬く間に襲いかかったそれが魔女の身体を叩き潰して、カジノそのものを貫通し、大穴を開ける。


 しばらくして地下まで貫通した吹き抜けに月明かりが差し込んだ。


 魔法の原理は、単純なものである。

 『属性変化:土』によって生成される岩塊。それを単純な魔力量で巨大化してやる。そうすれば重力の手によって巨大な質量兵器と化す。


 その魔法の名前を、


「楽しそうなところ悪いけど、長々やるつもりは無いんだ」


 ――『隕星ながれぼし』と呼ぶ。

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