四章③

 憂炎は執務の合間に画院を訪れた。

 しかも画を描く春菊の見学だけするのかと思いきや、春菊が落書きした紙に、ひでりがみの絵を描き始める。

 画院に居た画家達はやはり興味があるのか、こぞって彼の手元に視線を向けている。彼等のの態度は世が世なら不敬とも言える態度ではある。

 しかし、憂炎は画家達の目線をものともせず、紙に筆を走らせ続ける。

 彼の画を見て、春菊は呆気にとられた。


 歪んだ楕円に丸二つと、半円一つ。

 その中にも丸二つと半円一つが置かれる。

 これは一体何なのだろうか?


 春菊は様々な角度から自分の落書きに描き足されたを凝視し、指の隙間から目を細めて見るなどし、推測しようとする。

 そして、半刻ほどの時間を要してようやくそれらが神の姿なのだと理解した。


「やっと分かった! これが魃の姿なんだ!!」

「思ったような姿にはならなかったが……、大体このような雰囲気だな」

「可愛いね。一応ほくそ笑んでもいるかも」

「まぁ冗談だがな。これが魃の姿というのは嘘だ」

「え……、それは困るよ。僕は魃の姿を見たことがないから、描けないんだ」

「見たことはあるだろう。俺の殿舎に飾られたお前の父親の画が、魃を描いたものなのだからな」

「そうだったの!?」

「ああ」

「あんな姿をしていたのかぁ……」

「これでお前の面倒な依頼も何とかなりそうだな。さて、これから俺に謁見しに来る者がいるから、このくらいにしておこうか」

「有難う! 描けそうな気がしてきた!」


 春菊は扉まで憂炎に付いて行き、画院を出ようとする彼を見送る。

 気まぐれだとしても、わざわざ参考に出来るような画まで描いてくれるとはとても優しい人だ。


「––––左丞相家の娘は」

「へ? 左丞相家の娘って……巧玲のこと?」

「そんな名だったか。その娘のことだが、あのおかしな男––––一応俺の父方の従兄弟にあたる人間だが……その者の後妻となると決まったようだ。天佑もそうだが、お前も巧玲とやらには関わらない方がいいだろう」

「僕が巧玲と関わったなら、憂炎や天佑の迷惑になるってこと?」

「……お前の身の安全のためだ」

「そうなんだね」


「––––憂炎様、先方が到着なさいました」

「今から向かう」

「差し出がましい言葉をどうぞお許しくださいませ」


 憂炎は彼の付き人と話しながら、画院から遠ざかって行く。


 春菊は彼等が角を曲がるまで見送った後、画院の扉を閉め、自分の席に座った。

 画家達は各々の席に戻っており、もう無駄話もしていない。

 やはり憂炎の訪問にはかなり慣れているんだろう。


(それにしても、巧玲にとっては気が進まない結婚みたいだから、気の毒だなぁ。僕に八つ当しちゃたのは仕方がないのかもしれない)


 昨日会った時、巧玲は随分と自分の結婚するであろう相手を悪し様に言っていた。

 あの荒れようを思い出すと、自分が気楽な一般庶民の生まれで良かった思わずにいられない。


□□□


 夕刻になると、画院に院長が戻って来た。

 淑妃の為に描いた画を納品する前に観てもらうと、直ぐに品質に問題なしと評価され、春菊は帰る前に後宮まで行き、淑妃付きの女官に渡した。

 女官は仕事の速さと丁寧さを褒めてくれたので、春菊は上機嫌なまま帰り支度をする。


 近くの棚の上に乗せていた包袱風呂敷を自分の卓に移し、中に入った平べったい木箱の蓋を開ける。

 するとそこには、予想外の画––––黒く染まった紙に白色の線で描かれた鶏の姿があった。昨夜描いた陰陽の画だ。

 同じ種類の箱を画院用と、陰陽の画用と使い分けていたはずだけれど、おそらく間違えて持って来てしまった。


「わわっ、これは持ち歩かないでおこうって決めたのに、朝はかなりぼけていたなぁ」


 しかし、危険物が入っているからと木箱に紙に入れないのでは、画院で描いた画がぐちゃぐちゃになってしまう。

 だから、仕方がなしに陰陽の画を裏返し、その上に自分と憂炎が描いた画を乗せる。


「よし、帰り支度完了! それじゃあ皆、お先にー」


 作業に没頭する画家が殆どなので、春菊は小声で挨拶して画院を出る。

 広大な静水城の敷地を抜け、官吏用の通用口から市街に出るまでに、外は熟した柿のような濃い色に染まり、大街大通りはすでに多くの人で溢れた。

 

 春菊は人々をかき分けるようにして道を進みながら、憂炎の画を思い出す。

 彼の描いた魃の姿は人の姿でもなく、動物の姿でもなかった。

 図形に近い何かに目や口を描き足したにすぎない。

 観る人によっては、それこそただの落書きに見えてしまうのではないだろうか?

 だけど、見ているとなごむ、可愛らしい画だった。


 道端ではあるが、もう一度見て、あの画のどの辺が良かったのか確認したくなる。

 大街の人混みを避けて脇道に入り、手に持つ包袱から木箱を取り出し、蓋を開けてしまう。

 夕方の弱い光量下で見ても、憂炎の画はなかなかに味わい深く感じられる。


「こういう描き方もありなんだなぁ」


「––––おい! そこにいるのは菜春菊だな!?」

「へ!? その声は……」


 小道の奥の方から、今はあまり聞きたくない人物の声が響いた。

 

「蘇華文、なんで君がここに……」


 春菊は画を彼に観られないように、木箱に入っている一番上の紙を持ち上げ、その下に隠してしまった。


(あ、一番上は陰陽の画だったっけ……、大丈夫かな)


 夕焼けの光で鶏の画がうっすらと透けて見え、やたらと禍々しく思えた。



 

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