第8話
薄くかかった雲が午後の日差しを適度に遮り、心地良い風が微かに潮の香りを運んでくる。秋の花で彩られたテーブルの上には、繊細な絵付けを施された陶器のカップが並び、ドレスで着飾った少女達が華やかに居並んでいる。
その中に茶色の地味な制服の女が一人。ええ。マリーです。
今日は公爵令嬢主催のお茶会当日。彼女の言う「ささやかなお茶会」、実質クルセウス系女子の派閥会合の日である。参加しているのはクルセウス系の女子6名全員と、ハンナさんと私。メラニーさんも私の給仕のためについてきてくれている。
あのファーストコンタクトの翌日、もう正式な招致状が手渡された。講義が休みになる日に最速で開催するあたり、わりとせっかちな人なのかもしれない。
会場は公爵家別邸の庭。公爵令嬢は魔法学園の寮ではなく、外に自前の館を持っていてそこから通っていた。ダイアナさんによると、高位貴族は生活と警護の関係で外に屋敷を構えることが多いらしい。
「じゃあ、レイモンド王子も寮ではなく外から通ってるんですね」
「はい。公爵家と王家は正門の横に隣り合って屋敷を建てていますね」
「建てて?」
「ええ。子女の入学に備えて必要な準備をするのは当然でしょう?」
家を建てるのが入学準備なんだ。権力と財力って怖い。使用人を雇いつつがなく日常生活が送れるようにしておいた上で入学するのが常識みたいに言われて、私の常識が破壊された。
ダイアナさんには着ていく服のことも相談したが、眉間に皺を寄せて「…制服で失礼にあたることはありませんが…」と返された。私の手持ちは制服と下働き以下のマリーの普段着だけだ。外に出るのに着る服が無い状態である。普段着については前にダイアナさんに相談して、どこかで仕立て屋を手配してもらえることになっている。それまでの間に合わせで、魔法学園で保管している中古の制服を3着もらうことができた。
制服は王からの下賜品という扱いで身分を示すものなので、公的な場で着ることに何ら問題はない。ただ、問題ないのと場に沿った格好になるかは別だ。こうしたお茶会で他の女子がドレスで着飾っているのに、一人制服というのは浮く。ものすごく浮く。悪目立ちしている自覚はあるがどうにもならない。とりあえずこの場を乗り切ることだけを考えよう。
お茶会の話題は王都の流行が中心だ。私には何の話か分からないことばかりなので、にこにこしながら隣のハンナさんを見て同じタイミングで頷くくらいしかできない。あ、お茶すっごく美味しい。あとお茶請けの焼き菓子っぽいものも普通に美味しい。こっちに来てから美味しいものって初めて食べた気がする。お昼に学園で食べた根菜入り押し麦粥&小魚の干物との差よ。
中心に座る公爵令嬢は刺繍も鮮やかな赤いドレスを纏い、ゆったりと微笑んでいる。赤い髪に赤い瞳に赤い唇に赤いドレスという過剰なほどの赤装備だが、それが似合っていて美しいというのがすごい。さすがメインライバルキャラ。
派閥の有名人っぽい人の話が次々出てきて、その都度おほほほとさざなみのような笑いが起こる。全く分からないなりに合わせて笑っておく。
ふと公爵令嬢の赤い瞳が真っ直ぐに私を向いた。バチッと音がしそうな視線に思わず背筋が伸びる。
「楽しんでいただけておりますかしら?マリー様」
「はい、ありがとうございます。お茶もとても美味しくてびっくりしました」
なんだか食いしん坊キャラみたいな返しをしてしまった。おほほほと巻き起こる笑いが肯定なのか哄笑なのか分からない。さっきまでと同じ感じだし否定的ではないと思いたい。
ゲームでは基本的に学園内でストーリーを進めていたし、このお茶会は存在しなかった。私がシナリオを書くんならここで嫌がらせシーンを入れるだろうが、でもこの場にはそれを見咎める役の王子様はいない。展開が読めない。
「お口に合って何よりです。これはソーレスの家で特別に調製させているもので、他では味わうことのできない物ですのよ」
公爵令嬢がすっと立ち上がる。後ろにはお盆にポットを載せた侍女が従っている。
そのまま公爵令嬢自ら他の御令嬢達にお茶を注いで回り始めた。主催者の歓迎を表す儀式みたいなもの?よく分からずに隣のハンナさんを見ると、心もち青ざめた顔をしている。あ、コレやばいやつ?
「私、皆様とお友達になりたいと思っておりますの」
公爵令嬢がハンナさんの横に立つ。ハンナさんがソーサーを持つ手が震えて、カタカタと硬質な音が響く。あーいい陶器は音も美しいね。このまま帰りたい。
「それなのに、」
温かい湯気を立ち上らせてカップにお茶が注がれる。果実的な香りがふわっと広がり、皆がニコニコしているのに寒気しかしない。
「なかなか仲良くしてくださらない方もいらっしゃるから、私悲しくて」
眉を下げて本当に悲しそうな声を出す公爵令嬢。玉のような冷や汗を額に浮かべるハンナさん。
ああ、これあれだ。誓いの盃だ。お前は私の派閥だよな、っていう。緊張感に喉が鳴る。
「ねえ、マリー様?何か──」
言われた瞬間、体が跳ねる。思わず腰が浮いた。
後は全て偶然が生んだことだった。
侍女が先回りしてポットを持って私の方へ移動していたのも。
普通はこの場面で席を立つことなどあり得ないことも。
椅子が思いの外大きく動いてしまったことも。
椅子に足を取られた侍女がわずかに体勢を崩す。お盆の上のポットが傾き、そこに私の肩がぶつかった。
転げ落ちたポットは立ち上がりかけた私の胸にぶつかり、熱い湯気を上げるお茶を制服の上にぶちまけた。
熱さを感じる前に、魔力が動く。
熱を奪い、外へ。
風に乗せて、遠くへ。
ぶわっと膨らんだ空気が髪を巻き上げる。遅れてポットが芝に落ちる鈍い音が響いた。
小さな悲鳴が上がる。公爵令嬢は目を見開いて固まっている。
「申し訳ございません!」
ぶつかってしまった侍女が血の気の引いた顔で謝罪してくる。使用人達が一斉に動き出した。布を持って駆け寄ってくるのが見える。
「大丈夫です。少し濡れてしまいましたけど、怪我はありませんから」
私が急に動いたのが悪いのだ。目に涙を溜めて震えている侍女の背中をさする。
さっきの魔法で水分もある程度飛ばしたようで、降り注いだお茶の量にしては大して濡れてもいない。無意識だったけど魔法って本当に便利だ。
「マリー様、私からも謝罪いたします。誠に申し訳ございません」
公爵令嬢が深々と頭を下げる。他の御令嬢達も固まってしまっている。どうもお茶会をぶち壊してしまったようだ。
「リコッタ様もお気になさらないでください。この通り大して濡れてもいませんし、本当に大丈夫ですから」
「いえ、しかし…」
「私は何ともありませんし、こちらの方も怒らないであげてください。私が急に立ち上がったせいですから。ただ服は着替えたいので、今日はこれで失礼させていただきたいです」
あわよくば帰りたい。
「いえ、このままというわけには参りません。ひとまず中へ」
「あ、いえ本当にその」
「さあどうぞこちらへ。すぐにお召し替えのご用意をいたします」
侍女の皆さんに囲まれるようにして屋内に連行される。強引だけど洗練された動きはさすが公爵家の使用人と言うべきか。おそらく応接間と思しき部屋に通されて、改めて服を拭かれる。メラニーさんもおずおずと手伝ってくれた。私に付いているので本来はメインで動く立場のはずだが、公爵家の使用人達の前で派手に振る舞うのは躊躇われるようだ。
着替えとして用意されたのは赤に白を差し色にしたドレスだった。刺繍の豪華さからしてたぶん公爵令嬢の私物だ。
「寮に戻るまでの間だけですので、着替えは大丈夫です」
「そのようなお姿でお帰りいただくわけにはまいりません。どうかお召し替えを」
「いえ本当に」
「失礼いたします。右腕をこちらへ」
公爵家強引だな!
結局押し負けて着替えることになった。するする脱がされてテキパキ着付けられる。この人達の動きの方がよっぽど魔法じみていると思う。
ドレスはわりとぴったりだった。何となく胸元がゆるくて腰回りがキツいくらいで。…ナイスバディだな公爵令嬢。
何故か髪を纏められて軽く化粧まで施される。もう何でもいいやとされるがままになっていると、公爵令嬢本人がやってきた。
「マリー様、今回のことは本当に申し訳ございません。この通り謝罪いたします」
改めて深々と頭を下げられる。使用人達も一斉に頭を下げるので、なんだか逆に圧がすごい。
「いえ、本当に気にしないでください。私が急に動いたせいですので」
「この場で起きたことの全てはお誘いした私の責任。マリー様に咎はございません」
きっぱりと言い切る口調は鋭いが、『悪役』とか『ライバル』とかいった印象ではない。生まれながらに高い地位にある人の厳しさといった感じだ。少なくともゲームで設定していたような、平民をいじめて破滅するような人とは思えない。
マリーとして生活し始めてから、ずっと感じていた。
真梨の記憶があるから、ここはゲームの世界だと理解した。私が設定を考えシナリオを書き、リコちと作り上げた世界。マリーには魔力があって、魔法学園に入学して、王子様と恋愛する。単純な一本線のストーリー。
でも私は初日から設定していなかった感覚に動かされていた。マリーが育ての親に感じていた愛情。初めて故郷から離れる不安と、知らない世界に飛び込んでいく高揚感。制服の着心地。来る途中で泊まった宿屋のベッドがチクチクしたこと。なんとも言えない酸っぱいスープの味。魔法で温めたお茶の香り。ガタガタ揺れる荷台。何かしていないと落ち着かない感じ。下働きの人達との会話。ダイアナさんのちょっと呆れたような、でも気にかけてくれているのが分かる言葉。魔法学園の建物の合間から見える空と、微かな潮風。
マリーや王子様、公爵令嬢はリコちが描いた通りだけど、おじいちゃんおばあちゃんもダイアナさんも、ハンナさんやメラニーさんも。キャラ設定すらしていなかった人達が私の周りにはたくさんいる。マリーにとって、私にとって大事な人達。
キャラクターではなく、確かにここに存在している人達だ。
私は開発者なのかもしれないけど、この世界は私の知らないことばかりだ。私が知っているストーリーなんて、実は何の意味も無いものなのかもしれない。
改めて公爵令嬢を──リコッタを見る。
きちんと向き合うべきだ。ゲームの世界としてではなく、マリーの、私の世界の物語として。
自然と微笑みが溢れた。
「今日はお茶会に招待していただいて本当にありがとうございました、リコッタ様」
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