第38話

 言葉が終わると同時に、椅子の上に投げ出されたリタの身体の上に、ガドンがのし掛かり、両手首を掴まれて頭の上に押しつけられた。そのままウェイトレスの制服の襟首をぎゅっと強い力で掴まれる。リタの脳裏に、始めて『大迷宮』に入った時、ゴブリン達に襲われた記憶がよぎる。だがそれでもリタは声もあげる事無くガドンを睨み据えていた。

「へへっ」

 ガドンの口から嫌らしい笑い声が漏れる。リタの怒りと軽蔑に満ちた表情も、鋭い眼差しすらも楽しんでいるみたいだった。そのままびりっ、と制服の胸元が引き裂かれる。

「ちょうどあのゴブリン共に襲われている女を見て、ムラムラ来ていたとこだったのさ、ここにはブランの野郎一人しかいねえから、どうやって発散しようかと思っていたんだがねえ」

 くくく、とガドンが笑い、リタの顎に手をかける。

「さあ、どうするお嬢ちゃん?」

 問いかけにもリタは何も言わない。

「謝るってんなら今のうちだぜ?」

 ガドンが顔を近づけて来る。だがリタは、ふん、と鼻を鳴らした。

「何度でも言います」

 リタは、はっきりとした口調で言う。

 侮蔑を込めた口調と、冷たい眼差しで。

「貴方のしている事は、『冒険者』のする事じゃない」

 ガドンは何も言わない。

「みんなの想いを冒涜しているだけの、『墓荒し』です。そんな人間に、あの『タグ』を手にする資格なんか無い」

 吐き捨てるように言うと、ガドンは喉の奥で笑った。

「元気の良いお嬢ちゃんだ、だがね……」

 ガドンはそこで、少しだけ表情を曇らせる。

 リタは、その顔を見て思わず眉を潜めていた。

「君は一つ勘違いしてるぜ、お嬢ちゃん」

「勘違い?」

 リタは問いかける。

「あの『大迷宮』ってところはな、そんな『想い』とか、『信念』とかで踏破出来る場所じゃないんだよ、いいや」

 ガドンはそこで首を横に振る。

「あそこはな、誰にも踏破なんか出来ない。絶対に不可能だ」

 リタは黙っていた。それは……確かにそうなのかも知れない。あの『大迷宮』を踏破するなんて、誰にも出来ないのかも知れない。ブランですらも、夕方の時にそう言っていたではないか。

「だったら」

 ガドンの声が、リタの意識を現実に引き戻す。

「こうやって『金儲け』に利用してやるのが賢いやり方ってもんなのさ。つまんねえ『信念』だの、『想い』だので『踏破してやる』とか、『自分達なら出来る』とか……」

 ガドンは笑った。

「そんな『もの』だけで挑んで、魔物だとか罠だとかにやられて、ボロ屑みたいに死んでいくなんて、そんなのは……」

 ガドンは、さらに大きな声で笑う。

 そのままリタをぎろりっ、と睨み付ける。

「バカのやる事なんだよっ!!」

 リタは何も言わない。

 ガドンはまたしても顔をにやつかせ、ゆっくりとこちらに顔を近づけて来る。抵抗しようにも身体が動かせない。いっそ顔に唾でも吐きかけてやる、こんな奴に絶対に悲鳴をあげたりするものか、最後の最後まで罵り倒してやる。そう思ってリタは歯ぎしりし、言葉を紡ぎ出そうとした。

 だが。

 どがっ!! と。

 鈍い音が、突然響く。

 次いで聞こえたのは……

「ぐっ……」

 ガドンの呻き声。それと同時にずるり、とガドンの身体が椅子から滑り落ちる。

 どう、とガドンの身体が床の上に倒れる音が響く。だがそんな音など気にもならないほどに冷たい声が、二人の頭上から響く。

「何をしている?」

「て 店長!?」

「ブラン……」

 冷たい声に、リタとガドンは同時に言う。

「ガドン」

 冷ややかな声と同時に、倒れたガドンの方に向き直ったブランが告げた。

「そろそろ店じまいだ、お前はさっさと帰れ」

「てめえ……」

 テーブルの縁をがっ、と掴んでガドンが立ち上がった。立ち上がればやはりその体躯は、ブランよりも頭一つ分くらい大きかった。そのままガドンはブランの頭をがっ、と鷲掴みにした。

「て 店長!!」

 リタは声をあげる。だがブランは全く動じた様子も無い。

「そこのお嬢ちゃんはよう、ウェイトレスのくせに客に対して手をあげた上に説教までしたんだぜ?」

 ガドンが言う。

「ちょっと躾ってのが必要じゃないか? なあ?」

 ガドンが言う。ブランはその言葉に、頭を鷲掴みにされたままでちらり、と視線をリタに向けた。

「……それは確かに、褒められた行為ではないな」

「だろう? だから俺が……」

 ガドンが言う。

 だがブランはそれ以上言わせず、ぴしゃりと告げる。

「勘違いをするな、ガドン」

 ブランが言う。

「この店のウェイトレスが客に迷惑をかけたのなら、それ窘めるのは店長である俺の仕事だ。客に過ぎないお前に、こいつをどうこうする権利は無い」

 ブランははっきりと告げる。

「解ったのなら、早くこの手を離して店を出ろ」

 冷たい声。

 そして……全身から醸し出される殺気。

 鋭い声と口調で、ブランが告げた。

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