第20話 竹林の庵を訪ぬう州公

その日の領内見廻りで、以前に目をかけていた孝子こうしの自宅を訪問し、すべからく報奨のるいつまびらかにしたのはいいのですが…その後、馬車の車内にて―――


「あの…州公様。」

「うん、なんだろう。」

「州公様が感服したがゆえ、あの一領民に頭を下げなさった…そのこと自体は、道理として分かる、非常に分かるのですが―――今後は、他の官達の前では差し控えていただかないと…。」

「何故?私は人としてのあり方を指し示しただけで…」

「ですから―――、そのことはよく分かるのです。 ですが、官が皆、私のように順応してくれれば何も問題はないのです。 アリエリカ様もご承知のように、今、アリエリカ様がなされたことを“善し”とする官のほうが少ないのです。 その反対に、『下々の者に簡単にぬかずきおる州公は大した事はない』、『ならばそれ相応の応対でよいではないか』と、言う具合になってくるのです。」

「――――…。」

「ですから―――」

「もういい、分かった…少し軽率だった、それでよいのだろう。」

「はい…今のところは、ご自重されて下さい。」


以外にも、侍中・セキの口からはたしなめの言葉…けれどもその言葉は、フ国が傾き始めている事の顕われでもあったわけで、このご時勢に仁のまつりごとを推し進めたとしても、周囲りから白眼視されかねないから―――ということでもあったのです。


そのことに、少しがっかりとせざるを得ない州公としてのアリエリカなのですが…それでも自分達がやっていることを少しでも浸透させるため、また今日も政務にいそしむのです。


  * * * * * * * * * * * * * * * *


それはそれとして―――これはまた別の日の一コマ…

どうやらセキに、とある処に赴き、激励をするように促されたようです。

では、そのとある場所とは…そこへ、キリエを供として赴くようです。


しかし、そこは紛れもなく、州軍の練兵場―――

この州を、外敵の侵入や内からの反乱を抑えるために存在している『州軍』。

事実上、ガク州のトップとして就いているアリエリカは、州軍の司令官でもあるのです。


その視察に入った折―――どうやらこんなことが…


「(ふぅむ)なぁ、キリエ…お前は、この州兵達の訓練、どう見る?」

「『どう』とは、少々難しい問題です。」

「そうか―――」

「はい。 訓練法も実に単調で、実践的なところは何もなし、よくこんなもので『国』や『州』の境が護れるものと、半ば感心はしています。」

「だがそれは―――」

「はい…今は行き方知れずとなっている州牧が、裏取引などで保身を図っていたからではないか、と。」

「そうだな。 行方ゆきかたの知れていない、ここの元州牧も気がかりだが、今はそのことより兵の練度を上げることが先決となってくる。 ―――と、いうことで、やってくれるなキリエ。」

「はい―――かしこまりまして。」

「よし…では、すぐにでも州軍を統括できる称号を与えよう。 それよりも―――今の州軍を束ねているのは誰だろうか、その者ともじかに会って役目の引継ぎをさせなければ…。」


それは―――現在の州軍の内情を知らない新州公であっても、兵の練度が低い事を如実に物語っていたものでした。

それゆえに、元々自分の部下であり、武官でもあるキリエに兵の練度を上げるように指示を出しておいたのです。


そして、軍の実権を移行させるために、今現在この州軍を掌握している『将軍』を訪ねようと兵の一人に質したところ…


「ああ―――将軍なら、あの天幕に…」

「ほう―――。」

「でも―――新しく就任した州公様でも、すんなり言うことを聞くかどうか…それに、今は入んないほうが無難ですよ。」

「それはどうして?」

「いや、ほら、ここんとこ兵役といっても、ただの訓練だけで自分で戦場に出て~~ってことはしなかったんで…それで腐ってしまって、酒びたりの日々なんです。」


「(酒びたり…)それはまた、怪しからん話だなぁ―――」

「ええ、本当に…」(ププッ)


「そうか、分かった―――私自ら会うから、案内してくれないか。」

「はいっ、承知いたしました。」


「こんな明るいうちから『酒びたり』…だ、なんて、まるで髣髴ほうふつとさせる話ですよね、主上。」(ニヤニヤ)

「(はぁ…)それを言ってくれるな、キリエ。 反面、私も耳が痛い…。」


〚(あの…それはどういう事なので?)〛


「え゛っ?!(ギクリ) あぁ…いや、その――――」

「フフフ、アリエリカさんも、聞いた事がありませんか? ある日、と、が飲み比べをしてて、令書れいしょを全く違う官省に出してしまった話―――とか。」


〚(えっ??違う…官省?)〛


「ええ、そうなんです。 本来なら軍関係に出さなければいけない令書れいしょを、財務のほうに廻してしまったり―――とか。」


「あれは―――すまなかったと言っただろう。 もう…そんな過ぎ去った事を今蒸し返さなくてもいいじゃあないか。」


〚(えっ?! あっ…それ―――って、もしかして…)〛


「(はあぁ~)そう、私なんだ…。 コラっ―――それは口止めしておいたはずだろう?」

「あら、そうでしたか? でも、だとしても、もう時効なのですから構わないじゃないですか。」

「それはそうだが―――全く、悪いヤツだなぁ、そういうことをするとアリエリカの、私に対する心象イメージが下がるだろう?」

「あら?普段は心象イメージなどの体裁ていさいは気になされないほうなのに、酒の上での失敗談だと気にされるんですか?」

「ぐ…ぅ……」


〚(クス…クスクス―――)〛


「ほら見ろ、アリエリカに笑われてしまったじゃないか。」

「それはどうも、申し訳ございませんでした。」(うふふふ…)


今までのは州軍の将の下に行くまでの会話なのですが…その将の体たらくを聞くに及び、『実に怪しからん』としながらも、その反面耳の痛かったジョカリーヌ。

それはどういう事かと尋ねてみれば、もれなくその部下から『酒の上での失敗談が多々とある』ことを露呈されてしまったのです。

そのことを聞くに及び、つい笑いを漏らしてしまったアリエリカ。 でも、その笑いも“失笑”などではなく、『伝説上の“皇”と讃えられた方でも、やはり一個人なのだ』という事を知った上での、安堵の笑いだったのです。


  ◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇


そうこうしているうちに、くだんの将が在営している天幕につき、早速面会を求めるアリエリカ。

するとそこには、熊のような体躯たいくに、顔にはまるで虎のようなひげを蓄えた一人の偉丈夫が…


そう、その者こそ―――


「(ヒ=チョウ=ベイガン;30歳;男;そのいかつい面構えに虎のようなひげを蓄えた由縁ゆえんで付いた仇名が『虎鬚(こぜん)将軍』)ん~~? 誰でぇ……」(ウィ~~ック…)


「あっ、はい―――、新しい州公様が将軍に会って申したい事があるそうで…」

「あ゛あ゛~ん?州公…? はっ―――どうせ同じやからだろうよ。 適当な事を言って帰しておけ、オレは今忙しい。」(グビ…)

「あのっ―――、そ、そのことなんですが…もうこちらの方にこられていて…」

「あ゛ンっ―――?! あんだと?」


「ふ…そんなに、そなたを押さえつけている者が気に食わないとでも。」

「ああ―――(ゴキュ―――ゴキュ―――…)ぷっはアぁ~~―――!! …まあな。」

「これッ!州公様の御前であるのに、その態度は何事か!!」

「あぁん~~?! …誰だい、あんたぁ―――」(ヒックッ)

「(ムッ!)私は―――」


「よい、キリエ―――」

「ですが、しかし―――」

「ほぉ…キリエってのかい、あんた…。 ―――で、二人してオレに何の用だい。」

「何の用―――と、いうわけでもないのだが、兵の鍛錬を怠っている、と聞いたものでね。」

「へっ――――へヘヘへ…」

「うん?何がおかしい。」

「だってよぉ――――(グビグビグビ…) 兵の鍛錬なんざ、『経費の無駄だからするな』…っつったのは、そちらさんのほうなんだぜぇ~?! それによっ!ここ数年、向こうさんの方も音沙汰なし――――ってな、お蔭でこっちは酒の飲める暇もできて、願ったりもねえよ!!」


そこで腐っていた者は、自分の武を試したくても試せないでおり、その鬱憤を晴らすかのように、まるで浴びるように酒をあおっていた“豪”の者だったのです。

しかし、もう今ではこのガク州を事実上統括する者は変わっており、その指令は無効…なのですが、この話を聞いて不憫ふびんに思ったのか、今度はアリエリカのほうの出足が鈍ったのです。


そんな州公の気配を察したのか、キリエがふと天幕の片隅に目をやると―――…


「そこに立てかけてあるのは、よもや『二又蛇矛』では?」

「ン~~? ああ、そいつはオレの得物だ。」

「ふゥ―――ん…出陣命令も出ず、腐っている割には―――、よく手入れが行き届いているわね。」

「はっ!(グビっ―――グビっ―――)かはぁぁ~~~―――っ!! そりゃ当然だろうよ…なんにしろ暇でヒマで、することっつったら、酒を喰らうか得物の手入れしかすることがねぇからなァ?!!」


「ふぅん―――…」


「おいおい、よせってよ―――あんたみたいな細腕で…ええっ?!!」


「(長さ…重さ…ともに申し分はない―――持ち主の手に馴染むように造り込まれている…)惜しむらくは―――、このような処の隅に追いやられ嘆いているということか…。(ボソ)」


「(な―――なんだぁ?!この女…重さ八十斤約48kg長さ一丈約3mもあるオレの得物を…それを事もなげに、片手で持ちやがるとは―――)」


武を“識”る者は、己の修めた武をないがしろにされる事が、どんな屈辱にも勝る事を知っていた…。


それは、今も―――昔も―――変わることはなく…


しかもそれが、上のほうから押さえつけられるようなものだと一層に鬱屈うっくつが溜まっていくものであり、それが次第に下の兵卒などに“八つ当たり”的なものに変貌していくのは、そう珍しくはなかったのです。


しかし―――ヒは驚いたのです。


この軍の兵士達の中では誰一人として満足に持ち上げられない自分の得物を…それを新しい州公のお供は、“軽々”と―――??


「…あんたぁー、一体何モンだぁ?」

「私は、州公様に『これから州軍の統括をせよ』とのご命令を拝命した者。 キリエと申し上げる。」


「なんだぁ?! クク…面白れェことを言うじゃあねェか…。 軍を掌握しているこのオレを、またもやないがしろにし、どこの誰とも分からねェ者に軍の指揮を譲れ―――だぁ?! はっ!こいつはァ傑作だぜ!! おウ!上等じゃあねえか!! なぁらこのオレと立ち会って、腕尽くで奪ってみな―――!!」

「それが州軍を統率出来うる最低条件ならば、た易いこと―――さぁ、表に出なさい。」


そして、その者はこう理解したのです。

またしても自分を力で押さえつけ、あまつさえ州軍の指揮・統率権をも、その手から取り上げようとしているという事を。


しかし、キリエはしかと見届けたのです。


彼のその双眸に宿る、爛々らんらんとしたモノを…ただの酔いどれの、濁ったようなではなく、むしろ自分と―――自分の上官にも似た、熱く燃え盛るようなモノを持ち合わせた、その者の眸を――――


  * * * * * * * * * * * * * * * *  


そして―――試合の開始。


「ほんじゃあ―――遠慮なく行かさしてもらうぜぇ…。 こちとら、満足にヤりあったことなんざねぇからな…、手加減はできねぇ――――かも、な。」(にィ)

「いいわよ―――いつでもどうぞ。」(ニコ)

「へっ―――言ってくれるじゃあねぇか! うぅりゃあぁ~~―――!!!」


「えっ―――」「アっ―――」「し、将軍の、一撃を…」「止めちまった…」


〚(ああっ―――!! 見ていられません!)〛

〚(フフフ…それは取り越し苦労というものだよ、アリエリカ。)〛

〚(えっ?!)〛

〚(あの子は、キリエは曲がりなりにも私が抱えていた将校の一角を担う存在だ、そう易々とはやられはしないよ―――)〛


「ほっほぉぉ~~~―――う、中々やるじゃあねえか。 このオレの一撃を、こうもた易く受け止めやがるとは…なぁ?」

「そういうあなたも…言ってる割にはまだ余裕があるようじゃない―――」

「へっ―――へへへ…言ってくれるねぇ~~。 なんか、こう、久々に腕がうずいてくらァ―――(それにこれだったら、少々手荒に扱ってもブッ壊れねえよ、なあ?)」

「(ナニ?力が急に抜け―――)うっ―――!くッ!!」


「おおおお―――ッ!」「将軍得意の、あの三連撃までも―――!!」「一体何者なんだ?!あの女…」


「フフフフ―――へヘヘへ―――」

「(ふ―――う…っ)中々に…こちらも、油断をしていたなら一本取られていたところ――――――――ね!!」


「お…おおお!」「ぼ、防御の体勢から―――」「反転しての足払い?!!」「ス、すげぇ~~オレ、感動しちまったァ…」「あ、ああ…演習でも滅多とお目にかかれないぜ、こんな試合…」「それにしても、将軍も中々だ…あの女の動き、ちゃんと捉えていたぜ??」


「(ヒュ~ッ♪)ヤぁるもんだねぇ―――あんたも。 流石にこのオレも、冷や汗を掻いちまったぜ…それに、以前まえにどこかの軍に所属していた事があるようだなァ?」

「ナゼそう思うの…?」

「へっ―――! ンなもん、勘よ勘!! このオレが論理的に考えたって、しゃあねえだろ?!!」

「フフっ――それも、そうね。」


「さぁ~~って…これでようやく今までの酒も抜けて、身体も温まった事だし――――そろそろ、本気でヤらさしてもらうぜぇ…。」


それはまさに一進一退、『虎鬚将軍』ヒが打ちかかれば、方やキリエはそれを苦もなく受け止め―――いや、それどころかヒの一瞬の隙が生じるのを見計らい、大抵の者では目が行き難い下段―――足払いを仕掛けたりもしたのです。

しかしながら、敵も然ある者、寸での処でそれをかわしたのです。

それにしても……


「お―――おい…な、なんだかんだ言って―――」「ああ、もう百合近く打ち合ってるぜ…」「お、オレ達でさえ、将軍のお相手するのは遠慮してるっていうのに…」「それをあの女は…一体何者なんだ??」


〚(こっ、これは?!!)〛

〚(ほら、だから言っただろう? 何もアリエリカが心配する必要もないんだよ。 それにしても、あのヒとか言う者…ただの大酒飲みではなかったようだな―――、あのキリエと互角に渡り合えているとは…まあ、あの子もほんの少しばかり手加減しているようだけど…ね。)〛


激しきは―――闘将と猛将のぶつかり合い。 一合毎にその撃は、激しさ―――鋭さ、共に増し、ヒも、ましてやキリエも、その切っ先がお互いの顔を幾度となく掠めたのです。


ですが―――この仕合いの行方も、ほんの少しの…些細な出来事から決着を見ることとなったのです。


それは…この仕合いの開始から小一時間が過ぎようとした頃――――


「へへへっ――――ンなら、これならどうだあっ―――!!」

「何のっ――――!!」


              ―――キラーン☆―――


「(ぅんっ?! なに…?)」(チラっ)

「(ギラッ!)隙、ありいぃっ――――!」


「あうっ――!」


「へっ―――どうしたってンだい、らしくもねェじゃあねえか。 仕合っている最中に余所見なんざ、トウシロのするこったぜ。」


そう、そこには何かに気を取られ、一瞬―――ほんの一瞬、そちらのほうに気が向いてしまい、無様にも地べたに伏せさせられ、眼前に二又蛇矛の『双顎』を突きつけられてしまったキリエが…。

それにより、誰しもの眼にもヒの勝利は確実のものと映ってしまったのですが…なんとこの時、キリエが意外な行動に出たのです。


「中々、愉しかったが幕引きは案外つまらなくなっちまったな。」

「――――…。」

「だが、ここにいる他のヤツ等より筋がいい。 何ならオレの副将として置いてやっても構わねェぜ。 そこンとこ、よく考えるんだ―――な…」

「――――!!」


「(グラッ)あ゛…?! な、なにしやがる、おめ――――ぇ…」


それは、自分に背を向けたヒに体当たりをし、ついでに彼の腰に佩いていた短刀を奪い、それを―――あらぬ方向…この陣全体が見渡せる立木に向かって投げつけたのです。 すると、そこからは“何か”が落ちてきた……

しかしそれは紛れもなく―――


「誰か!今あそこに落ちてきたモノを、至急調べて下さい!」

「は…はいっ! っ…あっ!」


「どうした?!」

「こっ…これは―――、これは人です! 人が木から落ちてきた模様で―――でも、どうして??」

「ナニ?!人だと?? どこのどいつだ―――」

「さぁ…そこまでは―――分かりません。」


「この国の者ではないことは確かね。」

「ナゼそんなことが言える。」

「自分たちを護ってくれる兵士達を、弓で狙うという民もあったものではないわ。」

「なに?弓を??」

「ところで、その者は息があるの?」

「えっ? いえ…喉元に刃が刺さって―――死んでおりますが。」

「(ふ、う…)そう―――」

「なんだと?? それは本当か?」

「ええ、御覧の通りです。」

「うぅ…ッ―――(こ、この女―――オレとヤり合っていただけでなく、こんな事まで…なんて、考えられねェぜ)」


それは、人―――人間だったのですが、その者はこの練兵場にいる誰かを狙っていた形跡があり、この者の凶弾に誰かがたおれる前にキリエが見つけ―――仕留めた…と、言う所のようです。


そして、しばらくすると、そこへ――――


「これ、何かあったのか?」

「ああ、州公様…はい、何者かがここにいる誰かを狙っていたようなので、捕らえて背後関係を調べようとしたのですが…」

「どうか、したのか。」

「実は少々しくじりまして、殺してしまいました。」


「えっ?!!」

「『しくじった』…って、いい腕してるじゃあねえか。」

「何を言っているの、これは的当ての競技等ではないのよ。 もしこの者が生きていたなら、どこの誰に頼まれて、その使命を遂行しようとしたか―――それを調べる事が出来たのに…これでは元の木阿弥だわ。 申し訳ございません州公様、なまじ何も考えないで放った一投のお蔭で、州公様に要らざるご心配をおかけする事になってしまいました。 それに…仕合いにまで負けてしまいまして―――どうも私には向いていなかったみたいです。」


「おい、ちょっと待ちな。」

「うん?どうかしたのかい。」

「(…。)そいつを着けな、今からあんたが州軍の長だ。」

「これは――――州司馬の印綬では…でも、私は―――」

「(ちっ―――)分かってねぇのはあんたのほうだよ。 確かにオレは仕合いのほうでは勝ったかも知れねぇが、勝負には負けちまったんだ。 だぁいたい、あんな木の上にいるヤツを見分けられただけでも大したもんだぜ。」

「いや―――しかし…あれは、偶然的に私の視界に入っただけで…」

「へっ、ま、“偶然”も“なんとやら”も実力のうち―――っていうけれどねェ。 それに、あんたと逆の立場だったとしても、あそこまで機転が利くかどうか分かりゃしねぇ―――ってトコだな。」

「で…ですが~~―――」

「あ゛~~もう!わっかんねェ人だなあ!! これはな、このオレが考えあぐねた結果だ!もう少し考え直せ~~ッてんなら、丁重に“のし”でもつけて返してやるぜ!!」

「ふふふ―――キリエ、将軍もああ言っていることだから聞き届けてあげなさい。」

「州公様―――ま、まァ…州公様がそう言われるのであれば、受けないわけには参りませんね。」


「それでよし―――、ところで将軍、将軍には引き続いて兵の鍛錬を怠らぬよう、お願いいたしますよ。」

「ほぉ~~あんたがこの人の…いいぜ、その下命承ってやろう。」

「こっ―――これ!州公様に対してなんて口の利き方を―――」

「いいのだよ、キリエ…。」

「でっ、ですが~~~このままでは兵卒達への示しが…」


州公であるアリエリカが来て、キリエが事の次第を詳細に話すと、そのことの全容が明らかとなってきたのです。

そして、ガク州・州司馬でもあったヒも、ついには折れ、自分の職をキリエに引き継いでもらうよう要望したのです。

でも、キリエは何一つ果たせなかった事に対し、飽くまで突っぱねたのですが、自分の主である州公・アリエリカの命によって、それは受けられたのです。


  * * * * * * * * * * * * * * * *


こうして、役職が引き継がれて―――


「主上―――!お待ちを!! 少し強引に過ぎるのでは?!!」

「キリエ―――これがなんだか分かるか?」

「これ―――は…漆塗りの鏃?! こんなものをどこで?!」

「これは、州軍旗の一本に突き立っていたモノだ。 これであの刺客が何者で、どこに所属していた者かが分かってくるだろう。」

「『カ・ルマ』!! 彼奴キヤツ等はもうすでに動いている…と、いうことですか。」

「そうだ―――それゆえにお前があの将軍に成り代わって、州軍の指揮を取らなければならないんだ。 分かってくれるな。」

「はい…そんな主上のお心遣いを知らない、自分が恥ずかしくあります。」

「そう言うな、お前は十分によくやってくれているよ、キリエ。」

「勿体のない―――お言葉を…では、クォシム=アグリシャス、直ちに職務をまっとう致します!!」


州軍旗に突き立っていたモノとは、漆で塗られた“黒い鏃”…。 それはカ・ルマ軍が所有していたものである事には疑いようがなく―――では、だとすると、彼等が狙っていたもの…とは?


新・ガク州公であるアリエリカ?


新たに州軍の司馬になろうとしていたキリエ?


それとも…


今まで州軍の司馬であったヒ将軍?


しかし、その真意を確かめる前に狙撃者は亡くなってしまっていたので、定かではないのですが…


    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


それはそれとして、ガク州城に帰還したアリエリカは…


「州公様!」

「ああ、これはセキ殿、どうかなされたのですか。」

「いえ、州軍の人事を代える―――と、聞き及びまして…」

「ああ―――そのことでしたら滞りなく終わらせましたが、それが何か?」

「はァ? あの…猪武者を?」

「ええ、実に聞き分けのよい御仁で、大変に助かりました。」

「『聞き分け』が…それはまた、何かの間違いでわ?」

「それより―――セキ殿、ちょっと見ていただきたいものがあるのですが…。」

「はぁ―――なんでしょう。」

「いや…それが、人前で見せられるものではありませんので…私の部屋で―――と、いうことで。」


未だこの城に逗留しているセキに、どことなく今回の人事異動を諫められた…と、そういうカンはしたのですが、ここでアリエリカはを見せることでセキの意見を聞いてみるようです。


「ところで―――、一体ナニをお見せしていただけるので?」

「これが…何であるかお分かりですか。」

「(うん?)…これは―――やじりですな、それも黒い。」

「そう―――それが今回私が視察していた州軍の練兵場の、旗の一つに突き立っていました。」

「なんと―――では、狙撃? 一体、何者が誰を…」

「さぁ、誰を狙ったのか―――は、定かではありませんが、狙撃者が所属していた軍はどことなく察知できます…。」

「なんと―――それはどこ…なのです?」


          ―――しかし、それこそは―――

              =漆黒一色=


「『黒色』…と、いうことはカ・ルマが?!!」

「それ以外の、どこがございましょうや。」

「(ぐうぅ…)そ―――それではアリエリカ様、あなたが狙われたのでは?」

「それは、分かりません。 第一に、あそこには州軍の司馬もいたことだ、それに―――私が今回あそこを視察する事を知っていたのは、ここでもごく限られた人物だけ…しかもカ・ルマが乱ッ波を放ってその事を知っていたとしても、その対応が異様に早いとは思いませんか。」

「ふむう―――…」

「ですから、そういうことを私なりに邪推してみるのには、かつての―――ここの州牧の失脚に伴い、早期に“腕力”たる軍事力を削いでおこう―――と、したのではないでしょうか。」

「なんと―――州牧が? もうすでにカ・ルマに走っていると見ているので?」

「まあ―――これは飽くまでも私の邪推でしかない…本来なら、他人を疑ってかかるようなことはしたくないのだが、彼の者がいないのでは説明のつけようがない―――彼が…出頭してくれたなら、弁明の一つでも聞けるのに、それも儘ならない、実に残念なことだよ。」


この時セキは、二つの相反する矛盾の狭間で苦しむアリエリカを見、今更ながらに思うことがあるのでした。 『やはりこういった人物を、こんな一地方に埋もれさせておくのは、国家のためにならない』と……

でも、その反面では、『もう先の見え隠れしているこの国で重きをなするよりも、今は雌伏して待ったほうがよいのでは』―――とも思っていたのです。


そして、彼の思考は、ある一つの道に行こうとしていたのです……


「ですが―――先方が仕掛けてきたというのは、明らかにこちらに攻め込もうという意思表示なのでは…?」

「そう――――だなぁ…」

「だとしたならば、急いで防衛線の構築をしなければ。」

「だが―――それをするに於いても、すでに兵の二割を削減してしまった…早まった事をしたな―――どうやら私は、昔から物事を深く広く~でなく、浅く狭く~にしか、目先の事しか考えられない、そのお蔭で多くの者に迷惑をかけたばかりではなく、大いなる誤解をも与えてきた…施政者失格だよ、私は―――」

「アリエリカ様―――」

「こんな時に、私をたすけてくれる者が―――軍師がいたなら…」

「なるほど―――『軍師』ですか。」

「(…)ああ、そうだ! セキ殿、あなたが軍師になっていただければ幸いな事なのですが、どうだうか?」

「残念ながら、そのことはお受けできません。」

「ええっ―――ナゼ?」

「そもそも『軍師』とは、ご存知のように内政を見る反面、戦を起こすときにも陣頭に立つ―――つまり、矢面に立たなければいけません。 確かに、私は内政の処理には自信がありますが、戦場いくさばに立て―――となりますと、それは少々…」

「だ、ダメですか――――それは困ったな…」

「ですが、アリエリカ様がカ・ルマ―――果ては他の列強と事を構えようと思っているのであれば、心当たりが二・三ないわけではありません。」

「え―――それは本当ですか?!!」

「はい―――ですが、私が心当たりのある人物とは、実はフ国の者ではないのです。」

「ハァ? それでは…一体どこの何者の事なので―――」


しかし―――その人物こそは、紛れもなく『ラー・ジャ』の産であり、その一族はラー・ジャが興されて以来、王族をよくたすけ必ず興国の要となる戦ではその陣頭に立って自軍を手足のように動かせていたという…


             ―――シノーラ一族―――


 * * * * * * * * * * * * * * * * * *


ガク州公に収まったアリエリカは、今後は知略で自分を支えてくれる人材『軍師』を探していました。 そこで差し当たってはセキにその事を頼むのでしたが、セキは既にフの重要官僚、その上年齢も重ねすぎているという事で断られてしまったのです。

しかしただ断ると言うのではバツが悪いと感じたのか、セキは心当たりある人物を紹介したのです。

ただ、その人物はフの出身ではなく―――


「た、他国の?! それもその国譜代の…とあっては、流石に無理なのでは?」

「いえ、それがそうではなく、実は当代きっての切れ者で不世出とまで云われた人物なのですが、ある事情によって家も名声も棄て、隠遁生活を送っている―――と、いうことなのです。」

「なんと―――それでは今は在野の…でも、だとしてもどうしてセキ殿がその人物の事を…」

「実はその人物、我が主イクと多少の面識がございまして、不肖の私めも彼の者の講義を聞くに及び、『大した若者もいたものだ』と、感心していたものなのです。」

「なんと―――その人物、若いのか?」

「はい―――。 年の頃は…そうですな、アリエリカ様と同じくらい―――ですが、節度・道理をきちんとわきまえた見識のある者にございます。」

「しかし…それほどの人物ならば、何も州ではなくフ国のために召抱えてみては―――」

「それが、その人物が私ども官僚の思っているような者であれば、た易く応じていた事でしょう…ところが、以前にそのことを打診してみた事があるのですが、ていよく突っぱねられましてな。」

「ほぉう―――…」

「まぁ、傑物には変人が多いというところでしょうか、万が一に雇用できたとしても我等では到底飼いならす事など、所詮無理な話だったことでしょう。 現状のこの国を知る一人としては、そう思います。」

「――――…。」

「アリエリカ様?」

「だとしたら、その人物は今どこに??」


 * * * * * * * * * * * * * * * * * *


その場所こそは、隣国であるラー・ジャの都『ワコウ』より北東の外れにあるクゼ州・クメル地方。 その、かの地にある竹林に庵を結んでいる…と、そうアリエリカは聞き及んだのです。

そして、その渦中の人物に会うためにアリエリカはただ一人、その場所まで馬車を進ませていたのです。


長閑のどか…ですこと――― ここもカ・ルマに程近いというのに…〛

〚うん―――この国が元々そうなのか、それともこの地方の人たちの気質がそうなのか…〛

〚ええ、耕している間にも、なんとも心地よいうたが口ずさめるなんて―――〛

〚うん―――それにしても、耳障りではない、実にいいうただ、誰の作のものなのだろう?〛


そのうたは、何も牧歌や農耕の時にうたわれているモノではなく、いわば“節”の移ろいをうたったもの…それはがなんとも小気味よく心に響いてくるので、そのうたが誰の作によるものかを知るためアリエリカは一旦馬車を降り、近くの農民に聞いてみる事にしたのです。


「あの―――ちょっとお伺いするのですが、その詩歌を作られた方をご存知ありませんか?」

「はあ? 誰だい…あんた……」

「ああ、わたくしはとある人物を尋ねてきたのですが、その途上で貴方がたが口ずさんでいるうたが気になりまして…」

「はぁ~~ん、このうたの作者ならこの先の竹林に住んでいる先生だよ。」

「えっ―――となると、これからわたくしが会いに行こうとしている方と、このうたの作者とは一緒なのですね。 有り難うございました―――ご恩に着ます。」

「えっ――― あっ、あぁ…」


そのうたの作者とは、これからアリエリカが会いにいかんとする人物と同じ…そのことに胸を躍らせて思わず教えてくれた農民の手を握り締めたアリエリカ―――

すると…


「(はぁ~~一体何もンなんだろうか…今のひと。 上等な衣服を着付けていただに―――オラの、この泥だらけの手を握ってくれてる~~だ、なんてぇ。)」


「あのー州公様、お手のほうが…」

「あら、まあ、どうしましょう。 つい感激の余りに自分というものを忘れていましたわ―――(うぅ~ん…)あっ、そうですわ、これから参る処で手を洗わせて頂くとしましょう、それがよろしいですわね。」


身分が高貴な者は、得てして『汚れ』というものを嫌う。 でもアリエリカはそんなことはお構いもなしに、お礼の意味も含めてその農民の汚れた手を握り締めていたのです。


―――と、道すがらこんな事がありながらも、目的の庵まで来たようです。


そしてそこには、お手伝いと思しき女性と、一人の童子が庭の掃き掃除をしていたのです。


「ねぇ、カネツグ、ちり取り持ってきて―――」

「うん、いいよ、あっ…」

「どうしたの?カネツグ―――あの、どちら様で?」


「わたくしは、この庵に居を構えておられます方を訪ねてきた者なのですが…」

「ああ―――先生ですね。 でも生憎、先生は今ここを空けられていまして…」

「そう―――だったのですか…お留守とは…。 では、またの機会とさせていただきましょう。 それでは、お邪魔をいたしました。」

「あら?手が汚れているようですが、どうかされたのですか?」

「ああ…いえ、これは―――ちょっとその先で汚してしまいまして…」

「でしたら手洗い水でもお貸しいたしましょうか?」

「いえ、お気持ちは有り難いのですが遠慮させていただきとうございます。 それでは―――」


「(誰なんだろう―――今の人…)」

「誰なんだろうね、今の女の人。 お姉ちゃんよりも優しそうで、綺麗で、礼儀正しいなぁんて。」

「カネツグ――― ホンッとにもう、しつれぇしちゃうわよね。」


しかし、いざ訪ねてみるとなるとくだんの人物は留守をしており、それを留守居役の姉弟から知らされて今回のところは治領へと帰って行ったのです。





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XANADO はじかみ @nirvana_2020

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