第五章 賢者殿

第34話 紺の衣を纏いて金色の窓に立つ

 ☆ ☆ ☆ ☆


 隠し通路は人ひとりがやっと通れるほどの幅しかなく、わたくしは壁板の継ぎ目にローブを引っかけないよう慎重に進んでゆきました。

 視線の先には白く塗られた可愛らしい扉が見えます。

 少しだけ開いている隙間から、日の光が差し込んでいます。もしかしたら外へ出られるかもしれません。


 わたくしは期待に胸を膨らませ、そっと扉を開きました。

 扉には黄色い鳥の形をしたドアベルがついていて、チリンと鳴るかわりに「ピヨピヨピヨ」と可愛らしく鳴きました。


 部屋の中に足を踏み入れた瞬間、視界が金色の光に呑まれました。

 大きな窓から入ってくる日の光が部屋の中を明るく照らしています。あたりには干した草の匂いが満ちていて、深呼吸すると少しずつ心がほぐれてゆくのを感じました。なんだか懐かしいような、ほっとするような、そんな匂いです。


 部屋の中にはさまざまなものが所狭しと置かれていました。

 天井には乾燥させた植物の束がいくつも吊るされています。部屋の中の匂いはこの植物のものなのでしょう。これをすりつぶして薬草などにするのでしょうか。


 窓際には色とりどりの植物が並べられ、気ままに枝葉を伸ばし花を咲かせています。

 奥の棚には大小さまざまな鉱石が並べられ、宇宙のようにきらめいています。別の棚には動物や虫や植物の標本が所狭しと飾られており、そのどれもが元の世界では見たことのないものばかり。ここだけ見るとまるで小さな博物館のようです。


 机の上には何冊もの本が乱雑に積まれています。それに、書き散らかした紙や筆記用具も。中には魔法陣のようなもの、なにかの設計書、計算式のようなもの、あるいは地図や星図や暦らしきものも見えます。


 その隣には作業台のようなものがあり、試験管やビーカーやフラスコのようなもの、あるいは丁寧にラベルが貼られたガラス瓶などが所狭しと置かれています。

 ここでいろいろな薬を調合しているのでしょうか。


 床の上には大きなトランクがいくつも置かれ、その横にはなにに使うのかよくわからない道具が散乱しています。

 壁には図鑑のページや新聞を切り抜いたような、写真や絵や文章が入り混じった記事がいっぱい貼られています。新しいものも色褪せたものもあり、部屋の主の興味の幅が広いのか、その内容もさまざまあるようでした。


 そういったものがすべて日の光に照らされて、金色に輝いているのでした。


「ワア……まるで異世界みたいですな、ってここ異世界でしたな」


 夢中になって部屋の様子を眺めていると、部屋の奥からくすくすと笑う声が聞こえました。

 わたくしは驚いて声のほうを振り向きました。

 しんと静まり返った部屋なので誰もいないと思い込んでいたのですが、いつのまにか窓際に美しい男性の姿がありました。

 その人はただ静かに、そこに立ってわたくしを見つめていました。


 なんだか不思議な雰囲気の人だな、というのが第一印象。

 すらりとして背が高く、顔立ちは中性的で整っています。年齢はわたくしより少し上の二十四、五歳といったところでしょうか。

 神秘的というか、どこかミステリアスというか、そんな雰囲気をまとった人でした。


 彼の髪は背中まで長く伸ばされており、窓から射し込む光を受けて銀色に輝いています。

 彼が身に着けているローブはとてもシンプルな作りのものでしたが、それがかえって彼の美しさを引き立てているようでした。

 紺色のローブに銀の髪が映え、まるで美しい芸術品のようです。

 その瞳は冬の空のような灰色ですが、表情は温かみを感じる優しいものでした。


 わたくしはしばらく彼にみとれたあと、はっと我に返って頭を下げました。


「……あのッ、すみませんでした! 勝手に入ってしまって!」

「かまわないよ。歯車のからくりを解いてきた者なら大歓迎だ」


 そう言われて、ようやく気付きました。

 あの歯車のところに書かれていたクイズのようなものは、わたくしにとってどれも簡単なものでしたが、こちらの世界の住人にとっては難解ななぞなぞに見えるのかもしれません。

 つまり、あのクイズは『聖女』と『こちらの世界の人々』とを分けるフィルターのような役目をしているのでしょう。


 男性は昔馴染みの友人に会ったかのような顔でわたくしに微笑みかけました。


「君は新しく来た聖女だね」

「はい、千影と申します」

「チカゲか。個性的な響きで良いね。なんだか歴史に残りそうな名前だ」

「ぐふふぅ~?」


 わたくしの『千影』というペンネームはよく中二病っぽいだのなんだのと言われることが多いのですが、歴史に残りそうだなんて、そんな誉められ方をしたのは初めてですぞ。いや~照れますな。


「あの、お兄さんのお名前も聞いていいですかな?」


 そう尋ねると、男性は困ったように笑いました。


「あぁ、そうだね……まあ、僕のことは好きに呼んでくれて構わないよ」


 どういうことなのでしょう。

 まさか名前がない、というわけでもないのでしょうけれど。


 そういえば創始の聖女様の本名も未だに知りませんし、わたくしもこの世界に来てから一度も本名を名乗ったことがありません。

 もしかしたら、本名を名乗らないのがこの世界の流儀なのかもしれませぬ。

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