吉祥寺と青空

@usapon44

第1話 ロンロンで待ち合わせ

 吉祥寺の街をグーグルまっぷでみる。ほとんどが変わってしまっている。もうわたしたちが大学生だったのは、うんとむかしになってしまった。あのころは、改札口をでたところに、伝言黒板みたいなものがあった。そういうものが駅にあって、桜の木の下で、待ってます。というようなものをかいてみたいなあと想うのだった。その改札口をでたところで、結婚を前提につきあってください、と彼が右手をさしだしたのは、1987年5月のことであって、わたしは、そのさしだされた右手に自分の右手をのせて、こちらこそ、よろしくおねがいしますというと、かれは、そのまま、手をつないで、外にでて、その日も晴れた日で、そのあと、いっしょに散歩をしたのかな。もう、街はかわってしまって、わたしたちが、食事を楽しんだりしていまも残っている店はほんの数軒となってしまった。だけれども彼とは1990年5月くらいから印籠を手渡されたのは1991年5月下北沢の駅前で、どんなことがあっても君とは結婚しない、そういうことで、と、膝がやぶれたジーンズをはいて、数時間もまたせたあげく、くるっときびすをかえして、それきり、二度と会っていない。だから、吉祥寺の街の記憶は、たった、さんねん、なのであるが、それがやっぱり青春まっぷみたいになっている。


 1988年5月。

 わたしはロンロンの改札口を出たところのほんやさんでかれと待ち合わせをしていた。かれはこの四月から希望の本郷の経済ゼミにはいれた。それで五月のお天気のよい日に待ち合わせをしたのだった。

 わたしがとしょかんで、その、経済ゼミにはいるための動機に関する作文をみてあげた。そうして、もっと、入りたいという気持ちを、最後にかけばいいよ、とアドバイスをした。わたしは地方の医学部を受験しようと考えていて一浪して、地方の医学部は小論文が必須で小論文の勉強をしていた。だから、そういうこともあって作文をみてあげていた。かれは、F判定で東京大学経済学部にはいった、ということをその文章にも引きずっていて、消極的にわたしには思えた。それで、わたしは、最後に、とっても、とっても、先生のゼミにはいりたいですとつけくわえたらいいよ、といった。

 それは、わたしがはじめて綴り方を教えてくださった女せんせいの、作文のかきかたであって、起承転結の、結の部分に、とっても、とっても、楽しかった、とかくといいのですよ、と教えてくださって、女子大学入試の小論文もその書き方で受かった。暗くて暗澹たるきもちは、転でかいて、そうして、この女子大にきて、女子ばかりで、女子が主体となる、ほんのゆるされたよねんかんで、いろいろかんがえていきたい。それには創立者の考え方が必要だし、学びたいと。

 その方式で、かれに、もっと、はいって一緒にがんばりたいっていう気持ちをかけばいいよ、といった。わたしたちは、よく学校帰りに、ほんやさんで待ち合わせをしていた。吉祥寺の改札口をでたすぐのところのほんやさんだ。ほんやさんでいないのかなあとおもって改札口がみえる本棚の前で立ち読みしているとふらり、と、その白い本棚のうしろからかれが姿をあらわしたりして、それが、あ、さきにきてくれてたんだ、というよろこびにつながった。

 そういうちいさなことがうれしかったな。わたしたちはきっさてんにはいってはなしまくっていた。だけど、吉祥寺が青春まっぷになって、小池真理子さんのかれとの思い出を読むと、名曲喫茶が、かならず登場していて、わたしも、そのころ、吉祥にあった、名曲喫茶こんつぇると、という洋風の一軒家、にひとりでいって、ほおづえをついて、ぼんやりしていたら、そういうことができていれば、もっと、ちがったじんせいがひらいていたのだろうなって想う。そういうことは、あとから想うものであって、同級生の英文科、のおんなのこは、よくひとりでそこへいくよ、といっていて彼氏も、音楽で知り合った東京経済大学のひとだったんだけれども、ふられちゃったんだ、と、いっていったあと、笑っていて、アパートの前までいって、あけて、っていったんだけど、おまえとおれはつりあわねぇ、っていわれて、ふられた、ってわらっていたうつくしいかおのひとが、そういうおとなのじょせいのいくばしょだとおもいこんでいて、わたしはかれと、くろねこ、というカフェで280円のサンドイッチをつまみながら、珈琲をのみながら、いちじかんくらいおはなしするばしょがカフェだと想っていた。いまから想うと、てのうちをすべてみせているような恋愛なんて、かれのような頭のよいひとは、つまんない、ってすぐ想うだろうに、かれにはすっかり気をゆるしていて、そういうことは考えもしなかった。いまだったら、愚痴とか悪口とか男子にいうと嫌われますよ、というようなことが始終ネットにのっていたけれども、わたしは、いったいなにをはなしていたのだろうか?はて?とおもうほど、なにもかんがえずに、ただただわたしのはなしをにこにこ笑顔で前にすわっているひとがきいてくれている、ということで、ほんとうによくよくかんがえれば、そんな話題誰が楽しいとおもうの?みたいなはなしもしていたのにきっと、めのまえのかれはにこにこと、相槌をうつのが上手なひとであって、ずっとこんなかんじの、さほど高級感のない、白い家具のある、なんてことないばしょで、いっしょにいるような気がしていた。


二年生までは、彼は、駒場だったので、井の頭線でいっぽんでこれたけど、いまは本郷になって、それでもおんなじほんやさんで本を立ち読みをしているとかれがやってきた。それで、わたしたちは、いつものように、井の頭公園を散歩することにした。かれはわたしが持っていた鞄を持ってくれて、井の頭公園のほうにむかった。通いなれた道のように丸井の角を左折すると、いつもの道がある。すこし歩いたところに画廊があり、そこでなにをあたらしく飾ってあるかみるのがひとつの楽しみであった。クリムトのメーダ・プリマベージの肖像が飾ってある。

「もっとさあ、この絵の少女みたいに、ふわっとした白いワンピースとか着なさいな」かれがそういう。実はかれにいいよ、いいよ、といっておごっている酒代があって洋服にまわすお金がない。

「わかった」

 母に電話をしてこのようなワンピースをつくってもらおうと思う。おしゃれでかわいい洋服はすべて母に縫ってもらっておくってもらっている。井の頭公園の入り口にある旅館から浴衣を着た男が手ぬぐいをかけて、のんびり、五月の風にあたっている。ああ、いいなあ。おとなになってこんな晴れた五月の午後、そんなのんびりしたせいかつができるなんて作家ぐらいだろうなあ、と考える。作家になりたいような気もする。だけど、ここのうちのうちのきもちは書きたくない。井の頭公園をいつものように時計と反対周りでぐるっと歩く。高級住宅地がみえる。ああ将来このあたりに住めたらいいなあ、って思う。ずっと池のまわりをまわって白いマンションがみえる。ああ、あそこにも住めたらいいな、って思う。それで入り口にもどってきて吉祥寺の駅の方へ向かう。

「信長の野望って知ってる?」

 とかれが聞いてくる。

「ぜんぜん知らない」

 というと東大のコンピューター室にあるゲームソフトで信長になった気分で国を支配するんだけれどもこれがまたむずかしいおもしろゲームなんだ、と話す。

「Fortram知ってる?」

 と聞いてくる。

「ぜんぜん知らない」

 というと東大の経済学部で必要なプログラミング言語なんだ、という。へぇ、っておもう。それからイタリアの旗がなびいているパスタフレスカに入る。

「ここのパスタてづくりでおいしいらしんだ」

 とかれがいう。メニューをみるとイカ墨のパスタが1300円である。注文を店員が取りに来る。かれは、ペペロンチーノをわたしはイカ墨のパスタをたのむ。かれが笑うと唇があひるみたいだなあっておもう。パスタがやってくる。ペペロンチーノは具がない。

「具がないね」

 というと、パスタの味を確かめるためには、ペペロンチーノを基本たのむでしょ、と上から目線でいってくる。350円しかちがわないのになあとイカ墨のパスタをいただく。めちゃくちゃおいしい。ああ、おいしい、とどんどん食べる。

「こんなおいしいパスタ食べたの生まれてはじめて」

 と微笑むと、

「デートのときにイカ墨のパスタを食べるなんて無神経だ」

 かれが怒り出す。わたしはすっかり気をゆるしすぎていた。


 ・・・・・・


 もういまはめのまえにいたかれとは永遠にあっていない。あたりまえだのクラッカーだとおもう。そのお店ももうない。ノルウェイの森を読む。主人公がアルバイトをした店はその店かしら、と勝手に想像を膨らます。あれかれもう34年の歳月が流れたのだ。当時の吉祥寺の地図は覚えている。武蔵野文庫、まめぞう、ぐくつ草、佐藤のステーキ、いせや、こささ。それらは34年たっても残っている。もう大正通りにあったバンビはない。あそこはご褒美食だったなあ、と黄色のサフランライスに白いビーフストロガノフ。ロゼのワイン。窓際の席。絵葉書がたくさん貼ってあったトイレ。小学校の木造校舎の床みたいな床。もし未来のわたしから当時のわたしにいうとしたら、もっとおしゃれしなさいよ、ミシンぐらい下宿にもっておきなさいよ、っていうかもしれない。恋せよ乙女 花のいのちは短くて。


 ・・・・・・

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