24. 殺戮のユートピア
「柴田くん、そっちはどう?」
紅音はハンズフリーで電話をしながら捜査車両のハンドルを握った。海渡は運転免許証を取得していないため、会話を聞きながら助手席で窓の外を眺める。スマホと連携して音声が車内に流れるように設定されていた。
『マンションの前を張ってますが、富田が戻ってくる気配はありません。班長はどちらに?』
「市内のネットカフェに富田がいる可能性があるから、海渡と一緒に向かってる。ネットに次の犯行を示唆する書き込みがあっただけで、そこにいるのが犯人とは限らないけど」
『海渡、復活したんですね』
「ええ、ちょっと時間がかかったけれど、もう大丈夫よ」
会話を聞いていた海渡は「悪かったね」と窓の外を眺めたまま口にした。
十五年前の事件とはまったく関係がないのに、この事件を解決したら一歩先に進むことができる気がした。
謙人と佑が俺に何を望んでいるのか。
そんなことはわからないし、確かめようもない。だけど、俺にできることは彼らのような被害者を出さないこと、せめて苦しい思いをしている遺族のために犯人を逮捕することだけだ。
この事件の先で、俺は何を得るだろうか。
「柴田くんは引き続き咲良ちゃんとマンションの張り込みをお願い。こっちも何かわかったらすぐに連絡する」
『了解しました。こちらも進展があれば報告します。お気を付けて』
「柴田くんも」
ふたりの通話が終了した。
紅音と裕武が同じ班で捜査をするようになったのは数年前のことだが、彼らが出会ったのはもっと前だ。
そのときから、こうなることは決まっていたのかもしれない。
捜査車両は件のネットカフェが入るビルの前に到着した。このビルの五階にネットカフェがあり、次の犯行を示唆する書き込みはそこにあるパソコンの一台から投稿された。
「行くわよ」
「うん」
仮に富田がここにいるとしたら、凶器を所持していることも考えられ、慎重に行動しなければネットカフェで篭城される恐れもある。
紅音と海渡はエレベーターに乗り込んで、五階のボタンを押した。途中で止まることなく目的階に到着すると、ゆっくりと扉が開いてそこはネットカフェの入り口だった。
ふたりは周囲を確認しながらネットカフェに足を踏み入れた。入ってすぐ右側にある受付カウンターに若い男性店員がネイビーのエプロンを身に付けてこちらを見ている。
「いらっしゃいませ」
「こういう者です」
紅音は声を潜めて店員に警察手帳を示し、小声で話すように頼んだ。胸ポケットから写真を取り出すと、それを彼に見せる。
「富田裕也という男なんですが、こちらを利用していませんか?」
「お待ちください」
店員は指示の通りに小声で話しながら、カウンターにあるパソコンで利用客の情報を確認した。
すべてがパソコンで管理される時代になったがために、犯人の足が付いて解決する事件も増えている。防犯カメラの台数も年々増加傾向にあり、警察はより迅速な情報収集が可能になっていく。
海渡は紅音が話している間も周囲を見渡した。もし、この様子を富田に見られれば、逃走の可能性があるからだ。
「今朝から利用されています。まだ退室の手続きはしておりません」
やはり当たりだった。まだ犯人はこのネットカフェにいる。
「どちらのブースですか?」
「十三番です」
店員は店内図を取り出して、ブースの場所を教えてくれた。このカウンターを奥に進み、ドリンクバーとシャワー室の奥を左に曲がったところに十三番ブースはあるようだ。
「どうする? 今ならブース内で逮捕できれば、逃げられないだろうけど」
「問題は凶器を持ってるかもしれないこと。反撃されて逃走されたら、ここにいるお客さんだけじゃなくて、外にいる通行人にも危害を加えるかもしない」
「カメラでブース内は見れる?」
「いえ、プライバシーがありますので、我々は確認できません」
「まあ、そうだよね」
だが、ここで逮捕しなければ次の殺人を実行してしまう。リスクがあるのはどちらも同じだ。
紅音はここで犯人を逮捕する決断をした。
裕武と咲良と四人掛かりでブースの前を抑える。そして、万が一のために他の捜査員もネットカフェの出入り口に配置した。
彼らがこの場所に到着するまでの間、紅音と海渡は客のふりをして店内を移動し、富田がブースから出てこないか観察を続けたが、十三番ブースは一度も扉が開くことはなかった。
中から音も聞こえてこない。寝ているのか、息を潜めているのか。もしくはすでにここにいないのかもしれない。
「班長」
「お待たせしました」
裕武と咲良がネットカフェに到着して紅音と合流した。
店員には通り魔事件の容疑者が店内にいる可能性があると伝えたが、客を避難させれば富田に警戒される。
十三番ブースが並ぶ通路に客はおらず、他のブースに入っている客は扉を閉めて中にいるのでいざというときも大丈夫だろう。
紅音と裕武はブースの前に立って、その後ろから海渡と咲良が退路を塞いだ。四人はアイコンタクトでお互いに合図を取ってから、紅音がブースを勢いよく開けた。
「いない・・・」
ブースの中には富田のものと思われるバックパックが残されている。紅音はブース内に入るとバックパックの中を覗いたが、何も入っていなかった。
「班長、これ」
裕武がパソコンのモニターに表示されている内容を指差した。それは、今朝富田自身が起こした通り魔事件のネットニュースだった。
これを見て富田は笑っていたのだろうか。彼は正常な精神状態じゃない。ここに警察が来ることもわかった上でネットに書き込みをした可能性がある。
海渡は狭いブースに身体を滑り込ませると、パソコンの画面をじっと見つめ、マウスで操作をした。
ブラウザ上で他のタブが開かれていて、そちらに画面を切り替えるとマップがあった。
そうか。そういうことか。
海渡は慌ててブースを飛び出した。
「海渡、待って!」
ひとりで走り出した海渡に声をかけた紅音のスマホに着信があった。画面には『非通知』の文字がある。
「はい、三鷹です」
『・・・』
「もしもし?」
『あや・・・き・・・えん』
不明瞭な音声で謎の言葉だけを告げて通話は一方的に切れた。酷くノイズが混じっていて、遠い場所から女性が語りかけているような音声だった。
「どうしたんですか?」
「悪戯かな。よくわからないことだけ言って切れた。『あやきえん』がなんとかって」
「あやき?」
「とにかく、海渡を追わないと」
紅音と裕武はネットカフェを出てエレベーターのボタンを連打した。待機していた捜査員も何が起こったのかと慌てていた。
咲良は店員に十三番ブースに客がいないことを伝えると、店員は会計が済んでいないのに、と焦った様子だった。
アルバイトの立場としては自分の失態であることが憂鬱なのだろうが、今はそれどころじゃない。
海渡がひとりで乗ったエレベーターが一階に到着したところだったので、折り返しが来るまでさらに時間がかかった。
一階に到着してビルの外に出ると、捜査車両は前に停まったままだった。海渡は運転ができない。走ってどこかに向かったはずだ。
先ほどの電話、遠くから話しかける女性の声。
紅音はその声を知っている。だけど、もしそうだとしたら、信じられないことが起こったことになる。
海渡が最後に見たパソコンの画面には、地図が表示されていた。富田が再び子供を殺そうとしているのであれば、きっとあの場所だ。
「乗って!」
紅音は車両の運転席に乗り込むと、エンジンをかけた。
「海渡がどこに行ったかわかるんですか?」
「ここから走っても十分ほどで到着する場所で、富田が次の犯行現場に選びそうな場所がひとつだけある。海渡なら車より早く着くかも。急がないと」
車両は唸るエンジン音をビルに響かせて急発進した。
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