第1話⑥ 星には手が届かない

 アオさんはショックじゃないんですか。

 ハナさんは俺にそう問う。

 俺は答えた。


「まあ、ショックといえばショックですし、非常識なのはその通りですけど。でもまあ、わかっていたというか、覚悟していたというか。ドタキャンされるのもこれで3回目? 4回目? とかですし」


 やけに早口になっていた。なぜだ。

 ……とにかく、よく言う想定の範囲内ってヤツだ。ハナさんくらいの美人なら、自分がドタキャンされる側に回るなんて考えもしないだろう。しかし、俺は違う。違うのだ。


「……怒って、ないんですか?」

「……怒っては、ないですね。まあ自分でもダサいなとは思いますけど」


 これは本心だ。見栄でも強がりでもない。ただ空しかっただけ。とにかくみじめなだけ。

 この年になっても、コミュニケーションがうまく取れない。口説くなんてもってのほか。


 女に相手にされない男なんて、相手にされる人間と比べたら世界が半分しか存在しないようなものだ。だって半数の人間と意思疎通が取れなくて、心を繋ぐことができないってことなんだから。

 ……生きてる意味、薄いよなあ。


「……あ、いや、すみません。愚痴っぽくなっちゃって。俺も酔ってんのかな、ははは……」


 ってやばいやばい。初対面の女性に何ネガってんだ俺は。男とか女とか以前に普通にウザい。

 俺は取り繕うように、努めて明るく誤魔化した。


「たぶん、マッチングアプリなんてそんなものですよ。女性はともかく、男は多かれ少なかれ、俺みたいな目に遭ってると思いますよ。だから怒るほどのことじゃないですって」


 もちろん、最上位グループのイケメン殿は違うんだろうけどな。

 

 ハナさんは手元のグラスをくるくると弄びながら俺の言い訳を聞いていた。ようやく少し落ち着いたのかもしれない。


「……難しいですね。婚活……ううん、異性と出会うって。正直に言っちゃいますけど、登録した時はすぐ相手見つかるぞー! って舞い上がってました。」

「ああ、わかります、その時の気持ち。希望を絞って条件検索しても『1,000人』とか表示されると、『お、こりゃいけるかも』って思っちゃいますよね」

「そうですそうです! カッコいい男の人も、年収の高い男の人もこれでもか、ってほどいましたし。医者とか弁護士の方とかも当たり前のように出てきますし」


 なんだ、やっぱりハナさんもハイスぺ、スパダリ狙いか。多少モヤる部分もある一方、彼女くらいの美人ならその資格は十分ありそうだから仕方ないかとも思う。


「なのに、なーんかうまくいかないんですよねー。それこそ男の人なんて星の数ほどいるのに」


 ハナさんはふっとため息をつく。


「そりゃあ、星には手が届かないからじゃないですか」


 まあ、地べたを這いずり回っているのは俺だけであって、綺麗な彼女は星に住む側の人間だとは思うが。

 もちろん、それを口に出したりはしない。キモいとかクサいとか言われたくないし。下心あると思われるのも嫌だし。そもそも俺の顔で言っていいセリフではない。

 

 そのはずなのに、なぜかハナさんは俺をまじまじと見て、それからぷっと小さく噴き出した。


「な、何で笑うんです」

「い、いえ。す、すみません。なんだかセンスある返しだなあと思って。まあ、私には手が届かないって言ってしまうのは、ちょーっと減点ですけど」

「い、いや、そういうわけじゃ……」

「わかってますって。少しからかってみただけですよ」


 ハナさんは茶目っ気たっぷりにそう言う。


 なにこの人。俺でも会話が楽しくなっちゃうじゃん。

 何となく心がそわそわして、視線を逸らす。すると、いつのまにか彼女のグラスが空になっていた。飲むの早いな……。


「何か注文します?」

「あ、すみません。じゃあ梅酒のロックで」

「了解です」


 俺は店員を呼ぶ。大学生くらいの女の子だ。


「ご注文は何になさいますか?」

「梅酒のロックとコークハイボール一つずつお願いします」

「かしこまりました。他に注文はございますか?」

「いえ、大丈夫です。よろしくお願いします」

「はい。少々お待ちください」


 オーダーを取ったその店員はにこやかに会釈すると、そのまま厨房のほうへ引っ込んでいった。

 すると、なぜかハナさんがじっと俺を見ていた。とはいっても、見つめるとか流し目を送るとか色っぽい感じはまるでなし。挙動に注目しているというか、珍獣を眺めているみたいな目だ。


 え、俺の注文の仕方そんなにおかしい? 基本、飲み会は参加しないし誘われないし経験に乏しい。またなんかやっちゃいました?


「こ、今度は何です」

「あ、いえいえ! アオさん、優しいなと思って」

「は?」


「店員さんへの接し方です。年下の女性相手でも、口調が丁寧で、物腰柔らかい感じで、今のはポイント高いと思います。……って、すみません。上から目線にみたいになっちゃって」

「いえ、それは構わないですけど……。別に普通じゃないですか? 上の世代ならともかく、あなたや俺らくらいの年でそういう人ってあんまりいないと思いますけど」


「いや、それが意外といたりするんですよー、これが。この前会った人も、いいお店には誘ってくれたんですけど、やたら店員さんに強く当たる人で。正直引いちゃいました…。それに、このあいだ学生時代のゼミのメンバーで飲んだんですけど、やたら態度が大きくなっちゃった同期とかもいて。ああ、こうやって人って変わっちゃうんだなって、なんかショックで」

「……なるほど。それも大人になるってことの一側面かもですね」


 確かに、言われてみれば今態度がデカい昭和のオッサンたちも、昔からそうだったとは考えにくい。ならば、人間どこかでそうなっていくタイミングがあると考えるほうが自然だ。俺くらいの年でも、やたら後輩にイキっている奴も出てきたりしている。そういう連中がそうなっていくんだろう。


 俺が思索の海に沈みこんでいると、ハナさんは言った。


「なんて、私も全然、もう人のことなんて言えないんですけどね」


 どこか、諦観が滲んだ声で。

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