六章②

 副画院長に手伝ってもらい、太医院の入口付近に春菊の画を飾る。

 画は桃の枝と、枝をいろどる桃の花々。単純な山水画ではあるが、墨の潤渇や筆致の変化が際立つようにしてある。


 以前の画風との違いはそれだけではない。

 花を描くときに対象物の特徴を強調し、精緻すぎる表現を避けている。

 これは風刺画の一件のときに、憂炎が描いてくれた非常に大胆なお手本に影響を受けたからだ。

 

 枝と花の間にちょっとした余白を設けたり、奥の方の花は消えいるほど薄い墨でごく薄く描いていたり、見る側の人間が気分が楽になるような箇所を配置してある。

 それでも、全体で見ると良くまとまっているし、味わい深い感じもする。

 

 駄作と言われてしまう覚悟もしていたけれど、太医院勤めの中医師は満足気だ。


「いやぁ、見れば見るほど良さが伝わってくる。それに、画題もいい!! 桃の花は長寿を連想させる植物ですから、太医院にはぴったりと言えます。ちなみにこの画は副画院長殿が描かれたので?」

「いえいえ、自分は描いていませんよ! 落款らっかんにある通り、ここにいる菜春菊が描き上げた作品です」

「ん? こんなわらしが? 桃の花をこんなにも渋く?」

「僕が描いたので間違いないよ」


 春菊は容姿の所為で、たとえ良い画を描いたとしても、別の人が描いたと思われがちだ。

 そういう勘違いに慣れてきたとはいえ、たまにつまらない気分になる。

 そんな春菊に気を遣ってか、副画院長は春菊自体をやたらと褒める。


「菜春菊は最近静水城での知名度が上がっています。後宮の妃からも名指しで作画の指名がされたりしているくらいなんですよ。画院の画家の中でも期待の若手という感じですね! 太医院は彼女の画をいち早く手に入れられて、幸運でしたね!」

「ふーむ。まぁ、そうですがね」


「––––––作品の良し悪しに年齢など関係はないと思うぞ」


 若い男の声が聞こえ、一拍遅れて布擦れの音がそこかしこから鳴り響く。

 何事かと振り返って確認してみると、太医院の入口から憂炎が立っていた。

 そして、その周囲にいる官吏達が、首を床に擦り付けるようにして、最敬礼の姿勢をとっていた。

 相変わらず不健康そうではあるが、目の下のくまが薄らいでいるおかげで、顔全体が涼しげな雰囲気になっている。


 中医師達と副画院長も憂炎の存在に気が付き、床に手を付き、礼の姿勢をとる。


「憂炎! 今散歩中なの?」

「ああ。……この画は桃の花か?」

「うん!! 天佑に桃の花をもらったことがあるから、それを思い浮かべながら描いたんだ」

「……」

「天佑は僕に下品な振る舞いや、野蛮な振る舞いはやめてほしそうだった。だから、あの時、桃の花に”雅”の意味を込めたんだと思う。僕もちょっとは”雅”について理解しようと思ったはずなんだけど、実現できてないんだ。でも、画になら、ちょっとは”雅”を表現できるんじゃないかなーて思った!」

「悪くない画だ」


 憂炎は画の近くまで歩み寄り、不思議なことを言いだした。


「……そもそも桃の花は”雅”を意味するものではないだろう。仙人や長寿、それから西王母、思い浮かべるのはこのあたりか……」

「そうなんだ?」

「つまり、桃の花を渡されたとて、お前自身は変わる必要などないのだ」

「んん?」


 横に並ぶ憂炎の顔を見上げると、しれっとした表情をしている。

 もしかすると、この人はいつもこんな調子で屁理屈をこねているのかもしれない。

 そんな憂炎に春菊は肩をすくめる。

 彼を見ているうちに、聞いてみたいと思っていたことを思い出す。

 陶器のかけらを取り出し、自分の手のひらの上に乗せ、憂炎に見えるように持ち上げる。


「憂炎はこの陶器に描かれた龍の画を見たことがある?」


 これは元皇太后付きの女官、鄧雨桐の部屋で見つけたものだ。

 彼女に返しそびれていたのだが、この破片を取り出して見るたびに見入ってしまい、次第に表面に描かれた絵に興味を抱くようになった。


「……これは前王朝––––––りゅう家を表す紋だ。この紋となったのには、一つの伝説が関係している。かつて、柳家に従う龍が二匹存在した。そのうち一匹は香洛近くを流れる川に住み、そしてもう一匹は……」


 憂炎は少しの間、黙って目をつむったかと思うと、「そろそろ戻らねば」と口にした。

 彼の整った眉は片方が上がり、もう片方が下がっているので、なんとなく心の内が波立っているような雰囲気ではある。

 憂炎はすぐには外に出ず、春菊に対して質問をしてきた。


「来週から旅に出るそうだな?」

「う、うん」

「帰ったら土産話でも聞かせろ」

「分かったよ」


 足速に去っていく彼の背中を見送りながら、春菊は首を傾げる。

 本当に不思議な人だ。

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