編集済
お疲れ様です。
そうですか。生前からの麻痺は取れないのですか…
勉強になります。
西洋医学と異なる知見から麻痺を軽減させる立場としては複雑ですね。
内臓のお話。
師匠のご両親が他界されて、人工関節を入れていたために
火葬後に骨壺に入らず「別途包んで持ち帰った」話を聞きました。
人工関節を入れていると火葬後にそういった用意が必要なのだと思ったのを
思い出します。
本当に聴こえているのだろうか?
生者と死者の別なく、「通信」というのはその字のごとく
「通じていると信じる」事ですからね。
自分ならぬ存在に語りかけ、意図を伝える。
本質的には相手が理解したかを知る術はありませんから、
信じるしかないのです。
先輩のこういった行動は残された者に対する気遣いと
救いの形だなぁと思いました。
作者からの返信
ありがとうございます!
火葬場の火力によって一緒に火葬できるものが変わってきたりします。
例えば眼鏡や靴や入れ歯など燃えにくいものは納棺前にお外ししてご遺族様にお返しするのですが、人工関節は燃えにくいのですね……。
本当に聴こえているのかについて、ご遺族がどう考えると幸せかと捉えると答えが出る気がします。おっしゃるように「気遣い」だったのだなあと思います。
編集済
マッサージで死後硬直が解けるとは知りませんでした。僕は祖父を自分らで湯灌する時、たぶん組んでいた指を折ってます。
母は母で、まるでフライパンについた焦げを落とすかの如く、ゴシゴシ擦ってました。
じいちゃん、痛かったろうな……。
さて、魂はどこにあるのか、ですが、何処にでもあると思ってます。
魂が脳とか内臓にあるなら、なぜお墓参りする必要があるのでしょうか。
骨に宿るなら、なぜ仏壇を拝むのでしょうか。
僕達がその時その時で「今、自分の目の前に故人がいらっしゃる」と思えば、それで良いのではないでしょうか。
ちゃんと声も、聴こえてますよね。
作者からの返信
ありがとうございます!
死後硬直ではなく、ドライアイスで凍っている場合もあったり色々なのでご遺体を動かす時は要注意です。
差し出がましいことを申して大変恐縮なのですが、きっとお祖父様はご家族に洗っていただけることが一番嬉しかったのではないでしょうか。
魂について、コメントからY.Tさんなりの死生観が垣間見えてすごく考えさせられます。
私は「魂」と「思念」を別個で考え過ぎていたと気付かされました。
今生きている人が故人を想う時、その境界はきっと曖昧になるもので、そう願えばきっといる、と考えて不思議はないんだなと納得させられました。