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感情が「実感」ともなって湧いてくるのが何年もあとというの判りますね。
冷めた自分と「泣かなくて良いの?」って自分が交錯して重ならない感。
それで泣いてるとしても、「泣きたくて泣いてるの?」って
自分が冷めて見てる感。
落ち着いて、ふとしたときに激しい波じゃなく、ほろって涙が出るのが
本当という感というか。
感情と感覚が「もう会えないんだぞ」って重なって、
感想がすーっと溢れる感じ。
ああ、もう会えないんだなって芯から感じるというか。
そんな時にワタシが思うのは
そんなに「自分に無理してるつもりはないんだけどな」、と。
何か上手く言葉になりませんが、自身を見る自分の視線というか
視点みたいな物に
まだ肩の力抜けてないのかーって思い知らされるのがたまらなく嫌なんですよ。
誰かに見せる自分と自分が見てる自分は認識できてる、けど、
自分が見てる自分と「自分に見せたい自分」の差がすごく嫌で。
それは多分、本稿の最後の「頼ってもらえなかった」って自己嫌悪を
突き詰めた先の物で自分が許せない自分に繋がってますね。
こんな感想を持ってると言うことは自分を許さないんだろうな、
とも思うわけで。
作者からの返信
ありがとうございます!
泣いている自分はあるのに悲しみに実感が伴わないこと、なかなか説明できる感覚ではなかったので、共感していただけてありがたいです。
「自分に見せたい自分」という言葉が深くて考えさせられます。
私の感覚ですが、周囲の人にはそれなりに見えるように取り繕いたいのですが、自分に対しては感情なりを全部理解できてる状態でいたいので、@fts01さんのおっしゃることは何となく分かる気がします……。
「頼ってもらえなかった自己嫌悪」と表現していただき、そうなのかもと発見がありました。ありがとうございます!
会社に内緒で遺品整理のバイトをしてた時です(そういうバイト達を選んでた訳ではないです。偶然誘われたから乗っただけです)。
僕たちは自殺したかたのお部屋を整理してました。
その方は亡くなる前に、ブルーシートを床に敷いていた為、床の染みもそこからはみ出た部分しかなくて、すごく綺麗な部屋ではあったのです、が……。
灰皿にこびりついた固まった灰とか、料理の跡がこびりついて潤かす為にシンクに置きっぱなしになったお鍋とか。
その方は僕よりも歳上だったんですが、死ぬ直前まで生活、つまり生きる為の行為をしていたのに、それでも、そういう終わり方を選んでしまったのだなぁ、と思いました。
作者からの返信
ありがとうございます!
遺品整理のバイトですか…! 衛生面の危険性などを考えると、すごく特殊な技能が必要そうなイメージがあります。
「死ぬ直前まで生活、つまり生きる為の行為をしていたのに」というお言葉、そう聞くと本当に切なくやるせなくなります…。
私はよく老衰やご病気以外の理由でお亡くなりになった故人様を前に、ほんの少し何か助けがあればこの方は今も生きておられたかもしれない、と色々想像を巡らせてしまっていました…