一章⑦

 春菊は父親の描いた画の前で画院の画家等に取り囲まれる。

 彼等は春菊の父にかなり世話になったらしく、娘である春菊にも親しみを感じてくれているようだ。

 『何か困ったことになったら助ける』などの有難い言葉をかけてくれる。


 画家一人一人の名前を聞き、記憶しようと頑張っていると、画院の副院長である鄭浩然てい こうぜんが「まずはこちらを優先してほしいです」と、春菊の袖を引っ張る。


 連れて来られたのは、画家達の作業部屋の隣の物置のような部屋だ。

 巨大な棚が十台以上並んであり、様々な画材がところ狭しと置かれている。


 鄭浩然に何がどこに置かれているかざっくりと説明してもらった後、筆・墨・硯・数種類の紙といった上質な文房四宝を支給品として譲り受ける。

 手ぶらで来たのに皇太后のために画を描くことになってしまった春菊は、必要な道具を得て胸を撫で下ろす。

 これだけの画材があれば、すぐにでも画を描けそうだ。


 画院の画家達が手がけている作品を見て回ったり、ちょっとした雑談などをしながら時間を潰していると、四刻一時間ほどで一人の女官が画院に来た。

 彫りが深く、寂しげな顔立ちをした女性は、鄧雨桐とう うとうと名乗る。

 彼女は皇太后付きの女官であり、春菊を迎えに来たと口にする。

 前もって皇太后からの無茶な要求について聞いていた春菊は、画家の皆に見送られ、先を行く雨桐の後を追いかける。


 広大な清水城の敷地を早足で移動し、連れて来られたのは北に位置する後宮だ。

 御水園と呼ばれる美しい庭を挟むようにして西側に六つ、東側に六つの宮殿が向かい合うようにして立ち並び、西側にはさらに、皇帝の私室がある慈炎殿がある。

 皇帝の生母である皇太后の宮殿もまた西側に位置する。

 重要な宮殿が西にまとめられているような配置になっているのだ。


 皇太后が住まう永水宮は女官の数が妃達の宮殿の倍以上おり、後宮の中で最も華やかな宮殿らしい。とは言っても、現在皇帝が年若いのもあって後宮にある宮殿の殆どは使われておらず、二名の妃が政治、外交的な理由から東の宮殿に入っているにすぎないようなのだが……。


 永水宮に着くまでの間、春菊は雨桐に延々と後宮についての説明をされ、頷きすぎて首が痛くなった。


 宮殿内は異国的な造形の調度品と、圭国内の伝統文化が絶妙な比率で混ぜられていて、大変見応えがあった。

 崑崙山の女仙の住処や天佑の屋敷など、凝った内装の建物を見慣れている春菊ではあったが、ここはそのどれとも違い、見ていて飽きない。


 宮殿内には香が焚きしめられ、その煙のせいで何度もくしゃみをする。

 そのたびに女官達にきつく睨みつけられ、春菊は縮こりながらとぼとぼと歩く。


 待つこと二刻ほどで面会が可能になり、春菊はのろのろと皇太后の私室に立ち入る。

 雨桐にひざまづくように言われ、慌てて彼女と同じような姿勢をとったが、そのせいで皇太后の姿を見そびれた。

 

おもてを上げよ」


 女性にしては低い声に応じ、春菊は顔を上げる。

 架子床の前に備えられた長椅子にゆったりと腰掛ける女性はとても美しく、皇帝の生母という割に随分と若い印象を受けた。

 肌には張りがあり、髪には艶がある。

 そしてどういうわけか、天佑にそっくりだ。

 切長の目や薄い唇。まとう雰囲気までもが天佑にかなり似ているように見える……と考え、春菊は首を傾げた。


 後宮までの道中で雨桐に聞いた話では、皇太后は皇帝の母にあたる人物であり、彼女の妹が天佑を産んだらしい。

 だから天佑と皇太后は叔母と甥の関係になる。。

 崑崙山で画ばかり描いていた春菊は普通の家族や親戚の関係性や、血の濃さによる影響などについてはかなり疎い。

 だからなのか、これだけ姿が似ていることに、わずかばかりの引っ掛かりをおぼえてしまった。


「驚き固まるたぬきのよううだな。それほど私の顔が気になるか?」

「わ!! 初めまして。今日から後宮で画を描くことになった菜春菊……です」


 後宮に出発する前、短時間で浩然に仕込まれた付け焼き刃的な挨拶をする。

 高貴な人間に対してする態度ではないのだろうが、皇太后は機嫌を損ねたりはしなかった。

 その代わりに、春菊の隣でひざまづく雨桐がぴくりと動いたので、もしかするとかなり無礼なことをしでかしてしまったかもしれない。


「おや? そなたの着ている深衣は、私が天佑に贈った物ではないか。もうあやつが着れる丈ではないだろうと考えておったが、そなたにはちょうど良い長さのようだ」

「この深衣は天佑から貰ったもので間違いないよ。僕が着ていた道袍はみすぼらしかったみたいで、これを着るようにって渡されたんだよ。静水城はちゃんとした物を着ないと外に追い出されてしまう所とかがあるみたいで!」


 改めて今着ている深衣を見下ろしてみると、刺繍の柄が少し女性的かもしれない。

 天佑が雅やかな言動を心がけているから、てっきりこの深衣も彼が選んだと思っていたけれど、女性である皇太后が選んだのなら納得だ。


「あの潔癖症の男が自分の幼少時代の深衣を貸すくらいだ、よほどそなたに心を開いているのだろうな」

「そうかな? 僕と天佑は画を通してしか分かり合えていないよ。それ以外はまともに意思疎通出来たためしがないんだ。自分で言うのも変だけど」

「画を通した友情か。それで充分だろう」


 満足気に笑う皇太后につられて、春菊も笑顔になる。

 部屋の空気はどういうわけか冷え切っているけれど、皇太后からのみ画の依頼を受けるのだから、彼女の機嫌がいいなら他を気にする必要はないだろう。


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