残酷物語
taida
第1話 無情
「飛べ!さっさと飛ぶのだ!」
雨まじりの北風が吹きすさぶ中、男の怒号に震えながらニヌフは、恐る恐る崖下を覗き込んだ。両足が固まってそこから一歩も動けないでいる。
「何をしておるのだ、あの女は」
薩摩藩の城下士である今神忠義(いまがみただよし)が、苦り切った顔つきで女を一瞥した。
「中村、蹴落とせ!」
今神は、胡床から勢いよく立ち上がり叫んだ。
外城士(とじょうし)の中村は、はっ、と返事を返し、ニヌフの背後に回った。
「さっさと飛ばぬか」
中村はニヌフの背中を2度、3度蹴とばす。ニヌフは、大きく張り出たお腹を両手で抱え込んで断崖の先端で蹲り、涙を流して許しを請うた。
「お願いです、助けてください、これではこの子も死んでしまいます」
「それは、我らが知ったことか」
中村は、ニヌフの着物の奥襟を捩じ上げ、断崖へと立たせた。
「やめろ!やめてくれ」
岬に集まった島民の中から、シヴァはニヌフに駆け寄ろうとするも、槍を持った薩摩武士らに遮られた。
「飛んでみねば、分らぬだろ」
中村は、そう言ってニヌフの背中を勢いよく蹴り上げた。
ニヌフは、悲鳴と共に荒れ狂う紺碧の海へと落ちていった。
「ニヌフ!」
シヴァは猛り狂って武士をなぎ倒したが、次の一人が、槍の石突きでシヴァの腹を力任せに突く。シヴァはその場に倒れ込んで、地面に縋りつき、ニヌフニヌフ、と絶叫した。
チャギは、走って断崖の下へと回り、姉ニヌフの姿を探したが、白波を上げながら押し寄せる高い波に邪魔され、ニヌフを見つけきれないでいる。
クルギは、シヴァの傍らに歩み寄り、両肩を抱いて無言のまま涙を落した。
今神の目には、そんな光景が滑稽に映ったのか、口元を上げほくそ笑んでいる。
身ごもった島の女たちは、次々に断崖の上から飛び込まされた。中には、生きて戻って来るものもいるが、落ちた衝撃で大概は流産してしまう。
琉球王府が薩摩藩の支配下に置かれ33年目、1642年(寛永19年)の冬の出来事であった。
琉球王府から南西の島々では、今までの穀物の石高に対して一定割合を収める年貢制度から、より安定的な貢納をせしめるため、薩摩藩は、島民の人頭(頭数)に合わせて徴収する制度を施行した。これを人頭税(にんとうぜい)と言った。
これにより、島々の男女子供を問わず、規定の目安を超えたものは、厳しい貢納の義務が課せられ、夜となく昼となく村の労働に駆り出されたのだ。だが元々、干ばつや嵐の被害が多い南西諸島の島々では、定められた年貢高を収めること自体が困難であった。
そこで今神は、各島々を回り人頭の数を減らすために、島民の間引きを行ったのである。無駄に島の人間が増えても、生産性が上がる訳でも無いこの土地に、余剰などいらぬ、とばかりに島民の殺戮を繰り返した。
「ニヌフ、ニヌフ」
チャギは、姉の名を叫び続けるも、激しい波音と吹きつける風音とが、チャギの声を吞み込んだ。
崖下には、断崖から落とされた女らの家族が集まり、身ごもった妻や娘の姿を必死になって探している。みな誰もが愛する者の名を呼び、悲嘆な思いで岩場を彷徨った。
諦めきれないチャギは、日が沈んでもニヌフを探し続け、次の日も、次の日も岬を降り、その姿を追い求めたがついに徒労に終わってしまった。
残酷物語 taida @shintamiyagi
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