第36話 聖女は床から数ミリ浮いて歩く
前回のあらすじ。
【聖女の隠れ家】で出会った賢者殿がわたくしを
ウェイ君、助けてーッ!
☆ ☆ ☆ ☆
このままではマズいですぞ。
わたくしは賢者殿のご機嫌をうかがうように尋ねました。
「あの~、ちなみにどんな薬が調合できるのですか? 知りたいな~なんて、アハハ」
「ああ、スキルを使えばどんなものでも作れるよ。僕のスキルはね、『こういう薬がほしいなあ』と思ったらその材料がぼんやり頭に浮かぶ感じなんだ」
「なにそれ、すごいッ!?」
「ま、材料が手に入るかどうかは別の話だね。それに材料の知識も必要になってくる。知らない素材では手に入れようがないもの」
「たとえば、床から数ミリ浮く薬というのは? それなら靴がなくても足は汚れないでしょう?」
「うん、なかなかいいアイデアだ。面白そうだね。作ってみようか」
賢者殿は微笑みながら机に向かい、ペンを手に取りました。
「ふむふむ。材料は……ルリ蝶の鱗粉。コビトドリの羽根。透明な発泡海水。青いガラス瓶の欠片。スカイバンブーの葉。あとはしっとりパンケーキを少々」
なにやら呟きながら、さらさらとペンを動かして紙にメモを書きつけています。
その作業が終わると賢者殿はその紙を持って作業台に移り、棚からいくつかの瓶やフラスコを取り出しました。
その手際の良さに関心しつつ、わたくしは彼の動きをじっと見守ります。
「まずはガラスを砕いて。葉は火であぶり、羽根は細かく刻んで……」
次から次へと、材料が手早く加工されてゆきます。
それらを慎重に計量して混ぜ合わせると、青い液体ができ上がりました。
賢者殿はふたたび棚を見回しながらいくつかの材料を取り出します。それを青い液体に加えてかき混ぜると、液体が徐々に透明に変わっていきました。
「さあできたよ。これを足に塗る」
あっ、飲むわけじゃないんだ。よかった。
もし飲めと言われたらまた逃亡劇をくりひろげなければならないところでした。
だがしかし! ほっとしたその隙をついて事件は起きたのです。
賢者殿はでき上がったばかりの薬が入った瓶を持ってこちらへ近付き、油断しきったわたくしの足にその中身をドバッと振りかけたのです。
「うひゃぁあッ!? 冷たぁあッ!?」
ちょっ、ちょっと待って!
塗るって……、たしか塗るって言ってませんでしたかッ!?
わたくしの知っている『塗る』とは違うのですが!?
これはまるで……打ち水のような勢いッ!!
しかも冷蔵庫から取り出したわけでもないのに、なぜかキンッキンに冷えてるッ!!
「さて。どうかな?」
「……冷たいです」
「塗り終わったよ。ほら歩いてごらん」
やはり彼の中では『塗る』判定のようです。わからないッ! 文化が違ーうッ!
仕方なくそろそろと立ち上がり、その場で少し歩いてみせます。ゆっくりと、右足を前に。続いて左足を前に……。
「先生、足の裏の感覚がありません」
「そりゃ浮いてるからね」
「なるほど」
てっきり冷えすぎて感覚がなくなったのかと思いましたが、どうやら違うようです。
たしかに、床に足をつけようとしても木材の硬い感触はなく、どこか軽やかな感じがします。
浮いているのに足を動かすと普通に歩けるのがなんとも面白いですぞ。
「おおおッ、たしかにこれは浮いてる! 浮いてますぞ!」
「成功だね。君のおかげで面白い薬ができたよ」
満足そうに微笑むと、賢者殿はふたたび机に向かいました。
そしてペンを持ち、紙になにやら書き込んでいます。きっと今回の実験の記録なのでしょう。
その姿を眺めているうちに、なんだかわたくしも絵を描きたくなってきました。
まずは、脱いでいた右足の靴を履き直し、それからスケッチ帳とペンを取り出します。
靴を履いた右足の様子を描くと、次はその絵を左右反転させるように、左足にも靴を履いている様子を描きます。
最後に『千影』と書き入れて紙からペンを離すと、靴下のままだった左足に靴が現れました。
……ふぅ。やはり靴があると落ち着きますな。
満足して顔を上げると、すぐ近くに賢者殿の顔がありました。
「ワァ!?」
ウェイ君と行動をともにすること数日、少しずつイケメン耐性がついてきましたが、油断している状態で至近距離にイケメンの顔があるのはやはり落ち着きませんぞ。
賢者殿は銀色の髪をかきあげ、じっとわたくしのスケッチ帳を覗き込みました。
「なるほど、興味深いスキルだ」
「アッ……絵に描いたことが現実になるスキルなのです(ドキドキ)」
「そんなに便利なスキルがあるなら、もっと先に靴を描けばよかったんじゃないかな?」
「それが、効果時間が短いのです」
「ああ。スキルの制限か。でも工夫すれば戦闘にも使えそうだね」
「そうでしょうか?」
「噂は聞いているよ。召喚されてすぐに戦場で活躍したんだって?」
活躍、という言葉を聞いて、胸がきゅっとなりました。
ウェイ君はいつだってわたくしのことを『足手まとい』と言うばかりで、だから、初めての戦場でのことだって、あの地下牢でのことだって、わたくしは思い出すたびに胸が苦しくなるのです。
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