吉江孤雁氏による邦訳版・序文

(※)1917年(大正6年)に出版した日本語版『ジャンヌ・ダルク』から、翻訳者・吉江よしえ孤雁こがん氏による序文です。


▼吉江孤雁(よしえ・こがん):日本の私立大学で初めて仏文科を創設、早稲田大学教授・学部長を歴任したフランス文学者・吉江喬松たかまつ先生の号が孤雁こがん


 第一次世界大戦(1914〜1918年)の最中に翻訳・刊行されたという背景を知っていると、下記「序文」が理解しやすいです。


 なお、原著者アナトール・フランスの意図(前ページ参照)と、訳者・吉江氏の意図(このページ)を読み比べると明らかな違いが見られます。当方の私見は、次のページで。


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⚠️旧字の近代日本語は少々読みにくいため、現代風にあらためました。

⚠️最下部に原文を引用・掲載しています。

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 今日、英仏連合軍がドイツを相手にムーズ川畔で戦いを繰り広げている。ここはジャンヌ・ダルクの生まれ故郷である。現在のフランス・ヴェルダン(フランス北東部、ロレーヌ地方ムーズ県の都市)の運命にどれほどの喜びと悲しみを懸けているか想像もつかないのと同様に、当時、この地に住んでいた人々にとって、イングランド軍の侵入は、大きな恐怖と怒りを呼び起こすものだった。


 伝説が命を持ち、自然が不思議な力を発揮するのは、非常な状況においてである。あるいは、いつもは故郷の中で眠り、人間の根源に潜んでいる伝説と自然が、非常時に目を覚ますのである。人は伝説と自然によって動かされ、伝説と自然は人を通じて微妙な働きを現してくる。


 フランス国民を構成する民族の根源は、大部分がガリア系である。概してフランス国民は、ガリアの血とラテンの教養を併せ持っていると言えるだろう。ガリア系とは、ケルト民族の一分派である。彼らにもケルトの特徴である「よく戦い、よく語る」気質が備わっている。また、自然の神秘を感じ、理解し、表現し、自然の心に従って流動し続ける性格も備えている。伝説が命を持ち、自然が人間の中で生きて働くには、最も適した民族である。


 オルレアンの少女ジャンヌは、非常時に際して、このガリアの血が凝結して生まれたものだ。非常時においてこそ、日本民族の言う「天佑」も感じられる。非常時においてこそ、奇跡も見られる。つまり、日常的な凡庸な表面意識の生活が破れて、さらに深く、さらに強い生活意識が人間の中に現れる時、いつもは目を閉じて眠っている潜在的な自然力が、にわかに目を覚まして、人間の中に超自然と思える働きをするのである。


 ジャンヌの働きがまさにそれだった。彼女は13歳にして初めて「野の聲」を耳にした。自然の声を聞いた。神の声を聞いた。彼女はいつも野の鳥と戯れ、鳥たちがやってきて彼女の背や肩にとまって鳴き戯れる間に、自然の声が彼女の心の中にある命を徐々に目覚めさせていることに気づいた。「立てよ、立って国の為に敵軍を防御せよ」と、彼女にとって、それは至上の命令だった。大地の中から湧き出る声であると同時に、天上から降下する響きだった。


 彼女は剣をとって立たずにはいられなかった。常人の目には狂人としか映らないのは当然のことだ。しかし、超俗の力はあらゆるものを圧倒し、いわゆる馬上の彼女の姿は、天子が通り過ぎるように迎えられた。彼女を単なる愛国の女丈夫とだけ見るのは、不十分だ。一時的な激情で、我を忘れて立ったものと見なすならば、それは盲目の批評家である。


 しかし、フランス本国においても、この盲目の批評家、知識不足な者が、少なくなかった。彼女が「聖人」として承認されたのは、まだ遠い昔ではない。今やフランスは、ジャンヌが出現した当時と変わらない緊張状態にある。ガリアの血が枯れない限り、流動の本性が失われない限り、かの感知性と表現性が滅びない限り、多くのジャンヌがフランスの至る所で目撃されるだろう。


 この書は、歴史の研究者、批評家、作家であるアナトール・フランスのジャンヌ・ダルク伝によって、その概要を述べたものである。フランス氏のジャンヌ・ダルク伝は、これまで世に現れたあらゆる同種の書籍を参考に、その上に彼が独自の創作力を加味したもので、オルレアンの少女の伝記としては、これ以上完全なものは今日において、求められないと言っても大体差し支えないだろう。


 この書は、日本人として見る上であまり必要とも思われない原文の箇所を省略して、大体の経過、骨子、そして描写の箇所をそのまま日本語に移し得る限りを移したつもりだ。「聖人」ジャンヌの面影を彷彿できれば幸いである。


 大正五年九月

 吉 江 孤 雁




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⚠️ここから下は、吉江よしえ孤雁こがん氏の原文を引用。

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 序


 今日英佛えいふつ聯合れんごう軍が獨逸ドイツを相手に兵を進めているムーズ河畔は ジャンヌ・ダルクの生れ故鄕である。今日の佛蘭西フランスヴエルダンの運命にどれほどの喜憂を繋いでゐたか知れない如くに、當時とうじこの地方に居住してゐた人々には英軍の侵入が非常なる恐懼きょうふと憤怒とを引き起こしたものであつた。


 傳説でんせつが生命を持ち、自然が靈妙の働きをなすのは非常な場合においてである、いな、常は鄕土のなかに眠り、人身の根柢に潛み入つてゐる傳説自然が非常の場合に當つて目を醒まして來るのである。人は傳説自然によつて動かされ、傳説自然は人を通じて微妙な働きを現じて來るのである。


 仏蘭西國民を構成してゐる民族の根本は大半ゴオル種族である。大體仏蘭西國民はゴオルの血とラティンの敎養とを併有してゐるものと見て差支へないであらう。ゴオル種族とは卽ちケルト民族の一分派である。彼等にもケルトの特色たる「克く戰ひ、克く談じる」氣質が備はつてゐる。また自然の神祕を感知し、體得し、表現し、自然の心に從つて流動して止まない性情も備へてゐる。傳説が生命を持ち、自然が人間の中に生きて働くには最も適したる民族である。


 オルレアンの少女ジャンヌは、非常時に際してこのゴオルの血の凝結して生れ出たるものである。非常時に於てこそ日本民族の所謂「天佑」も感ぜられる。非常時に於てこそ奇蹟も見られる。つまり日常凡庸の表面意識的生活が破れて、更に深き、更に強き生活意識が人間の中に現じ出される時、常時は目を閉ぢて眠つてゐる潛在自然力が豁前目を醒まして、人間の中に超自然と思はるゝ働きをするのである。


 ジャンヌの働きが卽ちそれであつた。彼女は十三歳にして初めて「野のこえ」を耳にした。自然の聲を聞いた。神の聲を聽いた。彼女は常時野の鳥と戯れ、鳥共が來て彼女の背に肩に止つて鳴き戯るゝ間に、自然の聲が彼女の内心の命を徐々として目醒ましめつゝあるのに氣付いた。「立てよ、立つて國の爲に敵それ軍を防禦せよ」と、彼女にとつては、それは無上命令であつた。大地の中より湧き出づる聲であると同時に、天上より降下する響きであつた。


 彼女は劍をとつて立たずにはゐられなかつた。常人の眼には狂人としか寫らないのは當然のことである。併し超俗の力は何物をも壓倒あっとうして、所謂馬上の彼女の姿は天子の過ぐる如くに迎へられた彼女を單なる愛國の女丈夫とのみ見たらば不足である。一時情に激し、我を忘れて立つたものとみるならば、盲目の批評者である。


 併し佛蘭西本國においてもこの盲目の批評家が、知見の不足な者が、少なからずあつた。彼女が「聖徒サント」として承認せられたるは未だ遠い以前ではない。今や佛蘭西はジャンヌの出現當時に劣らぬ緊張狀態を呈してゐる。ゴオルの血にして涸れざる限り、流動の本性にして失せざる限り、かの感知性と表現性と滅ぜざる限り、幾多のジャンヌが佛蘭西の到處に於て見られることであらう。


 この書は歷史の硏究者、批評家、創作家たるアナトオル・フランスのジャンヌ・ダルク傳に依つて、その大體を述べたのである。フランスのジャンヌ・ダルク傳は從來世に現はれたる有ゆる同種の書籍を參酌し、その上に彼が獨特の創作力を加味したものなるが故に、オルレアンの少女の傳としては、これ以上完全なものは今日に於て、求められないといつても大体差支なからうと思ふ。この書は日本人として見る上に餘り必要とも思は れない原文の個處を抄略しょうりゃくして、大體の經過、骨子、及び描寫の場處をそのまゝ日本文に移し得らるゝ限りを移した積りである。「聖徒」ジャンヌの面影を髣髴し得れば幸ひである。


 大正五年九月

 吉 江 孤 雁


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⚠️吉江孤雁版は、国立国会図書館NDLサーチで全文閲覧できます。(https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000571539)

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