第19話 カズハの店
吞み込まれたギガトードの体内で、至近距離でカズハと見つめ合う。
離れないと、と思った瞬間、またカエルの外側から、衝撃が叩き込まれた。
その拍子に、鼻と鼻がぶつかる。いや待てこれかなりまずいんじゃ。
そう口にしかけた時、俺の唇が何かに触れた。位置的にカズハの唇……ではない。硬い壁状の何か。
「っ! これ、まさか!」
次の瞬間、ふたりの唇の間、2センチに満たないほどの空間で、光が弾けた。
そう、これは最初の頃にカズハから聞いた説明と実演の通り。
このゲームでは、アバター同士でキスはできない。例えふたりの同意があっても。
無理にしようとすれば、この前のように、ふたりともかなりの勢いで反対方向に跳ね飛ばされる。その「かなりの勢い」の部分は、どうやら調整ミスらしいのだが。
ちょっと待て。
その時、俺たちの周りに『壁』があったならば、どうなるんだ?
1秒後。その答えはすぐに出た。
その『壁』が一瞬で弾け飛ぶ。暗闇も消え、夏の青空とその下にひろがる草原、竹林が視界に広がった。
よかった。俺たちの方が潰されるんじゃなくて。多分カズハが高レベルだったこともあると思うが。
「ぐうっ!」
「んにゃっ!」
そして俺とカズハは無理やり引き離され、地面に転がる。
慌てて起き上がってあたりを見回す。
カエルの姿はすでに見当たらない。
バサッ!!
間近で、大きな羽音が聞こえた。
黒い羽根を飛び散らせ、巨大な真っ黒い鳥が一羽、竹林から飛び去って行くのが見えた。
カラス、だろうか。たぶんあれが、カエルを襲っていた相手。
急にカエルが消えた、いや、弾け飛んだことで、あの鳥も逃げ出したのだろう。
とにかく、敵が増えなくてよかった。
――小ボス、ギガトードの討伐に成功した!――
――西の竹林を開放した!――
「いや、いいのかこれ」
「……何か問題でも?」
「システムの不具合を悪用したバグ技みたいなもんだろ。最悪垢バンもありうる」
「……わざとじゃないから大丈夫だと思うけど、一応運営に連絡しとく」
「多分これ、すぐ修正が入るだろうなあ」
カズハの前でゲーム会社の悪口も何なので口には出さないが、こういうプレーヤーに有利なバグは、あっという間に修正、というか
プレーヤーに不利なものは、えてして仕様扱いされてずっとそのままだったりするんだが。
まあいいや。そっちはカズハと運営に任せよう。
「竹林を解放したって書いてあったけど、拠点が増えるの?」
「……正確には拠点候補、かな。セーフティゾーンとかリスポーン地点とか、こっちにも移動できるようになった」
「それはまだ移動しなくていいや」
「……レベルを上げて設備を作れば、ファストトラベルもできるようになる」
「ファストトラベル。瞬間移動みたいなもんだっけ」
「……実際は拠点間の移動をゲーム的な処理で省略しているだけなんだけど、周りの時間は変わらないから、実質瞬間移動」
「向こうもちゃんと整備しないとな。竹の素材を集めたら、拠点にもどろう」
「……ん」
そして俺は、作業用に取っておいたナイフを取り出す。
が。
「……どうかした?」
「竹の加工向きじゃないな、これ。耐久度も減ってるから、すぐ壊れそうだ」
「……何が、いる?」
「ノコギリ、それとナタもあればいいんだが」
「……じゃあ、わたしが店をやる」
「店?」
その返事がわりに、ふたりの間にウインドウが開く。
そこには、昔のゲームのショップ画面のように、商品名と価格がずらりと並んで書かれている。
「……えぇと、カズハの店にようこそ。ご注文を?」
こういうことはあまり慣れていない様子で、カズハが話しかけてきた。
なんていうか、ままごととかお店屋さんごっこ感がある。
「あ、そうだ。店がないもんだからすっかり忘れてた。この世界の通貨なんだが」
「……日本語サーバーでは、通貨単位はエン。分かりやすいように、1エンは日本円で約1円相当」
「まだ、お金を使う機会はなかったんだが、って初期の所持金0!?」
「……お金は王様のところにもらいに行かないと」
「昔のゲームじゃないんだから」
「……じゃ、いらない素材とか、買い取るよ」
そう言うとカズハは、目の前のウインドウをフリックする。商品一覧から、何もない真っ黒なウインドウに変化した。
「……ここに、売りたいものを入れて」
「何かいらないかすらもわからんが、ひとまず重要ではなさそうなものを」
ここまでで手に入れた、小型モンスターなどの素材を、何も表示されていないウインドウに放り込む。すぐに、素材名と売り値が表示された。
結構安いな。まあ冷静に考えたら、開始直後に手に入るものが高く売れるわけもないが。
売却のアイコンをタップする。
「……まいど〜」
なぜかお金はカズハが渡してきた。手と手が触れそうになり、とっさに手を引く。悲しげな顔のカズハに心の中で誤りながら、ウインドウに触れて販売画面に切り替える。
そこに表示されているのは、包丁、鍋、フライパンなどの調理器具、ノコギリ、金槌、ノミなどの工具類。
「……ここにあるのは、主に一般プレーヤーが自作できなさそうな道具類」
「ノコギリと、それから包丁やフライパンも欲しいが、資金がなあ」
「……包丁とフライパンって、もしかしてご飯作れるの?」
「あれ、言わなかったか? 現実では一人暮らしだから自分で作ってる」
「……じゃあ、ゲーム内でも材料と道具があれば、同じように作れるはず」
「さすがVR。でも、カズハの口に合うかはわからんぞ。他人に食べさせたことなんかないからな」
「……他人……」
なぜかカズハがこちらをにらんでくる。
売買用のウインドウを指しながらカズハに聞く。
「しかしこれ、何か商人系の職業とかについてるのか?」
「……ううん。これはテストプレイ用の仕様だから。まだ街に行けてないし、他にはミッションの管理なんかもわたしがやるよ」
そういえば街はどこにあるんだ。
そしてカズハは、現実と変わらないように見えるアバターの胸を張る。
「……ある時は店屋の看板娘。ある時はセーラー服美少女ウォリアー。またある時はギルドの受付嬢。しかしてその実体は……高校生天才美少女プロ」
プルルルルルル!
「ひゃあっ!?」
カズハの口上は、突然の着信音で途切れる。
「……あ、会社から連絡きた。精算は後でするから、これで何か作ってて」
そう言うカズハから、一本のノコギリを渡される。
そして、瞬間移動のようにカズハの姿が消えた。
ゲーム内に、別途作業用のスペースみたいなものがあり、そこに移動した、ということらしい。
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