第9話大崎からの指摘

夏休み前のある放課後。皆が部活や補習に散っていく中、俺は珍しく一人で屋上に来ていた。

たまには一人で風に当たりたい気分だったのだ。

柵にもたれてぼんやりしていると、扉のあたりから足音が聞こえた。

振り返ると、そこには大崎の姿があった。


「ここにいるって聞いたから来てみたんだけど……邪魔だった?」

「いや、別に。誰かが来ようが気にしないよ」


大崎は俺の隣に立ち、柵の向こうを見下ろす。

グラウンドでは運動部が走り込みをしていて、盛り上がっている声がかすかに届く。

しばらく沈黙が続いたが、大崎は少し居心地悪そうに唇を開いた。


「あのさ、清水とのこと……どう思ってるの?」

「どうって、別に。ただ一緒に海に行く約束しただけだ」

「清水はね、あんたのこと、たぶん結構本気で好きになりかけてるよ」

「……そんなこと、あいつから聞いたのか?」

「言ってないけど、見てたら分かるでしょ。私だけじゃなくて、斎藤だって気づいてると思うよ」


大崎はどこか厳しい目で俺を見ている。

自分では気づいていなかったわけじゃない。清水さんが俺に好意を抱いている可能性は、ずっと感じていた。

でも、そこに応えられるかはわからない。


「あんたさ、今までいろんな女の子と適当に遊んできたみたいじゃん。そういうのは別にいいんだけど、清水は巻き込まないであげてほしいんだよね」

「遊んでるわけじゃない。ただ、付き合うっていうのがどういうことかよくわからないだけだ」

「はあ……まあ、そういうタイプなんだね。じゃあ聞くけど、恋愛ってなんだと思ってるわけ?」


恋愛。

その言葉を聞くと、俺は思わず言葉に詰まる。

大人の女性たちとは“付き合ってる”というより、お互いに都合のいい関係、いわば割り切ったものだったりする。

同世代の子とは、上手くいかなくなるとすぐ別れ、そこまで深く考えたことがなかった。

大崎はそんな俺の反応を見て、呆れたように言った。


「やっぱりよくわかってないんだ。じゃあまずは、自分がその子と一緒にいたいのかどうか、そこをちゃんと考えるのが恋愛の第一歩だと思う。次に、その子を大切に思うなら、その子の気持ちや希望をできるだけ理解しようって努力するでしょ」

「……」

「それを面倒だとか逃げたりするなら、最初から恋愛なんかしないほうがマシ。傷つけるだけだからね」


いつもは軽いノリの大崎が、こんなに真面目なトーンで話をするのは珍しい気がする。

しかも言っていることがまともすぎて、俺は反論の余地がない。


「じゃあ、あんたはどうなんだ? 清水と一緒にいたいの? それともめんどくさいから放っておくの?」

「……わからない」

「わからないってなに? あの子はあんたにとってただの暇つぶしなの?」


大崎が詰め寄るように声を強める。

俺も少しムッとして反論する。


「そんなわけないだろ。暇つぶしならこんなに一緒に勉強したりしないし、海にだって行こうと思わない」

「なら、ちゃんと向き合いなよ。清水はあんたとの夏休みに期待してるんだから」

「向き合うって、どうやって……?」


本当にわからない。

“付き合う”というのがどういうものなのか、確かに俺はよく分かっていないし、真剣に考えたことがない。

大崎は「はあ」と大きくため息をつき、少し困ったように言った。


「じゃあさ、試しに私と話してみれば? 私も別に恋愛マスターってわけじゃないけど、少なくともあんたよりはわかってるつもり」

「おいおい、何をどう話すんだよ」

「理屈じゃなくて、具体的にどういう気持ちが“好き”なのか、どうやって相手を大切に思うのか……そういうのを教えてあげるってことよ。興味ない?」


大崎の提案は突拍子もないようで、でも俺にはありがたかった。

俺はしばらく黙り込んでいたが、小さく頷く。


「……悪いけど、ちょっと教えてもらえるなら助かる。大人の女性たちに聞くのはなんか違う気がするし」

「ま、確かに。それはそれでややこしくなりそう。じゃあさ、今度の放課後とか時間ある? 軽くファミレスとか行って話そう」

「わかった。じゃあLINEで連絡する」


こうして、俺は大崎と“恋愛勉強会”なるものをすることになった。

清水さんと海に行く日程がまだ先だし、それまでに“大事にする”ってどういうことなのか、ちゃんと考えておきたい。


戸惑いの連続


校舎を出て、帰り道。

今までの俺なら、こんな面倒くさい“恋愛”の話なんてわざわざ勉強する気など起きなかったと思う。

でも、清水さんの笑顔や、彼女が俺に見せるあの純粋な好意を思うと、無下にできない気持ちが湧いてきた。

俺は本当に彼女のことを好きなのか? それともまだそこまでの感情ではないのか?

わからないからこそ、“答え”を探したくなっているのかもしれない。


「恋愛か……」


無意識に小さく呟いて、誰もいない夕暮れの歩道を歩いていった。

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