第15話   木崎香奈の回想

 確実に間違えた。

 冷静になった今。自分のしたことが、あまりに滑稽で笑えない。空回りにも程がある。

 会社の休憩室で、コーヒーを飲みながら、木崎香奈はため息をついていた。

恋は盲目とは、よく言ったものだ。三日前の私は、完全に周りが見えていなかった。

 おかげで、高校時代からの初恋は、静かに散った。


 そもそも、告白すら受け付けてもらえなかった。


 高校に入学して、高校生活に慣れた頃、仲良くなった子達との会話で恋バナになった。好きな人はいるのか、彼氏はいるのか、誰がカッコイイか。

 高校生になっても、誰も好きになったことのない私は、この会話に曖昧な相槌を打ちながら、のらりくらりと、やり過ごしていた。その中で、初めて羽鳥先輩の名前を聞いた。

 付き合うなら同い年より、絶対年上がいいと豪語する子が、一学年上の羽鳥先輩が断トツでカッコイイと話し出した。そして、いかに羽鳥先輩がカッコイイかと話している途中で、急に教室の窓から少し身を乗り出しながら、一人の人物を指さした。


『今、校門のところを歩いているのが羽鳥先輩だよ!』


 話していた女子全員で窓から校門を見た。そこには、すらっと背が高く、高校生にしては大人びた、物静かそうな男子学生が、同じように大人びた雰囲気を纏った女子生徒と並んで歩いていた。


 「大人っぽい人だな」


 それが、羽鳥先輩を見たときの第一印象だった。

 本当に同い年なのかと疑いたくなるほど子供じみた同級生の男子たちとは違う。

一人の男の人が、そこにはいた。


 羽鳥先輩の存在を知ってから数ヶ月たったころ。帰りの電車の中で気分が悪くなった。連日続く猛暑と、冷房が効きながらも、帰宅ラッシュの人の熱が発せられた生ぬるい車内。今にも、意識が遠のいてしまいそうな感覚に、最寄り駅に着くよりも早く、停車した駅で降りた。

 なんとか冷房の効いたホームの待合室まで歩き、ベンチに座る。

 地面と睨めっこしながら、押し寄せてくる気持ち悪さと戦いながら、気持ち悪さが引くのを待つ。


 「冷たい水が飲みたい」


そう思って近くに自販機があっただろうかと顔を上げると、そこにペットボトルの水を持った羽鳥先輩が立っていた。


 『これ、よかったらどうぞ』

 『えっ!あっ、これ、えっ!?』

 

 急に羽鳥先輩に差し出された水を受けっていいものか分からず、声がうわずった。


 『気分が悪そうに見えたから、水でもどうかなって思って、持ってきたんだけど違ったかな?』


 少し首を傾げながら、水を差し出し、困り顔のような顔を向ける羽鳥先輩を西日が照らしている様子は、さながらドラマやアニメのワンシーンみたいだった。


 『いえ、合ってます。ちょうど、水が飲みたいと思っていたので助かります。ありがとうございます』


 初対面で、いきなり差し出された水を受け取るのは、どうかと思ったが、一方的ではあるけれど、自分は羽鳥先輩を知っているし、制服で同じ学校の生徒だと分かって声を掛けてくれたんだろう。

 何より、今は水が飲みたい。

 色々と水を受け取る言い訳を考えながらペットボトルを受け取ると、すぐに蓋を開け、体内に冷たい水を送り込む。1/3くらいほど体内に流しこむと、少しだけスッキリし、気持ち悪さが軽くなったような気がして、軽くため息が出た。


 『少しは、スッキリした?』


 声がした方を向くと、さっきまで目の前に立っていた羽鳥先輩が、二人分ほどのスペースを開けてベンチに座っていた。


 『はい。ありがとうございます。羽鳥先輩』


 羽鳥先輩の方に体を向け、改めてお礼をしながら、まさか友達との恋バナで出てきた羽鳥先輩と関わることになるとは思わなかった。こんなこと、数ヶ月前の私には想像つかなかっただろう。羽鳥先輩をカッコイイと言っていた友達が知ったら、羨ましがられそうだ。


 『俺、名前教えたっけ?』

 『えっ!?』

 『制服で、同じ学校の子だとは思ったけど、会ったことあったかな?』

 『あっ、えと、友達が羽鳥先輩のことを知っていて、それで、名前と顔は知っていて。なので、一方的にというか、、、会ったことはないですが、知ってはいてですね。すみません!』


 考えてみれば、当たり前の疑問を投げかけられ狼狽えてしまい、不自然な返答になってしまった。これでは、私が変な子みたいだ。ここから、どう挽回しようかと頭を回転させていると、くすくすと笑い声が聞こえてきた。

 

 『そんなに慌てなくても、なんとなく分かったよ。同じ学校の制服ってだけじゃ、初対面の人間でも警戒されるかと思ってたんだけど。だけど、おかげで水をすぐに受け取ってもらえて良かったよ』


 片手で軽く口元を隠しながら、笑うのを我慢するように話す羽鳥先輩は、前に見た大人びた表情とは違い、幼く見えた。


 「笑うときは、幼く見えるんだ」


 人を好きになるきっかけなんて、所詮、些細なことだ。

 この時に、私は羽鳥先輩を好きになったんだろう。この日から、学校で羽鳥先輩を目で追いかける日が始まった。

 そして、少しずつ学校で会えば言葉を交わすまでになった。でも、当時の私が頑張れたのは、そこまでだった。頑張りたくても当時の羽鳥先輩には、彼女がいた。

 そのまま卒業して、もう会えないと思っていた。

 だけど、この会社に入社して、また羽鳥先輩に会えた。彼女がいないなら、今度こそ頑張ろうと思った。だけど、いくら聞いてもはぐらかされ、一線を引かれているような気がした。


 再会してから、高校時代と変わらない距離感のままの日常と、自分の諦めの悪さに嫌気がさしていた。

 そんななか、先月の休みの日の出先で、羽鳥先輩を見かけた。

 休みの日に会えたのが嬉しくて、声をかけようとしたら足が止まった。

 

 視線の先には会社では見せない、高校時代と変わらない、少し幼く見える笑顔した羽鳥先輩がいた。

 そして、その笑顔は、一人の女の子に向けられていた。

 神山葵という女の子に。。。


 葵のことが頭をよぎり、木崎香奈は、持っていたコーヒーを飲み終わった空の紙コップを気付けば握り潰していた。



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