第40話 僕でなきゃ死んでたね(ドヤァ
前回のあらすじ。
賢者殿によるライムちゃん殺害事件、発生。
おまわりさん、こっちでーすッ!
☆ ☆ ☆ ☆
賢者殿はナイフを引き出しにしまい、何事もなかったかのようにわたくしに微笑みかけました。
しかし、先ほどまで穏やかに見えていたその表情も、今となっては空恐ろしいものに見えるのでした。
「さて、お茶にしようか」
「こんな状態でお茶をッ!?」
「おやおや。今度の聖女様はお優しいね」
「…………」
言うべきことはいろいろあるはずなのに、作業台や床の上に飛び散っているライムちゃんの破片を見ると何も言えなくなってしまいました。
そんなわたくしをよそに、賢者殿はもうポットに茶葉を入れお湯を注いでいます。その所作は美しく様になっていましたが、わたくしは苦々しい気持ちでその様子を眺めておりました。
目の前で、一匹のスライムが殺された。
この異世界においてその出来事がどれほど重大なのかわかりませんが、わたくしは強いショックを受け、動けなくなってしまいました。
こんな姿をウェイ君に見られたら、また叱られるでしょう。
あるいは『やっぱりお前は腰抜けだ』なんて言われて元の世界へ帰るよう迫られるかもしれません。
それでも、彼から逃げてきたはずなのに、あの茶色い髪が、琥珀色の瞳が、よく通る声が、たくましい腕が、なぜか繰り返し浮かんで離れません。
やはりこの部屋を出るべきなのかもしれません。
一人でそんなことを考えていると、棚の高い位置に並んでいる瓶のひとつに銀色の液体が入れられているのが見えました。特徴的な鈍い光。先ほど賢者殿がライムちゃんに飲ませていたのと同じ薬のようです。
なんらかの効果があるから飲ませたのだと思ったのですが、いったい彼はなんのためにあの薬を飲ませていたのでしょう。
瓶にはラベルが貼ってあり、小さな文字でなにか書かれていました。
それを読めば、なぜ賢者殿がライムちゃんを殺したのかわかるかもしれません。
わたくしは瓶を手に取ろうと背伸びをしました。
「触るな!」
鋭い声が飛んできて、わたくしは思わず身をすくめました。
声のしたほうを振り返ると、賢者殿がこちらを睨んでいました。
「……あ、ごめんなさい……勝手に触ろうとして……」
慌てて謝ると、彼はため息をつきました。
「いや、ごめん。ちゃんと言ってなかった僕が悪い。その薬は人間にとって猛毒なんだよ。最悪死ぬ。だから触らないで」
「死ッ!?」
「まあ、そういうわけだから。この部屋にある薬は自由に見てもらっていいけれど、触りたかったら僕に聞いてからにしてくれると助かる」
そう説明する声は、もう元の穏やかな様子に戻っていました。
少しだけ迷い、わたくしは思い切って聞いてみることにしました。
「あのッ……さっきの、銀色の薬はいったいなんだったのですか?」
「それは見てればわかるよ。ほら、もうすぐだ」
そう言って賢者殿が指したほうを見ると、作業台の上に飛び散ったライムちゃんの破片の一部が小刻みに震えているのが見えました。
――もしかして、まだ生きている?
じっと見つめていると、破片はふるふると震え、這うように移動し始めました。
その先にはライムちゃんの銀色の核が含まれている破片がありました。ふるえる破片は、核へと向かっているようです。
床の上を見ると、他の破片も同じように震え、作業台の足を伝ってよじ登っています。
破片たちはまるで意思を持っているかのように銀色の核に向かって集まっていきました。小指の先ほどの小さな破片も、手のひらほどある大きな破片も、ゆっくりと融合しているようです。
「これが、あの薬の効果だ。しっかり目に焼き付けておきなさい」
賢者殿は言い聞かせるように呟きました。
わたくしは目を見張りながらその光景を見守ります。
破片たちは次々と融合を繰り返し、やがてひとつの塊になりました。
ライムちゃんの体は再生し、何事もなかったかのように作業台の上でふるふると揺れていました。
「ライムちゃん……生きてる……」
思わず、驚きと安堵の入り混じった声が漏れました。
そういえば先ほどの賢者殿の説明では、たしか例の銀色の薬は『一定時間が経過したら元の状態に戻る』というような話でした。
なるほど、こういうことだったのですな。
「こうしてライムちゃんはとっても頑丈なスライムになりましたとさ。めでたし、めでたし」
「驚きましたぞ。どうなるか言葉で説明してくれれば充分だったのに、なぜわざわざライムちゃんを刺したのですか? ライムちゃんだって痛かったのでは?」
ウェイ君から逃げてきたわたくしを匿ってくれている相手に対して失礼だとは思いながらも、そう追求せずにはいられません。
メタルスライムと化したライムちゃん自身も、作業台の上で抗議するかのように「きゅーるるるるるー」と鳴いています。
しかし、賢者殿は顔色ひとつ変えずに答えました。
「時計のかわりになるからさ」
「……時計?」
「飛び散ってからすっかり元に戻るまでが、茶葉の抽出時間にちょうどいいんだ。さあ、お茶が入ったよ」
賢者殿はポットからお茶を注ぎ、テーブルの上に出してくれました。
なるほど、だからさっき凄惨なシーンの直後にお茶を淹れ始めたのですな。
「人の心が無さすぎるッ!」
「所詮はモンスターだからね。この子、僕が寝ているときに顔に覆いかぶさって窒息させようとしてきたもの。あれは他の人だったら死んでたよ」
「ヒッ!?」
まさかライムちゃんがそんなに危険な存在だったとは!
可愛いくせに侮れませんぞ!
さっき人畜無害とか言ってませんでしたか!?
「さ、ライムちゃん。おうちに戻ろうね」
あっけにとられるわたくしをよそに、賢者殿はライムちゃんを両手ですくい上げ、元の瓶に戻してきっちりと蓋を閉めました。
お茶をいただいているあいだ、しばらくは「きゅーるるるー」という不満そうな鳴き声が部屋に響いていたのでした。
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