第35話 お化けの本当の正体
エミ先生は耳の上で髪をかきあげてから話し始めた。
風は凪いでいた。
「ほんとにおぼえてないの?あのね、この指輪をもらったときに、私がこの指輪どうしたの?って聞いたのよ。だってこれおもちゃの指輪じゃなかったから。そしたらね、あなたたち不思議なことを言ったのよ……。『これはお化け工場で働いているときにそこから持ってきたものだ』って……」
「えっ!?お化け工場!?」
ボクらは内側から驚いた。だから声が大きくなりすぎてガードレールの鳥たちが一斉に飛び立った。
「ええ、そうよ」
エミ先生はボクらがそんなに驚いたことに驚いた様子でワーオってなるときみたいな手を「W」に広げる仕草をした。それはまだ園児扱いされているようでもあった。
かつて数学者ピタゴラスさんは都合の悪い無理数という数の出現をを隠すためアロゴンと名付け存在を隠したそうです。
ボクらは何も言えずにいた。この事実にアロゴンと名付けても隠し場所って ない。
エミ先生はつづける。お昼寝の時間の前のおはなしの顔になってきている。手の平ディスプレイに要点を表示してこちらに向けながら話した。近頃の大人の人はみんなそうする。そうするのが好ましいと推奨されてるらしい。
「たしか『川沿いの工場』とも言ってたわね。あの時期の子供たちってけっこうリアルな作り話をするものだから。もちろん本気にはしてなかったけど……。でね、そのつづきは、えーと、たしかこう、その工場はいろいろなものを壊す工場で、あなたたちはそれをとっても上手にできてたっくさん売れて、大金持ちさんになったんだって、アハ。でも、そこからがさらに不思議で、この指輪はあえて壊さなかったものなんだって、私のために壊さなかったみたい。隕石をあしらった指輪で、この隕石は外銀河のAIで失敗した惑星からのものでシンギュラリティ語のメッセージ成分が含有されているんだけどあなたたちしか理解できないんだとか。それで工場にスカウトされたらしいのよ。職場ではいろいろなものを壊しすぎてたぶんこのままだとエミ先生のことも忘れてしまうだろうから、もしこの指輪が光ったらボクらを助けに来てほしいって……」
「光ったんですか」
「うん、光ったよ」
指輪が導いてくれた 真実に。
たとえばそれは、実数より無限に大きい『接近不可能なカージナル数』のようなものだ。
エミ先生は大事そうにその指輪をなでた。
「あのときはなんでそんな悲しいこと言うんだろうって思って、それでよく覚えていたのよー。でもよかった、とにかく元気そうで」
エミ先生は半眼微笑のようになった。もしも今のボクらが元気そうに見えるのならきっと先生は今しあわせなんだろう。
もしこの場においてカラマーゾフさんの言葉を借りるとするなら「何事も可能なら、何事も真実ではない」のです。
頭の中ですべてをすぐに処理できそうもなかった。だから三人でクラウドしてけっきょく慄然となった。
ダムの放流で増水があって川がゴォーっと上流から大きな音を立てた。さっきまでと違う川に見えた。
どうやらボクらはボクらが知っているよりもずっとずっと昔からずっとずっと多くのものを壊しつづけてきてしまっていたようだ。
何も知らないエミ先生とのこの場がとてもつらかった。
「先生ありがとう さようなら」
辞去って走った。先生は「ちょっと」とか「待って」とかを言っていた。
ほんとうにどうもありがとう、そしてお幸せに。
ぼくたち
わたしたちは
ちからいっぱい
はばたけます
そう お化けはボクらだったのです。
走りながらボクらは確認し合った。
「人間に戻るために、壊そう、工場を」
「うん」
「あたしたちの手で」
「うん」
あるいは有限の確実性と無限の可能性。
雄飛のこころ抑え難く
だから全力で走った。
最終回へつづく
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