第16話 作家 柊サヨコ
夜更け。
高層マンションの一室、机に向かって黙々とキーボードを叩く女性がいた。
作家・柊サヨコ(38)。
恋愛小説を中心に数多くのベストセラーを生み出してきた人気作家だが、その顔はあまり世に知られていない。
彼女は、いつも物語の裏側にいた。
現実では、男は神のように持ち上げられ、女たちはその一言の優しさにすがる。
サヨコの作品は、そんな現実を**「理想の恋」に変換するフィクション**だった。
──男に優しくされて、舞い上がってしまう女性たち。
サヨコは、自身の作品の型に微妙な違和感を覚えていた。
(これが“幸せ”のかたちなのか?)
疑問が、膨らみ始めていた。
◇
ある夜、サヨコはふらりと**「カフェ・アンリミテッド」**を訪れる。
きっかけは編集者の紹介だった。
「最近、となりの雑誌の編集部で、話題男のマスターがやってる”カフェなんですけど……サヨコ先生の次回作のヒントになるかもって思って。」
その言葉に心が動いたのは、興味というより、職業的な“観察者の視点”だった。
(女たちは、この空間で、男の優しさにどう反応するのか。)
サングラスを外し、落ち着いた調子でカウンターに座る。
「ホットで、香りが強めのものを。」
「かしこまりました。」
マスター・結城悠馬の声は落ち着いていて、**媚びも威圧もない、ただ“そこにあるだけの優しさ”**だった。
(……ああ、確かにこれは効くわね。)
だが、サヨコは内心で自分の感情が動くのを拒んでいた。
(私は、“演出”を見に来た。観察者として、ね。)
しばらくして、隣の席に座った若い女性がマスターに話しかけた。
「マスター、最近ちょっと疲れてて……」
「無理しないでくださいね。コーヒーは、少しでも気持ちが軽くなるように選んでます。」
その一言に、女性は目を潤ませ、静かにうなずいた。
(……この空間では、“優しさ”が過剰に響くのね。)
サヨコは手帳を開き、さらさらとメモを書いた。
「優しさの供給が少ない世界では、たった一滴が救いになる」
そして、ふと思った。
(でも、それって……やっぱり不自然よ。)
「なぜ、こんなにも優しさに飢えてしまったのか」
悠馬が、サヨコに静かに声をかけた。
「小説、書かれてますか?」
「……え?」
「その手帳、構成ノートですよね。プロの匂いがする。」
「……まあ、一応。」
サヨコは少しだけ表情を崩した。
「あなた、観察力があるのね。」
「カフェをやってると、自然と身につきます。」
「じゃあ、聞いていい? “優しくされただけで舞い上がる女性”って、あなたはどう思う?」
「……悪くないと思いますよ。」
即答だった。
「それは、その人が“優しさに触れる準備”をしてきたからだと思うから。」
サヨコは、言葉を失う。
悠馬は続けた。
「人って、突然舞い上がったりしません。本当は、ずっと『飛びたくて仕方なかった』んです。でも、風が吹かなかっただけなんです。」
(“飛びたくて仕方なかった”……)
サヨコの中で、何かが少し崩れた。
帰り道、サヨコはスマホのメモアプリに新しい作品のアイデアを打ち込んだ。
「彼女は、優しくされて舞い上がったんじゃない。
風を待っていた翼が、ようやく開いたのだ。」
フィクションは現実の鏡。
ならば、サヨコの描く恋愛は、もっと“意志ある感情”であっていい。
「……また来ようかしら。」
次に来るときは、観察者として彼のことを見ることは、出来ないかもしれない。
◇
それでも
数日後、「カフェ・アンリミテッド」にサヨコがふらりと現れる。
「……また来たわ。」
悠馬は微笑む。
「お帰りなさい。」
“観察者”から“物語の一部”になった瞬間。
彼女のペン先には、今日もまた新しい物語が生まれていく。
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