編集済
難儀なことですね。
残された方は継がねばならないから、みんなが見たい貌を作る、と。
それはともかく、
死に際して、
あるいは死んでまでそう「在らねばならない」のはどんな
心持ちなんでしょうね。
そういうのもあって、「何も残さない」のは選択として
上等だと思っている次第。
死んでまで、「心配している」とか「心配してない」とか
仮託したくはないですから。
それでなくとも人間は「見たい物を見る」というのに。
作者からの返信
ありがとうございます!
「そう在らねばならない」との言葉が的確で当時の自分のモヤモヤを言葉にしていただいた気分です。
少なくともご遺族様は「見たい姿を見る」ことでその死に向き合うことが叶って、悲しみが和らいでいたらいいなと勝手ながら願うばかりです。
納棺、って云うくらいだから、勝手に「仏教限定」で考えてました。
というか、日本で土葬とかできる場所も限られるし、火葬とかする前なら色々な宗派とか宗教の人達も、納棺師の方々のお世話になるのですね。
作者からの返信
ありがとうございます!
納棺師が呼ばれるのも仏教限定ではなかったりします。
宗派によって作法が違うので、例えば祭壇の前で手を合わせていいのかなど、細かく確認して行きます。