16

「フフ、まだ信じられませんか。お兄さん、かわいい」

 サナの大人の微笑み/余裕=片手を離してニシの頬をつついた。

「手、離すなよ! 落ちたら迷子になるんだろ」

「たぶん、そうじゃないかもしれないです。だって他の人をここに呼び込んだのは初めてですから」

「じゃあ、ここは、宇宙なのか?」

「世界の外側、と言ったほうがいいかもしれません。無限の“今”の可能性の連続、それが世界線です。それらすべてを俯瞰ふかんしていますから」

「それは──」

「ありえない? ですか」

 ニシは首を振った。

「魔導は認識の具現化だ。存在の外側、宇宙の外や時間の流れなんて認識できるはずがないだろう」

「うーん、どうでしょう。あまり魔導の理屈はわかりませんし首座しゅその先生たちもこればっかりはきちんと答えてくれませんでした」

「しゅそ?」

「レンゴーに属する上級魔導士……リーダーのような仕事で各クローラーの取りまとめもしています」

 何の話をしているんだ=ニシは眉をひそめた。

「でも何でも自在に召喚して神様まで使役できるお兄さんのほうがありえないと思いますけど」

「あれは、カグツチが半分こちら側まで来ているからだ。あくまで俺が橋渡ししているに過ぎない。俺の味方をしてくれるのもあくまで人間に興味があるから」

「きっとお兄さんも、ずいぶん深い真理まで近づいたんでしょうね」

 聞き覚えのある言葉=以前に戦ったパッシブ魔導の怪物/ジンもそう言っていた。

「わたしの魔導は時間と空間を操作できます。自在にというわけにはいきませんが。わたしは別の世界線の地球から来ました。……ええと、地球、と呼んでいたのでたぶん、そうです。見せますね」

「もう何がなんだか」

「ですよねーじゃあ見せします。わたしの記憶、過去の出来事です」

 再び火花/光に包まれる=明るすぎて目が痛い/まぶたをぎゅっと閉じた。

 最初の感覚=風&振動&金属がきりきりときしむ音。そして乾いた風。

 瞼越しの光にも慣れてきた/ゆっくりとまぶたを開けて世界を見た。

 乾いた空/乾いた大地=それら全てをかなり高い位置から見ていた。錆びた金属の舞台の縁からゴウゴウと風が吹き付けてくる。

「サナ? ここはどこだ?」

 今しがた手を握っていたサナの姿がない/その代わりにサナがいた。

 全身が白装束=深く白いフードを被っている/所々黒と金のラインがあしらわれている=現代的とも古典的とも思えるデザイン。

「サナ、どうなってる? なにかの、建物の上なのか?」

 しかし/違和感=景色が動いていた/建物自体が動いている。

「お兄さん──」背後からサナの声/さっきとおなじ灰色のスウェット&裸足のまま「──それは記憶の中のわたしです。うーん、別の世界線のこの時間のわたし、とも言えるのですが、記憶も感情もゆらぎあう量子の存在なので。へへ、頭の中で理解できていることを言葉にするのって難しいですね。お兄さんも、物質召喚を言葉で説明するのは難しいでしょ」

「ああ、まあそうだな」ニシはサナの記憶の世界を見渡してみた「ここはどこだ? なにかの建物の上みたいだが」

「場所はわかりません。わたしたちがユーラシアと呼んでいるそのどこかです。ここはレンゴー陣営所属の17号クローラー。全高400m。4基のキャタピラと6本の足で動きます。約100万人が住んでいます」

「動く、街?」

「ええそうです、お兄さん。まあ、わたしにとっては街は動くものですけど。クローラーの動力源はわたしたち魔導士ですから。構造はある程度把握しているんです」

「じゃああれか、ここは未来、ということなのか」

「どうでしょう。世界線とは観測者に依って確定されます。時間もまた主観的概念ですので。って、わかります?」

「……いや」

「そう、西暦。先生が話してくれました。昔は西暦というカレンダーを使っていたそうです」

「無いのか、カレンダー」

「はい。魔導を使うことで季節に関係なく作物が採れるようになったので」

 違う世界線/違う歴史を辿った今───そんな存在があるとは思いもしなかった。

「もしかして魔導が闇に葬られなかった世界線ということであっているか? ローマ軍が大図書館アレクサンドリアを焼き払わず、キリスト教が術士を迫害しなかった歴史か」

 しかしサナは首を振った。

「本当の歴史は誰も知りません。わたし達にとって大切なのは現在とそして混沌とした未来なのです。今、ユーラシアは2つの陣営が支配しそれぞれに属する衛星村を奪ったり破壊したりする世界なのです」

 ニシはもうひとりのサナの周囲を歩いて観察してみた/白いフードをかぶったサナは地平線の遠くを見たまま瞬きひとつしていない。

「俺の姿は見えていない、のか。サナは、いやこの子は何をしているだ?」

「戦いですよ、お兄さん」

 光=クローラーを包み込むように膜が覆い景色が屈折して見えた/そして到来する光の滝/ニシは両腕で顔を覆って強すぎる光を防いだ。

 攻撃の軌道に沿って山が溶ける/大地が灼ける/衝撃波が山肌の灌木をなぎ倒した。

「わたしの役目は防衛です。山の向こう、500キロ単位先のトキワ陣営のクローラーから放たれる重粒子放射を防ぎます───」

 鳥肌が立つ=トキワとレンゴー。

「───わたしの天賦は時間と空間を操るんですが、それを応用した盾、空間障壁です。空間とは平面の連続体であり時間は空間の連続体です。彼我の時間の流れをわずかにズラすことで不可侵領域をつくります。魔導であれ物理であれこちらに干渉することはできません」

「じゃあ例えば、未来の予知なんかも……」

 光の次に訪れた轟音/腹の底までえぐれるような低音。思わず周囲を見渡した先=斜め45°で噴煙を吐き出している大砲だった。

「38センチ連装砲です。昔の軍艦という海の兵器の応用品なんだそうです。もちろん、魔導障壁への侵徹しんてつ能力は付術エンチャントされています。装薬と魔導を併用しているので魔導士なら誰でも撃つことができます」

 地平線の先───丘と鋭い山影の間で星のような小さい煌めきが興った。

「当たった、のか」

「ええ。終末誘導も魔導で行います。このときの戦いはわたしたちの勝利です」

 記憶の中のサナも緊張を解いたようで、ほっと肩をなでおろしていた。

「レンゴーのほうが強いのか?」

「んー時と場合によります。勝ったり負けたり。トキワの陣営は人工的にマナを生成しているそうです。魔導機関、と呼んでいます───」

 違う世界線とは言え──世界支配を目論んだ常磐の末路を見た気がした。

「───でもわたしたちレンゴーのクローラーの動力はわたしたち、魔導士です。毎年数十人の胎児を選び臨月にわざと瀕死させます。そうして出産し蘇生させることでマナへの感応力を得ることができます」

 さらりと/知ってて当然でしょというふうにサナが打ち明けた。

「それが魔導士誕生の秘密?」

「秘密っていうより、どうでしょう、誰もが知ってる常識、というか。首座しゅその先生たちが言うには、生まれる前の死によって自我がより宇宙の真理を理解することができる、らしいです。死に近づけば近づくほど真理の理解が進み高度な魔導が扱えます。すべての胎児に臨死体験をさせるわけじゃありませんし、必ずしもマナへの感応力を得ることができるというわけでもありませんが。少なくともわたしのような、時間と空間を操作できる魔導士は成功例でしょう。おかげで教育ときれいな水と食料を与えてもらえました。お兄さん、生まれたときが瀕死だったって言ってましたね。物質や神威の召喚なんてそうとう真理に近づいたんでしょうね」

「どんな文献にも魔導士を生む方法は書いていない。いや書くまでもない単純な方法だった、ということか。じゃあ近年マナへの感応力ある人が増えたのは自然現象ではなく単に医療技術が進歩したから」

「たぶんそうでしょうね。どうですか、お兄さん。異常な世界に思えますか」

 逡巡/沈黙=辿った歴史が違うのだから人命軽視の文化もまたしょうがないのかもしれない。

「わたしは異常だと思います。いえ、異常だと気づきました。お兄さんと暮らしてあの子達と暮らして、友だちと学校に行って。代わり映えしない毎日ですけどそれが幸せなんだって気づけました。ってちょっとしんみりしちゃいましたね。次行きましょう」

 またサナに手を掴まれた/思った以上に強い握力&トラウマを消し去る便利な方法。

 ふたりは乾いた風が吹き付ける舞台から階下へ続く隔壁扉を通り抜けた/カンカンカンと錆びた壁面に階段を鳴らす音が反響する。

 クローラーの内部は薄暗かった/天井や回廊から心もとない照明がぶら下がっているだけ/広くがらんどうな空間に海運コンテナが乱雑に並びボルトとワイヤーで固定されてそれぞれが家のような間取りを形作っている。

 人&人=店先に小さな露天/食堂/工房=営みがあった。

「沢山の人が暮らしているんだな」

衛星村えいせいそん、地上に住むよりもここのほうが安全ですから。地上のように災害や魔導生物に襲われることもないし労働の対価として衣食住が保証されています。ここは商業区画。17号クローラーの中でも庶民向けで一番賑わってるんです。ほらあそこ。わたしも勉強や戦闘が終わったらよくここへ来てたんです」

 サナの指差す先/2つの白装束=もうフードは下ろしている。

 小さな庶民派食堂で小さなテーブルに着き向い合せのふたり=サナともうひとり:ほっそりとした面立ちの少年。

 テーブルの上には湯気の立つカップと、分厚いソーセージが挟まった白パンのサンドイッチがあった。

 ふたりに近づいてみた/ここは記憶の中=まるで透明人間になったように話を盗み聞きしているようでばつが悪い。

「あぁあ、もう、疲れたよー。10日ごとに駆り出されちゃマナが持たない」

 サナの口ぶり/今よりも子供っぽい=本当の年齢はわからない。

「ふふ、お疲れ。ナイスアシストだ」

 少年の方=豪快に白パンサンドイッチにかぶりつく=濃い緑のソースが口角に付く/それに構わず咀嚼。

「繝溘キ が敵より早く射ってくれたらわたしが苦労することがなかったんだよ」

「甘いなぁ盾の魔導士よ。向こうが撃つということは魔導障壁も薄くなる。つまり浪費する砲弾の数も少なくなる。資源も節約できるという高度な戦略なのだよ」

 少年の高説/記憶の中のサナは諦めが着いたようでモソモソと小さい口でサンドイッチを噛んだ。

「ねえ、繝溘キ、この後 暇?」

「ん、ヒグチ先生にちょっと用事を頼まれてる。どこか行くのか?」

「ううん、なんでもない」

 記憶の中のサナは誤魔化すように湯気の立つ濁ったスープを飲み干した。

「友だち、か」=ニシは隣のサナへ向けて訊いた。

「友だち、同期、同じ養成施設で育った幼なじみ、パートナー、クローラーの攻撃担当。彼が砲台の装薬や火器管制を担当しています」

 サナの説明=どれも辞書的。

「名前がよく聞こえなかった。雑踏の騒音のせいじゃないと思うんだが」

 まるで音飛びしたCD=子供の時 雑に扱って壊してしまった思い出。

「思い出したくないんです、彼を見るだけでこう、心がキリキリと痛いんです」

 サナは終始そっぽを向いたまま=細い面立ちの少年を見ようとしない。しかし記憶の中のサナ=ずっと目の前の少年から視線をずらさない。

「まるで恋人同士だな」

「そんなことありません。彼と一緒にいるのが自然でなんとなく心地よかっただけです。彼が亡くなった時、彼の大切さに気づいたんです」

「───すまない、余計なことを聞いてしまった」

 気づき=まだサナに手を握られていた/汗ばんだ冷たい指先がなおも強く握ってくる。

「この時、私たちは知らなかったんです。わたしは魔導士として誇らしかった。たくさんの人の命を守ってるんだって、自負が合ったんです。でも本当はそうじゃなかった。レンゴーにとってわたしたち魔導士はていのいい兵器。人として扱われていなかったんです。クローラーの外、山間部には衛星村が点在しています。それぞれがどちらの陣営に帰属するかよく争いになっていました。わたしは、わたしが操作するクローラーでトキワ陣営の衛星村を踏み潰したんです。クローラーを操作するとき、感覚がある程度共有されます。怯える人々を足の裏で踏み潰す感覚です。わたしはわたしの役割に疑問をいだきました。敵とされる人たちも私達と変わらない人間なんだって、それなのにどうして争うのかって」

 風景が溶けるようにして消えた/再びクローラーの頂上へ=サナの違う記憶に引きずり込まれた。

 乾いた風=それに据えたくさい黒煙が混ざっている。錆びた鉄の舞台では記憶の中のサナがうずくまっていた。遠くから怒鳴り声/銃声/悲鳴が届く。

「トキワの領域に侵攻していたときです。足元から敵兵が上がってこようとしてて。わたしは踏み潰すように指示されましたがためらってしまいました。そのときトキワから攻撃を受けました。一瞬だけ空間障壁の展開が遅れ、攻撃担当だったあの子は亡くなりました」

 ニシ=掛ける言葉が見つからず/しかしサナも過去の記憶と対峙できているようだった。

「あの子が好きだったんだな」

 返事/なし=しかしサナはゆっくりとうなずいた。

「これを契機に全てが嫌になりました。心の底からこんな世界、なくなってしまえばいいのに。そう願ったんです。そう願った途端、わたしは違う世界線へ移動していました」

 記憶喪失=最高位の魔導士がマナを大量消費した際に起きる意識障害/サナは新横浜港の人気のない埠頭で倒れていたのはこのせいだったか。

「世界線とはひとつの可能性にすぎないんです。お兄さん、わかりますか? 存在と非存在がゆらぎあい、観測者がいて初めて存在が立証されます」

 ニシ=首を横に振った。

「世界線は無限の数の現在が重なり合っています。無限なのでありとあらゆる歴史の現在があり、ありとあらゆる時代の現在があります。例えば人語を話せる恐竜とは絵空事のおとぎ話ですが、もしその世界線を見てしまったらたちまちそれを現実と錯覚してしまいます。実際、どちらの世界線も現実に変わりありません。わたしにとって、争いのない世界というのは空想に過ぎませんでした。古い時代の小説に書かれている空想です。しかしわたしがこちらの世界線を見てしまった以上、わたしにとってどちらの世界線も現実です」

 重い言葉=レンゴーとトキワが覇権を争う世界/三文小説のようなストーリー/しかしニシは人の営みと生と死を見てしまった=とても夢物語には思えない。

 サナはニシの手を痛いほど握りしめた。

「目をつむると、また世界が変わってしまうかもしれない。どこか知らない世界線を漂流してしまうかもしれない。もう大切な人たちと離ればなれになりたくないんです」

 ニシは震えるサナの細い肩を抱きしめた。

「ずっとここにいたら良い。気が済むまで、ずっと。サナが安心して暮らせるよう、俺もできる限り支えるから」

 景色が溶ける/光が消える=ピンボケした世界が像を結ぶ/元の部屋に戻っていた。

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