電子コミック第2巻配信記念おまけSS

モレル村での葡萄踏み(フェリクス視点)


※こちらのおまけSSは2025年10月16日に配信された『婚約破棄された男爵令嬢リルジェシカは得意の靴作りで借金返済中!』の内容に基づき書いております。

 WEB版の小説とは異なっている部分がございますのでご了承ください。


   ◆   ◆   ◆


 恋しいリルジェシカの愛らしい面輪が愁いに沈んでいる。


 それだけでフェリクスは自分の胸の柔らかな部分がきしむような感覚を覚える。


 同時に胸の奥に湧き起こるのは、さきほどリルジェシカに因縁をつけてきたザックという名の男への怒りだ。


 大の男がか弱い乙女を角材で殴りつけようとしたというだけでも騎士として許しがたい行為だというのに、よりによってフェリクスが大切に思うリルジェシカに振り下ろそうとしたのだから。


 もしリルジェシカの目がなければ、叩き斬っていたかもしれない。


 リルジェシカが傷つけられてなくて、本当によかったと思う。


 だが、肉体に傷を負わなくとも、心までそうだとは限らない。


 ザックがリルジェシカに言い放った言葉は、この上ない侮辱だった。


 リルジェシカが女性であることを利用してフェリクスを籠絡ろうらくし、セレシェーヌ殿下と女王陛下に取り入ったなど、とんでもない言いがかりだ。


 真っ向から憎しみをぶつけられて、純真なリルジェシカはどれほど傷ついたことだろう。


 だが、リルジェシカは嘆くどころか、自分の名誉のためではなく、フェリクスのために怒ってくれた。


 そのことがフェリクスにどれほどの喜びを与えたのか、きっとリルジェシカは欠片も気づいていないに違いない。


 自分のことよりも他人を優先する優しいリルジェシカはいまも平気そうな顔をしているが、心の中が晴れていないのは、表情や仕草をよく見ていれば、すぐにわかる。


 だからこそ、少しでもリルジェシカの気持ちを晴らしたくて。


「……リルジェシカ嬢、この後少し時間はあるか?」


「え?」


 きょとん、と見上げたリルジェシカに、にこりと微笑みかける。


「今日から葡萄酒の仕込みが始まるらしく、ちょっとした催しがあると村人から聞いたんだ」


「催し……?」


「ああ。皆で葡萄を踏むらしい。広場でやっているらしいから、見に行ってみないか?」


 リルジェシカが商人から革を選んでいる間、フェリクスはやけに村人達から話しかけられた。


 きっと、王都から来たフェリクスが物珍しかったのだろう。


 村娘達に熱のこもった視線で見つめられるのは困ったが、その中で、広場で催しをしていると教えてもらったのだ。


 ふだんと異なるものを見れば、リルジェシカの気持ちも少しはまぎれるかもしれない。


「ぜひ……っ!」


 笑みを浮かべてくれたリルジェシカにほっとする。


 馬に荷物を積み、広場に近づくにつれ、かすかに音楽が聞こえてきた。


 リルジェシカが見るからにそわそわとしだして、微笑ましさに無意識に笑みがこぼれる。


「あっ! あれですね!」


 広場についたリルジェシカが、娘達が大きなおけに入って葡萄踏みをしている姿を見て、好奇心に目をきらめかせる。


「……ここからじゃよく見えませんね……」


 困ったように呟いたリルジェシカの声が聞こえたのだろう、そばにいた男が、「嬢ちゃんも葡萄踏みをしたいのか?」と尋ねてくる。


「飛び入り参加も大歓迎だぜ」


「えっ!? 私も入っていいんですか!?」


 男の誘いにリルジェシカが顔を輝かせる。


 が、続く言葉を聞いた途端、フェリクスは己の顔が強張るのを感じた。


「葡萄踏みの時だけは、街中で裸足になっていいんだ」


「は、裸足に……?」


 一般的に、うら若い乙女が人前で足を晒すのははしたないこととされているが、創世神話に基づく葡萄酒作りに関しては別だ。


 フェリクスとて、それは承知している。


 とはいえ、フェリクスとしては、できることならリルジェシカの足を他人の目に晒したくはない。


 が、靴作りに打ち込むリルジェシカが、葡萄踏みを見たいと思うだろうことはたやすく想像できた。


 自分の独占欲を満たすこととリルジェシカの喜びを比べれば、優先するべきはもちろんリルジェシカの喜びだ。


 そもそも、フェリクスはリルジェシカに想いを告げることすらできていないのだから。


 そんなフェリクスが『他の男に足が見られるかもしれないことをしてくれるな』とリルジェシカに頼めるわけがない。


 何より、沈んでいるリルジェシカが少しでも元気になってくれるのなら、フェリクスはどんなことでもする。


 フェリクスに気を遣ったのだろう、遠慮する旨を答えたリルジェシカが視線を伏せる。


 残念そうな面輪を見た途端、フェリクスはリルジェシカの手を掴んでいた。


「リルジェシカ嬢、行こう」


 驚いた表情を浮かべたリルジェシカにかまわず、葡萄踏みをしている桶に近づき、参加させてほしいと伝える。


「フェリクス様がいるのに、裸足になるなんて失礼じゃ……」


 と遠慮するリルジェシカに、「気にしないでいい」と伝える。


「きみのやりたいことをしている姿が見たいんだ」


 本心からそう伝える。


 フェリクスが惹かれたのは、自分の好きなことをしているリルジェシカなのだから。


 それでも迷っていたリルジェシカだが、葡萄踏みをしている娘達からも声をかけられ、その気になったらしい。


 まるで、主人の顔色をうかがう子犬のようにフェリクスを見上げる仕草に、「行っておいで」と微笑んで促すと、ようやく心が決まったらしいリルジェシカが「はいっ!」と笑顔で大きく頷いた。


 足を洗ったリルジェシカが、娘達の手を借りて大きな桶に入り、葡萄踏みをするのをそばの木陰から見守る。


 フェリクスのところまで声が届いてこないので、何を話しているのかは知らないが、娘達と笑顔で話しているリルジェシカを見ていると、やはり連れてきてよかったとしみじみと思う。


 リルジェシカに一番似合うのは屈託のない笑顔だ。


 と、リルジェシカが娘達と一緒に、不意にこちらを向く。


 栗色の瞳と視線があった瞬間、フェリクスは思わず微笑んでいた。


 リルジェシカが驚いたように視線を揺らしてうつむく。


 なんとなく、その表情が照れているように見えて、フェリクスは心の中で己を叱咤する。


 買い出しのためとはいえ、リルジェシカと二人きりで遠出できたことに、自分でも驚くほど浮かれてしまっているらしい。


 リルジェシカがフェリクスに特別な感情を抱いていないことは、わかっているというのに。


 だが、叶うならいつか……。


 フェリクスの胸の中に、甘やかな熱が広がる。


 いまならば、リルジェシカを見つめていても『見守っていただけ』と言えばいい。


 フェリクスは、楽しそうな笑顔を浮かべて葡萄踏みをする愛しい少女をまばたきも惜しんで見つめ続けた。


                                 おわり


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【10/16電子コミック第2巻配信!】靴(くつ)職人と蔑まれていた男爵令嬢ですが、婚約破棄されて世間体を気にしなくてよくなったので靴作りで実家の借金返済にはげみます! 綾束 乙@『推し活聖女』漫画発売中 @kinoto-ayatsuka

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