1−6 復帰(1)

 リモート会議の画面で再会した美優の表情からは、四年前の夜に見た影は感じられなかった。

「私ね、また家出したの。今度は合法的に」

「どういう意味?」

 画面の中の彼女は笑みを浮かべた。

「愛知の尾張国際大学に入って家を出たんだ。せいせいした」

「あの後、両親とは?」

「高校三年の秋頃に親は離婚した」

「そうなんだ。あ、ごめん。みんなが見てるこんな会議で話すことじゃないよな」

「大丈夫だよ。Lineグループで、親が離婚したことも、愛知に行ったことも流してるから、ここにいる人はみんな知ってるし」

「そうか」

 僕が逃げている間に、いろいろ進んでいたんだな。知らないのは僕だけで。

「まあ、美優の身の上話はそれくらいにして、今日の本題に戻ろうか」

 健二が割って入ってきた。

「えーと、全員揃ったところで、今日のメインの議題。四年前に始めたけれど、果たせないままになっていた約束を実現させるために、もう一度チームを立ち上げ直したいと思うんだ」

 みんな黙ったまま健二の話を聞いている。画面に並ぶ顔はみな楽しげで、期待感に満ちていて、僕はいたたまれなかった。四年前、盛り上がっていた企画を放り出して逃げてしまったのは僕だ。どの面を下げて、僕はここにいるんだ。

 やっぱり参加するんじゃなかった。

「このメンバーでアンソロジーを出して、イベントに出す。この基本線は変えないでいいかなと思うんだけど、どう思う?」

 何人かが画面の中でうなずいている中で、最初に答えたのは、ヱビフルと名乗った男だった。

「さっきも言ったけど、四年前のオフ会には直接参加できなかったから、アンソロジーを作る話で盛り上がったってメッセージを後で読んで、すごくうらやましかったんだ。今度は、リアルタイムで話に加われて本当に嬉しい。大賛成。ぜひやろうぜ」

「私も、あの時は高校三年生で余裕がなくて、多分アンソロジー向けの作品とか書けなかったと思うから、今になって実現するのはかえって良かったと思う。賛成」

 さとひなさんが続けた。他の参加者も、口々に賛成と発言している。

「オーケー。ありがとう。じゃあ、あの時の企画を再開することで決まりだな。では、チーム『月夜ノ波音』の代表、琥珀先生こと矢形宏樹君から再起動の挨拶を」

 いきなり健二に振られて凍りついた。逃げ出した僕には、もう代表なんて名乗る資格は無い。

「い、いや、前回投げ出して迷惑をかけた僕は、も、もう代表なんてできないから。今日の会議を招集した健二がやってくれ。お前の方がリーダーには相応しいだろ」

「なーにバカなこと言ってんだよ。このチームはお前がいたからできたんだ。今日だって、お前が来るって話したから、みんな集まってくれたんだぞ」

「でも……」

「琥珀先生。四年前になんでヨミカキをやめたのか知らないけど、私は、琥珀先生のコメントに背中を押されたことは、今でも忘れてないから。私たちのリーダーは、琥珀先生しかいないって」

 さっき、佐川と名乗っていた女の人だ。この人の作品に、自分がどんなコメントを書いたかなんて正直忘れている。でも向こうは覚えているという事実に、後ろめたさが増してくるばかり。

「宏樹。うだうだ言ってないで、さっさと引き受けなさいよ。健二も、私も、ちゃんと手伝うから。なんなら、三人で編集会議とかやってもいいし」

 とうとう痺れを切らしたように美優が追い込んできた。

「……でも、今はもう書いてないんだ。何も書いてない奴に代表なんてやる資格ないし」

「何言ってるの。また書けばいいじゃない。書きながら、またあの時みたいに創作論の話をしようよ。ずっと楽しみにしてたんだよ、また宏樹とそんな話をするの」

 不安を抱えながら、美優と健二の三人で夜中まで語り合ったあの夜は確かに楽しかった。でも。

「あの後、何があったのか知らないけど、宏樹が書いていた作品が好きだったし、また読みたい。私が書いているのも四年前から少しは進歩しているはずだから、また感想を聞きたい。私が高校生チャレンジで優秀賞を取れたのは、間違いなく宏樹がアドバイスしてくれたおかげだし」

「いや。やっぱり受賞した実績のある人の方が、リーダーの資格があると思う」

 そう。美優は高校生チャレンジで最高の結果を出している。rota+こと健二だって奨励賞だ。それに比べて僕は何者でもない。しかし美優は、そんなためらいを吹き飛ばすような語気で言葉を投げつけてきた。

「資格なんて関係ない。好きなことは好きなんだから」

 バーに置いてあった本の主人公のセリフを思い出した。好きなことは、やっぱり好き。思いが胸の中にあふれてきて、涙がこぼれそうになる。

 僕は、やっぱり小説を書くのが好きだ。許されるなら、また書きたい。

「い、いいのかな。また小説なんか書いて」

「当たり前でしょ。誰に遠慮してるの」

「わかった。そこまで言ってくれるなら……」

 画面の向こうから、拍手の音が重なって聞こえてきた。六分割された画像がみんな手を叩いているのを見ながら、四年前の夏の高揚感を思い出していた。


 健二、美優と僕の三人で、編集会議を定期的に実施すること。そこで検討した案は、SNSでクローズドなグループを作って流してみんなの合意を得ること。まず最初のテーマは、同人誌のページ数や体裁をどうするかと、どのイベントに参加するかで、健二が調べてくることにして、会議は終了した。

 セッションを閉じて、真っ黒になった画面を見ているうちに、またじわじわと後悔の気持ちが湧いてくる。なんで引き受けてしまったんだろう。書きたいと思っても、書けなくなってしまった心の傷が治っている保証なんかないのに。

 さっき僕を追い込んで来た美優の顔を思い出していると、パソコンの会議アプリにメッセージが表示されて、大きな音が鳴り始めた。美優からのダイレクトコールだ。

 接続ボタンをクリックすると、画面いっぱいに美優の顔が映し出される。

「ねえ。あれから四年間なにしてたの? 大学は? どうしてLineグループから抜けちゃったの? どうしてメッセージ送ってもずっと無視してたの? どうしてヨミカキのアカウント消しちゃったの? せっかく書いてもらって、心の拠り所になっていたレビューも消えちゃって、ものすごいショックだったんだけど」

 さっきの会議での、冷静に迫ってくる感じとは全く違い、切羽詰まったように立て続けに問いを投げかけて来た。小さく区切られた画面で見ていた時には気が付かなかったが、目にいっぱいの涙を浮かべている。

「ごめん。ちょっと自分の方でいろいろあって、どうしていいのか、わからなくなっちゃったんだ」

「私のことが重荷だった? 突然呼び出して、家族と揉め事起こしているような奴とは距離を置きたかった? いっそ消えてしまいたいとか口走るような厄介な人とは付き合いたくなかった?」

「違う!」

 心の中で、ズキっと痛みが走った。本当に違うと言えるのか。




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