今宵ロマンス飛翔館

東堂杏子

§1 女50歳、なんやかんやあって子ども部屋から追放されシェアハウスに入居する。

1.§1-1 思えばシェアハウスへ来たもんだ


  新しい人生の門出に相応しい真冬の日曜、快晴だった。


 あたしは敷地内の駐車場に停めたレクサスRXから降りる。ロングブーツの踵でアスファルトを鳴らす。

 ここから人生第二ラウンドが始まる。

 そう、これまで五十年間ずっと実家暮らしだったいわゆる子ども部屋住人のあたしにとって、これが人生初のお引っ越しなのだ。


 あたしは額に手を当てた。

 火照っている。

 女50歳、気を抜いたらすぐにのぼせて頭が汗だくになる。それは外気の温度とは何の関係もない。

 あたしの上半身は常に燃えている。そう。なぜなら更年期だから。


 でもまあ、そんなことはいい。今は。


 あたしはぱちぱちと瞬目し、ふんすと肩で息を吐き、世界に誇る鯖江産の超高級黒縁眼鏡に人差し指をかけてクイッと持ち上げ、ヴィトンのボストンバッグとサムソナイトのスーツケースを車から降ろした。

 目の前に構えているのは、ぺったりとしたのどかな風景に突如として現れたアンティークな洋館だ。

 まるで見知らぬ国の隠れ家的オーベルジュ宿泊レストランのよう。

 イギリスの田園風でもありほっこりとした北欧風でもある。デザインした人間が「よくわかんないけどこういうのでいいんでしょ」と適当にふんわり置きにきたコンセプトをビンビンに感じる。そうそう、こういうのでいいんだよ。古風に見えるがそれはあくまで演出、くすんだ壁色、同じくくすんだ鉄門。ところが実はまだ築五年足らずの新築三階建て。

 玄関ポーチ横には各個室ごとの郵便箱と宅配ロッカー。入居者に外掃の負担をかけない配慮なのか庭部分はセメントで固められ駐車場になっている。乗用車四台分のスペース内なら何処に停めてもかまわないとのことだった。

 完璧。

 完璧に素敵な女性心をわしづかみにするシェアハウス。

 ただ名前がな……、そう、名前が


【ロマンス飛翔館】


 銀ぴかの表札ににゴシック体で刻まれたその建物名称を改めて眺め、あたしはぞくりと身震いした。

 これからあたしは「ここに住所をご記入ください」と書類を渡されるたびにこの昭和ファンシーな建物名を記すのだ。役所で手続きするときも。病院で問診票を書くときも。場合によっては口頭で述べなければならないこともあるだろう。

 ロマンス飛翔館302号室。

 正直に申し仕上げて、じゃっかんキツい。どうしてこんな名前をつけちゃったのかと入居前の面接審査でオーナーに尋ねたら「なんとなく」という簡潔な回答だった。そのときの話はいずれまた。

 とにもかくにも、そう、このロマンス飛翔館が今日からあたしの住居なのだ。

 

 玄関の重い扉は暗証番号式のオートロック。


 鍵は受け取っているし解錠の暗証番号も聞いているけれど、今日この時点での自分はまだ「お客さん」だ。

 あたしはインターホンの呼び鈴ボタンに指をかけて深呼吸を繰り返す。

 管理会社の法道興産社長は、〝面接審査を通ったひとたちですから変な人はいませんよ〟と言っていた。失礼を承知でこれまで入居者同士のトラブルはなかったのかと聞いてみたら、そりゃ大人の女性同士ですから会社の給湯室レベルでストレスはあるでしょうと妙に悟った顔で返された。


---

 ・女性と共同生活を送るに際し支障がないこと。

 ・昭和生まれであること。

 ・何らかのオタクまたはマニアとして、商業非商業問わず積極的に活動していること。

---


 これがロマンス飛翔館の入居条件だ。

 なぜにオーナーがそんな条件をつけたのかという話もまた今度、今は割愛。

 ――それより大事なことは、この玄関ドア一枚隔てた内側に住んでいる女性たちも、


「ムッハーッ!!」


 あたしは胸を押さえた。

 動悸がやばい。

 緊張する。他人との共同生活に怯えて緊張しているせいもある。もちろんある。けれどそれ以上に、期待と興奮で胸が高鳴っている。

 同年代で同じ趣味の同人女たちと一緒に暮らすなんて、控えめに申し上げてもバチクソ最高なのでは!! 


 同人作家としてのあたしは実に孤独だった。

 そもそも友達が少ない。人付き合いが苦手だ。しかも中途半端な地方都市住まいで仕事がアホかというほど忙しい。よって活動はどうしてもユルくならざるをえなかった。仕方ない。最高に推せる作品に出会ったとしても各種イベントに参加することも出来ない。出来ることといえば、余裕のある収入にものを言わせて公式にお布施を重ね、公式本はノベルティつき初版限定特装版を三冊買い、二次創作漫画を描いて頒布するだけでなく日々同人誌通販サイトをパトロールして同ジャンル界隈を絨毯爆撃で買い支え、ジャンルの公式供給がどうかいつまでも永えに続きますようにと流星群にお祈りすることぐらいなのだった。

 友達が欲しい。

 そして推し語りをしながら夜を明かしたい。

 ときには作業を手伝ったり手伝って貰ったりして、遠い過去に置き忘れた文化祭の前日を味わいたい。


 オタク女だけで共同生活。

 全五室。てことはこの扉の向こうに四人の仲間が待っている。


 はー。めくるめく青春しか想像できない。


 よし、ピンポンを押すぞ。

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