19. 記憶の捜査
海渡はホテルにいた。
綾瀬で起きた事件は咲良が解決するだろう。彼女ならば何かを見ればそのことを隠しておかないはずだ。
なぜか彼女の声が聞きたくなって電話をかけると、公園で最近起こっている悪戯の情報が手に入ったらしい。
なんとなく、捜査はここから進展する。そんな気がしたから、向こうの事件は彼女に任せると言っておいた。
それよりも、大阪で海渡が何も見つけられないことの方が問題だった。警察庁に報告をしているが、何も見つけられずに帰るなど周りの人間に何を言われるかわからない。
警察庁の影の捜査官である海渡をよく思わない人間は多い。出世争いから外れ、特にノルマがあるわけでもなく捜査をして、確実に解決してくる彼は妬みの対象であった。
組織の
林の中で見つけた小屋のことは、舘岡に伝えておいた。海渡が発見したという事実は伏せて報告するように言うと、彼は手柄を横取りするようで嫌だと言ったが、そんなものに興味はない。
手柄になるなら、厄介事を押し付けられた彼が受け取るべき対価だ。
そのおかげで河内長野署の刑事課は山の中にいて、海渡は晴れて自由の身になった。
これ以上大阪にいても無意味かもしれない。海渡は今日、大人しく東京に帰ろうと考えていた。
荷物をまとめて部屋を出ると、レセプションでチェックアウトの手続きを行った。舘岡はもう海渡の送迎をしてくれないので、タクシーを呼んでもらおうとホテルマンに声をかけた。
すると、エントランスの自動ドアが開いて「二永さん」と名前を呼ばれた。その声は、この場所にいるはずのない舘岡のものだった。
「どうしてここに?」
「東京帰るんやろ? 最後くらい見送りさせてよ。二永さんのおかげで、俺は手柄をあげたんやから」
「捜査は? 勝手に出たら怒られるんじゃない?」
「ええよ。適当に言い訳するわ」
嫌われることに慣れていた海渡は、こう感謝されるとどう反応していいかわからずに顔を
「何かわかった?」
「あの小屋の中から沖田時乃の血痕が見つかった。殺害現場はあの場所で間違いない。けど、犯人を特定するような証拠はなんもなかった」
「そっか。残念だね」
「いや、現場がわかっただけでもよかったわ。ほんまに感謝してる」
「あんまり慣れてないんだよね。感謝されるの」
「ほな、今のうちに堪能しとき」
敬語を使わなくなった舘岡は、まるで友人のように気軽に話ができる相手になっていた。
海渡は捜査車両の助手席のドアを開けて笑った。
捜査車両に乗り込んだふたりは、ホテルを出て河内長野駅へと向かう。短期間の滞在だったが、離れることに僅かばかりの寂しさを感じる不思議な感覚だった。
「今回の犯人、かなり危ないやつやと思う。沖田時乃はこれまで見てきた遺体の中で一番見るのが辛かったけど、現場見たらもっとすごかった。あんなことできるやつは人間やない」
「そうだね」
海渡は小屋でトレースをした記憶を思い出して目を瞑った。舘岡たちは血痕などの状態を見て何があったかを想像するが、海渡の目にはそれが今まさに起こっていることのように映る。
あんなことができるのは人間じゃない。
それは海渡も同意見だった。
人が人を傷付ける理由に正当化できるものなどない。それがたとえ大切な人を奪われた復讐であっても、この法治国家で許されてはならない。
でも、もし十五年前、海渡の友人ふたりを殺害した犯人が逮捕されておらずに目の前に現れたら、海渡は刃物を向ける。
理屈だけで人間は語れない。
彼らには感情があるから。
ほんの十五分ほどの旅は終わり、車両は駅前のロータリーに到着した。
「ありがとう。助かったよ」
「また大阪に来ることがあったら、顔見せてな。プライベートでもええで」
「いつになるかわからないけど、覚えとく」
舘岡に見送られて海渡は切符を買い、改札を抜けて駅のホームに入った。壁際に並んでいるひとりずつ掛けられるベンチに腰を下ろす。
平日の昼ということもあって、電車を待つ客はあまり多くない。
南海高野線でなんば駅まで出て、大阪市営地下鉄の御堂筋線に乗り換える。そして、新大阪駅で東京駅に向かう新幹線に乗る。時間がかかるが、飛行機はあまり好きじゃない。
結果的に海渡を見張るのが舘岡だったことは幸いだった。考えが柔軟で性格がよく、彼に手柄を与えられたのなら満足だ。
東京に帰って上司に報告をする時間がすでに憂鬱だが、沖田時乃の殺害現場を見てきたと報告してなんとか乗り越えよう。
「もう帰るんですか?」
「え?」
突然ふたつ分の間隔が空いた隣のベンチに腰掛けた男に話しかけられて海渡は彼を見た。
そこに座っていたのは見たことのない男で、年齢は四十前後だろうが長髪でサングラスをかけているので目は隠れて見えない。筋の通った鷲鼻が特徴的だった。グレーのロングジャケットを着ているその姿は、海渡の服装とよく似ている。
「あなたに見つかるのを楽しみにしていたのに、残念だ」
男のアクセントは東京のもので、大阪の人間じゃないことはわかった。
「どういう意味?」
「あなたなら現場を見つけると思っていました。あえて血痕も残したんです。それと、黒田大和の部屋で、あなたは何かに気付いたはずだ」
「お前が黒田と沖田と殺したのか?」
「ええ、そうですよ。ついでにお金もいただきました。あの男は拳銃で脅して遺書を書かせて殺しました。さすがに部屋で拷問はできなかったので残念です。その分小屋では楽しませてもらいましたが。現場は美かったでしょう?」
この男が何を言っているのかがわからない。
美しい? 人を殺すことが美しいというのか?
海渡は溢れ出そうになる情動を抑えて冷静に男と会話を続けた。
「なぜここに現れた?」
「存在を知ってもらうためですよ。警察庁の影の捜査官、二永海渡さん。あなたなら、僕を追い詰めることができるんでしょうかね?」
男はサングラスの奥から鋭い視線を海渡に向けて歪んで尖った歯を見せる。その様子に海渡は鳥肌が立った。
この男を、俺は知っている。
海渡は脳内を素早く縦横無尽に駆け回る記憶の捜査官に命じた。
この男を思い出せ、と。
「私には人の痛みが見えるんですよ。そして、どれだけの痛みを与えたら絶命するのか。それらはすべて芸術です。ああ、実に美しい」
恍惚な表情を浮かべる男はすぐそこにいるのに、他の誰とも違う、この世にいるはずのない異質な存在だった。
「十五年前、ひとりの女性警官が殺害された。彼女は拷問を受けて、廃ビルの屋上で亡くなった」
そう、あれは海渡が初めてトレースをした事件だった。近くで花火が上がった夏の夜、その事件は起こった。
「ああ、花火は美しいですねえ。血を鮮やかに染めてくれますから」
間違いない。この男だ。
トレースをしたときの犯人像は、冷酷で残忍。人を傷つけることに興奮を見出すシリアルキラー。
「お前・・・」
「おっと、ここで捕まえるのはなしですよ。他にもたくさん無関係の人がいますよね」
男はロングジャケットに隠れた腰の部分に手を入れると、小さな金属音がした。彼は拳銃を所持している。誰かに向けて発砲されたら、死者が出るかもしれない。
「楽しみにしています。あなたがどこまで来てくれるのか」
電車がホームに侵入する。
男はそっと立ち上がって、電車には乗らずに改札の方向へと去っていった。
海渡にできることは、大人しく東京に帰ることだけだった。
だが、必ずやつを追い詰める。
走り出した電車から、海渡はすでに姿を消したあの男の姿を探した。席はたくさん空いているのに、窓際に立って外界を観察したが、そこでは平穏な日常が流れるだけだった。
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